周りを大切に

たとえば、楽譜にフォルテがあって、その少し後に、フォルティッシモ、更には fffが続く場所があったとする。
―クライマックスのfffとその前のffにあんまり差がないね・・・。
とアドヴァイスしてみると、99%の生徒は、fffをもう一段階出そうとこれでもかと頑張ってみる。可哀そうに、ピアノさん。もう出ないよぉ、と苦しそうな音になっている。で、生徒の方は、
―先生、このピアノ鳴らないですね。 
と、のたまう。
または、スフォルツァンド。
―もう少しスフォルツァンドらしく、その音がはっきりと際立つようにできると良いね。
とのアドヴァイスには、エイっとその音を鋭く打鍵してみてくれるけど、どうしても硬くなったり大き過ぎたりして、やっぱり首をかしげている。
もうひとつ。
―ここから、生き生きと動き出す感じがもっと欲しいな。
とアドヴァイスしてもると、さらに生き生きと体を動かして演奏したり、テンポが知らないうちに速くなったりしてしまう。
何が間違ってる??
上の例を良くみてみると、すべて
-fffをff ”より”も大きく聴こえさせたい
-スフォルツァンドが、”他の音より”ぽんと目立っていたい。
-ここから”今までより”生き生きさせたい。
と、○○より大きく
など、他と<比較>しての効果だ。つまり、前後を<比べて>始めて現れる効果なわけだから、その音だけ頑張っていても仕方がない。ちょっとピアノから離れた例を挙げてみよう。
たとえば、紙に描いた絵。その中にある“花”一輪を目立たせたいとする。その場合、どんな色にする?と聞いてみると、
赤く塗る!!
と返事がきた。 でも、ほんと?
良く考えてみて。画用紙が、赤かもしれないよね?
あるいは、別の例を見てみよう。
人がたくさんいるところで、目立つためにはどうする? ジャンプしながら手を振る?
でも、周りみんなが同じことしてたら?
さらに、もう一つ。
演奏会で、演奏が始まる直前に、お客さんがホールに入って来て座ったら、すっごく目立ってしまう。でも、コンサートの休憩中に入って来て座っても何も目立たない。
どうして?
それは、演奏が始まる直前の場合、みんなが座ってじっとしているのに、一人だけ動いて入って来るから目立ってしまう。でも休憩のときは、みんな好きに動いたりしゃべったりしてるから入ってきても全然目立たない。
これで何を伝えたいかわかってもらえるだろうか。
あるものを際立たせたい場合、その音をがんばる方法以外に、周りを調整するという方法があるということだ。周りを下げれば、浮き立つかもしれない。直前のキャラクターが静かであれば、ここから生き生き聞こえるかもしれない。
スフォルツァンドがうまく際立っていないなら、その前の音が大きすぎるんじゃないかな。
fffが足りないなら、その前のffが大きすぎるとか。
ここから生き生きして聞こえないのは、その前がすでに生き生きしてしまってるからじゃない??
絵と同じで、いつも一歩さがって前後とのバランスをいつも見るようにしてほしい。
簡単なことのようで、意外とおろそかになっていないかな。
私のサイトFROM BERLINへは
こちらからhttp://www.rikakomurata.com

