KAWAI表参道での、テクニック講座第5回 必聴です!

12月7日に迫ったテクニック講座の翻訳がほぼ終わりました。今回は、重音、和音、ポリフォニーなどピアニストだからこその難しさであり、避けて通れないものばかりがテーマです。今回は幅広くたくさんのご質問をいただいたおかげで、面白さが倍増しています!重音に関しては、ショパン練習曲作品25-8を例に挙げ、書籍には書かれていない細かな説明が行われます!そのほか、オーケストラ楽器のような音はどうやって出すの?管楽器のように、弦楽器のようにどうやって?? 
今回も見逃せない一回となりそうです!

韓国にいらっしゃいませんか?

来年2月末に、韓国は JIRISANでマスタークラスをさせていただくことになりました。
詳しくはこちら
→ マスタークラス詳細
英語と韓国語しかありませんが、私にお問い合わせいただければ詳しい内容をご説明させていただきます。
私と期間中集中的にレッスンもあれば、私のクラスとほかの先生のクラス2クラス希望なども可能です。
ソウルおよび釜山から送迎バスも出ていて、すばらしいケアをされている講習会だと思います。
日本からは中井恒仁先生と武田美和子先生もご参加になられます。
詳しい内容をご希望の方は、私までメールでご連絡ください!
国立公園となっているJirisanでご一緒できればうれしいです。
村田理夏子

教育とは

ベルリンの学校での仕事、レクチャーの翻訳、日本でのレッスン、フランスの講習会。様々な環境で生徒たちに接する機会を得てずいぶん経つ。老若男女、レベル・・そういうものを超えて多くの人と接していくにつれ、今必要なことは何だろうと考えることが多くなった。
若い子からよく聞かれるのが
将来が不安
という言葉。学校を出ても何か保証されるわけでもなく、不安を感じるのはとてもよくわかる。
ではその不安を少しでも減らすために何をするか・・そこに大きな疑問を感じる。
若者との多くの会話でこんな思考回路が見られる。
将来が不安だ・・・(将来とは就職をさしているらしい)→就職をできるには経歴が必要だ→コンクールをあちこち受けてみよう→コンクールで賞をとれなくても、経験を積めばなんとかなるかも。
でも・・・自分を育てる時間は?音楽を育てる時間は?
コンクールで育てる?本人はそのつもりになっていても、はたから見ているとコンクールからコンクールの準備に追われて、せっかく持っている種を世話する時間がないぐらい忙しく動き回っているだけで、問題解決は後回し。コンクールや本番を経験にするのなら、受けたあとが肝心で、それを吟味し、再構築