遅すぎなんてない

クールシュヴェール夏期国際講習会で一ヶ月強、生徒さんとともに勉強させていただいた。
そんななか、とても驚いた会話があった。あるフランス人の生徒さんとのレッスンで、
演奏の基本となる根本の話でレッスンをした時のことだ。
-本当に本当に勉強になりました。長いこと、このような根本に返って考え直したレッスンを受けたかったのだけど、実は怖くて、そんな話を先生にできませんでした
と言う。私はものすごく驚いた。
私:怖くて・・・って何が怖かったの?
彼:こんなこと今更聞いたら恥ずかしいし、他の人より遅れをとってると思われてしまうかと思って。
彼は30歳だ。こんな年になって今更基礎をなんて恥ずかしく、先生に遅れているとみなされるのが怖かったという。
ふと、彼の発言で気になった。こんな風に感じている人が他にも実はたくさんいるのではないだろうか。私は、普段のレッスンでもそうだけれど、今回のCourchevelでも、根本に戻ることの大切さをいろんな人に話してきた。
基礎に返ることは、決して遅れることでも、戻ることでもない。むしろ不可欠で、定期的に基礎に戻った確認をしてほしいぐらいだ。基礎ができていなくて、何を表現できるというのだろう。音楽は音がすべて。音ですべてを表現する。その方法があいまいでは、いくら音楽性があると言ったところで、何にもならない。
その子にも、話したことだけれど、ここにも是非ひとこと書いておきたい。
今さら・・・なんてない。基礎を学ぶことに、遅すぎも早すぎもない。
本人が、今基礎を勉強しなければと自覚したときこそがベストタイミングなのだ
ということを。
私のサイトFrom Berlinへは
こちらからhttp://www.rikakomurata.com

共存

えーっと、わたくしは今オランダです。例年同様、フランスアルプスのクールシュヴェール夏期国際音楽講習会に5週間どっぷりと滞在し、生徒さんからたくさん勉強させてもらい、その後昨日からは、Dと二人での仕事のため、オランダのとある町に移動してきたところなのです。
ここでの滞在先は、ホテルではなく、とある方のお宅。森の中にひっそりとたっている一軒家。いやぁ、普段ベルリンの町中でアパートに住んでいる私には、森の中の一軒家生活は、まったくの別世界。
緑や、小川、小鳥のさえずり・・・・そんなステキな森のなかの一軒家。幸せだぁ♪
ルンルン♪
る・・・・・・ん?
(∵) ん?
そんなわけなーい!(>_<") 私のブログで、そーんなうまい話があるわけがないわけだ。 えぇ、えぇ、もちろん緑はあり、そして小鳥はおります。 しかーし!それ以外のものもいるわけです。 それは、 とある 虫。 正確には 虫たち。 それは私とDが最も苦手とする野郎(以下K)である。普段から、ドイツの住まいでも、Kが家に出現した日には、私とDは大騒ぎ。靴を持って、狙いを定め、 エイ!と一撃。といっても、実際は恐怖のため、この一撃にたどりつくまで相当時間がかかったうえ、そのあとコロンところがったKを、すでに命がないのにもかかわらず、触ることができず、二人で震えている始末である。 Dがいない日には、悲しいかな、私が戦うことになり、靴を持って(もちろん、選ぶのはDの靴です。(-ω-)/キッパリ)最初のうち30分ぐらいは勇気が出ないままKを見つめる羽目になっており、ひどい時には一人では無理なため、友達の勇気をも借りようと、電話をし、片手に電話を持って、生中継しつつ応援をもらいながら "エイ"といくのでした。 このKが、この森の家には山のようにいるのである。しかーも、サイズが並ではない。 特大 である。私たちが使わせてもらっているバスルームは、電話ボックス一個半ほどの超ミニサイズ。この中にシャワーと洗面台と、トイレがある。当然一人以上入れない。 この狭いバスルームに、昨日到着してすぐの時点で、10匹はいた。しかも一人(?!)当たり、直径4-5センチサイズ。人間は一人しか入れないバスルームにこんなにたくさんも住み着くなんて、生意気だ。(-"-) そういうわけで、私たちはこの家に来る前から緊張をしているわけだが、それでも到着し、家主であるマダムに、ふたりでできる限り最大のにっこにこ笑顔で挨拶し、少しお茶をいただいたあと、マダムに"また明日ね"とごあいさつ。 そして、私とDはくるりと向きを変え、二人で顔を見合わせた。ふたりとも <超、"真顔"> である。語らずとも、われわれは、 いざ、戦場へ・・・。という気合いの確認なのであった。 といっても、戦場へ向かっていただくのは、 もちろんDである。(= ̄∇ ̄=) ニィ バン、ドン、うぉー、ひぃぃぃ・・・という戦いの音(弱そ・・)が聞こえた後、Dは靴を持って誇らしげに出てきた。 ありがとう、Dよ。この時こそ、男らしく見えたぞ。 ちなみに、Kと闘う時と、固いビンの蓋を開けてもらった時、私はDの男らしさをたたえている。(←それだけ?) Kとの共同生活、あと数日の辛抱だ・・・ PS.この家主マダム、ここの森は、私の所有物なの♪というので、Dが 何平米あるんですか?とたずねたところ、 6ヘクタール と返事が返っていた。平米・・・ではなかったらしい。規模が違う・・。 私のサイトFromBerlinへは こちらからhttp://www.rikakomurata.com

ミニ理夏子 1) 内緒話?

小さいころ、この上なく牛乳と睡眠が大好きだった私(牛乳は毎日1リットルは飲んでいたと思う)は、その結果?!メキメキと成長し、日本の電車のつり革には、当然と言ってよいほど頭がぶつかる身長まで伸びてしまった。でも、その私にだって、もちろん”小さい”頃というのがあったのである。(=`^´=)エッヘン
・・・・・・(・_・;)
(=`^´=)エッヘン
と書いたものの、思い出す話は、おっちょこちょい話ばかりである。
私には3つ違いの兄がいる。兄弟というものは、生存競争が激しいものだ。私が生意気を言ったせいで、兄の機嫌の雲行きがおかしくなり、私の立場が悪くなったりすると、もう勝ち目はない。
そこで、ミニチュアRはある時、
ミニR:そうだママに見方になってもらおう  (。・_・。)ノ
と、小さい脳みそで考え付いたのであった。
で、その手段とは、
R:お兄ちゃんが意地悪する!
と、自分の生意気を棚に上げ、母親に内緒で告げ口をすることであった。
我ながら可愛げのないガキである。
しかし、ミニRは、もちろん脳みそもミニチュア。この作戦の結果、
待っていたのは悲劇であった。
ある時、やはり私の発言のせいで雲行きが悪くなったとき、ここぞとばかりに、
さささ・・・っ  ,,,,,,,,,,,,(((( *≧∇)ノノノ
と母親の横に行き、こそこそっと母の耳に
ミニR:お兄ちゃんが意地悪する
と囁いた・・・
つもりであった。
が、(・_・;)
その直後、つかつかっと近づいてきた兄に
ポカっ 
と叩かれたのでした。
ミニR:なんで、お兄ちゃんに聞こえちゃったんだろう。(;^_^A アセアセ・・・
なーんと、わたくし、ミニRは、
耳と耳をくっつけて話をしていたのでした。つまり、母親の横に並び、母の耳に私の耳をくっつけ、 
お兄ちゃんがね~  ( ̄- ̄)
と得意げに告げ口していたのである。当然、みんなに聞こえたわけだ。
それにしても、アホである。
というわけで、ミニRはさらに苦戦を強いられることになったのでした。
私のサイトFromBerlinへは
こちらからhttp://www.rikakomurata.com

あっぱれ D

先日Dとの、ふとした会話から気がついた・・・。
‐Dは自国の国旗を知らない
(-ω-)/ どーなの、それ?
と思った私だけど、良く考えれば日本のは、非常に簡単である。
そのうえ、他に似たような旗の国はない。
フランスは、赤青白の3色である。それはDも知っている。でもその3色が
どういう順番でならんでいるのか、そして、それどころかその3色が縦に並んでいるのか、横になのかすら、あいまいなのだ。
すごいフランス人だ。
どうしてこんな会話になったかというと、先日Euro2008というサッカーの大きな大会が行われていた。われわれの住んでいるドイツは、もちろんサッカー王国。
自国の試合の日となると、老若男女をとわず、誰しもみんな、通りで自国の大きな旗を体にマントのように巻きつけて歩いたり、応援歌を歌いながらあるいたり、あるいはほっぺに、小さくドイツ国旗を書いたりしている。サッカー場の近くとかではなく、普通に住宅街でこんな光景とは、本当にすごい。
なので電車なんかに乗ればすぐ、あ、今日はドイツの試合だ、とわかるわけだ。ごっつい怖ーい顔で刺青なんか入れてる工事現場系おっさんすらも、カラフルにほっぺやおでこ旗を書いて乗ってこられた日には、かわいくすら見える。
家にいて試合を見ていなくても、ドイツが点を入れればその度に花火が上がり、角笛が鳴る。なので試合経過もなんとなくつかめる。本当にサッカー王国である。
と、そんなわけで、フランス人もほっぺに国旗を書くの?などとDと旗の話をしていたら、
Dがフランス国旗のちゃんとした模様を知らないことがわかったわけ。
ふと、考えてみた。日本の国旗を顔に書いたのをあまり見ないけれど、どう考えても
赤い丸が顔にあるのを想像するに、変である。
ほっぺに書けば、おたふくさん
鼻に書けば、ピエロ
おでこに書けば、インド人である。
うーん。(・_・;)
私のサイト、FromBerlinへは
こちらから。http://www.rikakomurata.com

親指 (2)

以前、親指について書いたことがあった。太くて短いにもかかわらず非常に大切で、使い方がかなり難しい。だけど、親指の使い方って、あの時もそうだったけど、意外に意識的に勉強されていないと今も感じる。
でも私はこの親指殿を
<おぬし、侮れ(あなどれ)ぬヤツめ>・・ヽ(`○´)/
と思っているので、(←勝手な闘争心)今回は、普段あまり意識していない親指の使い方を書いてみたい。
親指って、黒鍵を弾く時と白鍵を弾く時、実は<第一関節から先で違う使い方をする>って意識したことある人はどれぐらいいるだろう。
黒鍵を弾く時は、誰でも自然と鍵盤に対して角度が斜めに入るように親指を置く。つまり第一関節から先は、特に内側に曲げることなく、指を“ほぼ”まっすぐに近い状態で使っている。この理由は、黒鍵の鍵盤自体の幅が狭いことを考えると、自然なことだ。
ところが、白鍵で同じ様に使うと、やってみればわかるが、隣の鍵盤も一緒に弾いてしまうことになる。そのために、白鍵を親指で弾く場合には、第一関節から先を内側に曲げたうえで、少し立て気味にし、指先より少しずれた角(かど)の部分を使ってひかなければいけない。
たとえば右手の親指で、半音階で上がってみればすぐわかる。ド、ド#、レ、レ#、ミと
弾いてよう。すべての音を親指を黒鍵を弾く時の形のまま弾こうとすると、非常にもたもたするうえに白鍵の時、隣りの音を触ってしまうだろう。
上記に説明した黒鍵での<親指の第一関節から先>の使い方を“横”、白鍵での使い方を”縦”と表現すると、ド、ド#、レ、レ#、ミを弾く時は、縦-横-縦-横-縦と使うことになり、これをうまく使うと、かなり素早く移動できる。
ついでに書いておくと、オクターヴでの音階などをすばやく弾くのが苦手な人の場合、ほとんどが親指が原因のことが多い。オクターヴの早い音階は、まず親指だけを練習するのが必須だ。その時次の二つのことに気をつけてほしい。
1) 親指の”縦”、”横”を意識的に使う。
2) その際、黒鍵と白鍵のできるだけ境目のあたりを弾く。先ほどのド、ド#、レ、レ#、ミで、右手の場合、白鍵のド、レ、ミを弾く時、黒鍵に近いところを弾くようにすると速い移動ができる。つまり、できる限り親指が鍵盤の奥に行ったり手前に来たり・・・と移動範囲が大きくならないようにする。
むむむ・・・親指殿、奥が深いな、おぬし。(-o-)
私のサイト FromBerlinへは
こちらからhttp://www.rikakomurata.com

画用紙からはみ出したクレヨンの絵、きれいに書かれた鉛筆の下書き

レッスンってなんだろう。
私の役割ってなんだろう。そんなことをふと考える時期がある。
私が、レッスンで生徒さんから持ってきてもらいたいものは、もしこの2つの絵に例えると、どちらだろうか。
1)画用紙にきれいに描かれた下書きの絵。
それとも、
2)勢いあまって、画用紙からはみ出してしまっている、クレヨンの絵。
それは、 2)である。
でも実際は、きちんと整えられた下書きの絵を持ってきて、・・これにきれいに色をつけてください・・・とばかりに、レッスンで遠慮がちに弾いてくれる人が意外と多い。もちろん、それはそれで、色をつければ、絵になるだろう。
でも、それは”私”の絵でしかない。
私が欲しいのは生徒さん自身から出てくる絵。はみ出していても良い、斬新でも良い。整っていなくても良い。
伝えたい何かさえあれば。
もちろん、何を書いても良いというわけではない。音楽には、作曲家という生みの親がいる。私たちは演奏家の使命は、作曲家が紙の上に残した音に、命を吹き込むこと。
だから、好きなことをして良いというわけではない。生みの親が、”家“をテーマとしていたら、それは家でなければいけない。木の家なら木の家でなければいけない。でも、それさえ守っていれば、そこから、私たちの想像力をたくさん取り交ぜることができるのだ。
どんな大きさの家? どんな形?
丘の上にある? 森の中にある? それとも、都会?
お昼の家の様子? それとも夜? 
その家には、誰か住んでるの? 
・・・それは、私たちが想像をふくらませて良い場所なのだ。それこそが、個性。
個性、というものを“好きなように演奏して良い”・・と勘違いしている場合もある。でも、それは違う。家は家でなければいけない。つまり、楽譜に書いてあることには、忠実にならなければいけない。
その上で、自分で精いっぱい想像力をはたらかせて、自分にしか書けない絵を、自分にしかできない音楽を持ってきてほしい。そして、私は1観客の目、耳として、こうしたほうがもっと伝わるかもね、と、一緒に考えて、より作品をその子の伝えたいものに近づけることができたら、一番幸せだと思っている。
ちょっとぐらい、はみ出していても良い。だから、<自分にしか描けない絵>を持ってきてもらいたい・・。
私のサイトMessageFromBerlinは
こちらから http://www.rikakomurata.com

プールから学ぶ (3)  硬い音

このテーマは、ずいぶん長いこと考えている。いまだにはっきりとした結論が出ていないのだけど、模索途中として書いてみたい。
音が“硬い”・・・と表現するけれど、
みなさん、どうしたらピアノって 固い音が出るんでしょう・・。(・_・;)
私も答えがわかるわけではなく、目下考えているところです、ハイ。汗
指を固めているから・・という説明も聞くけど、実際は音はハンマーが弦を叩いて鳴るわけで、どんな風に打鍵しようが、音を出すのはハンマーだから、指を固くしなければ良い・・という問題ではない気がする。
今の時点で、考えているのは、プールでの飛び込み。(←相変わらず、ぶっ飛んだ例だけど)
私の小学校の先生は、良く生徒をもちあげて、プールに放り込んでいた。(いいのか?笑)
私も放り投げられたのだけど、その時、おなかや背中から水面に落ちた時の痛いこと!!!
バッチーン!!!という音とともに、めちゃめちゃ痛い。
高いところから飛び込みをするのを見たことがあるけど、その場合誰もおなかや背中から水に入らない。指先から、できるだけ細い面積で水に入っていく。
話を変えて、拍手をする時。誰も、両手の手のひら同士をまっ平らにして、左右合わせてはたたかないだろう。そうすると、てのひらが一気に痛くなる。少し手のひらを丸めるようにしてたたく。
この3つの例から思ったことは、平面と平面が面積が広くあたると痛いということ。それは、二つの平面がぶつかり合ってしまうから。
ハンマーは柔らかいもので包まれている。でも、たくさん弾けば弾くほど、ハンマーがいつもあたる弦の場所がへこんできて、溝のようになる。その部分は、かなり硬い<踏み固められた土>のようになっていると思う。そこに、ばんっと金属の弦があたれば、相当固い音が出るのは想像できる。
だから、打鍵を必要以上に早くすると、平面同士が衝突して、硬い音が出ているんじゃないだろうか・・・と思っている。それを避けるために、できる限り必要な点だけを弦に当てる。つまり、ハンマーが弦に当たったら、すぐに解放しないといけない。そのためには、たとえ大きな音でも、微妙なコントロールが必要になる。いつもブログで書いている指先でのコントロール。
だから、ある意味、指を固くしない・・・という表現も間違いではない気がする。
たとえば古い弾きつぶされた楽器。たまに、いくらコントロールしてもどうしても金属音になってしまう時がある。それは、
ハンマーの溝が踏み固められて、かっちかちになってるんじゃないだろうか。それと同時に、必要以上に押し込む打鍵をすると、ハンマーに弦が食い込むから、響きが止まってしまうというのももちろんあると思うけど。
うーん、今の私に考えられるのはこんな感じ。
なにかほかの意見があったら是非知りたいところだな・・・。
私のサイトFromBerlinへは
こちらからhttp://www.rikakomurata.com

ドイツで歯医者さん(3) -親知らず-

(´- `)フッ(´― `)フフッ(´―+`)キラッ
生還♪
終わった…終わったぁー!
右下、おやしらず治療終了♪
私の親知らずは、下二本とも見事に横に倒れていて、
他の奥歯をぐいぐい押している状態。だから、歯茎を切り開いて、歯を砕いて取り出し、
また糸で縫うという、ミニ手術なわけ。
緊張する中、家を出る前に、腫れて顔の形が変わることを怖がっている私に、
パパからの応援(?)メールが届く:
パパ:思いがけず美人になるかもしれないぞ ( ̄― ̄)ニヤリッ
こんなエールを胸に、歯医者に向かったのでした。何たる父親 (-o-)ボソッ
ドイツでは、知人の話によると、歯医者さんでは親知らずを抜けない場合があって、紹介状を持って病院にいくことになるらしい。その場合、目隠しをされて、“手術室”・・・っという雰囲気になる場合もあるとか。
なぜか私の歯医者さんは、自分の診療所で、ふつうにやる気満々。私にとっても慣れた場所なので、安心。しかも彼は麻酔の注射が本当にうまい。ゆっくり息を吸ってね~といわれているうちに、チクッとしたかどうかすら怪しい、というほどしか感じない。
麻酔が効いてしまえば治療中はなんにも痛くないので、ひと安心。
・・・・ただ・・・・
治療中、ものすごい勢いであご骨を押すために、対角線上にある左の耳の下のあたりからあごが外れそうになる。一度は、ちょっとまって・・とお願いして、顎を休ませてもらった。
口の中は、まさに工事現場。ガーガー、ゴンゴン、ギ―という音に絶えること1時間、
やっと取れたらしい。どうも、根っこがしっかり植わっていたようで、それを取るのに
相当苦労していたみたい。
先生が声をかけたので目を開けると、先生の手には、長-い糸が・・・・
-歯茎を切り開いたので、縫うからね~。
(私:あなたの家庭科の成績が良かったことを祈るばかりです・・・・)
というわけで、糸でピッと縫われ、頬を冷やす道具と痛み止めを受け取り、終わったのでした。
帰り際、例のアシスタントA子が
大事なことが二つあるわ♪
―腫れないために、今からすぐ冷やし続けるのよ。腫れないためによ、大事なのよ、腫れないために・・・!!
それとね、
―寝るときは、抜いたほうの右側のほっぺたを絶対下にして寝ないでね。
すかさずA子に私は:
―寝るときは、左を下にして寝るけど、眠ってからはどんな方向になるか保証できません・・・(・_・;) 
と告げておいた。
“腫れないために冷やして!”・・・を10回ほど繰り返されたため、
私は、それから夜まで、ずぅぅぅぅぅっと頬に冷やすものを当て続けておりました。
そのおかげか、翌日全く腫れず、やった!と思い、翌日は冷やさずに生活していたところ・・・
その夜、ずんずんと鈍い痛みが・・・。
そして、ぷくっとほっぺたが少しだけ腫れたのでした。
おそるべきA子。タカをくくって二日目に冷やさなかったために、少し腫れてしまった。
‐冷やすのよぉ! ヽ(`○´)/ 
と力説していたA子の顔がよみがえる。
Dは,そんな私の顔をじっと見て:
―うーん、それは間違いなく腫れてるね。単に太っただけではない・・・。
と。(-_-#)
この腫れ、いつおさまるのかなぁ・・・というか、まだ左下に一本あるし・・・。
私のサイトFromBerlinへは
こちらからhttp://www.rikakomurata.com

聴衆から学ぶ

先日、とある本番でピアノコンチェルトを弾いた。ど緊張で舞台に出て行き、ピアノの椅子に座ると、なんといすの高さが一番高いところになっていた。普段は朝のリハーサルの時のまま、私にちょうど良い高さになっていることが多いのに。
ただでさえ、背が高い私がその椅子に座ると、高すぎるのは一目瞭然。
普段、椅子は低めの位置で弾いているため、オーケストラからもお客さんからも360度から見られている中で、上から下まで椅子を下さなければいけない羽目になった。
椅子は、左右に回すものがついているタイプ。緊張も重なって、回しても上がってるのか下がっているのか判断がつかず、結局、立ち上がって椅子の後ろへまわり、しゃがんで椅子を回し始めた。
すると、2000人を超えるお客さんから、笑いの渦が起きたのだ。まだ緊張が解けない私は、早く椅子を下げないと・・・と必死で取っ手を回すのだが、それを見てまた大爆笑。
さらに椅子に座って高さを確かめたところ、まだ高いので、首をかしげてまた調節しようと椅子の横の回すところに手をかけると、またまた、わっはっはとまでの笑い声。
前の方の席の人など、笑いすぎて、ぜぇぜぇ、ひぃーひぃーとまで言っている。それにあわせて、後ろの席からは会場に拍手まで起きてしまった。
そこでふと、私は
あ・・・そうなんだ、みんなエンタテイメントとして演奏会に来てるんだった。
楽しみ来てるんだよな。
と気づかされた。ちゃんと弾けるか、そんなことを見に来てるわけじゃない。お客さんは、安らぎと美しい音楽を求めて、娯楽を求めて来てるんだと。
すると、すぅっと緊張が和らいだ。
私の役割は、オーケストラと一体になって、“音楽”をホールいっぱいに奏でることなんだと。
ちゃんと弾けるかどうか・・・、大切なのはそんなことではない。
私の感じる音楽を、私の言葉で、この楽器から1つずつ“語っていけば良い”のだと
とはいっても、ホール全体から笑いを取る予定ではなかったため(笑)、ちょっとびっくりして、私の方の集中力が不十分な状態から演奏に入ってしまったけれど、本当にありがたいことを教えてもらった。またひとつ、本番を通してお客さんから勉強させていただいた。
私のサイトFromBerlinへは
こちらからhttp://www.rikakomurata.com

日常、遭遇したこと、思ったこと・・・を飾らず気ままに書いて行きたいと思います。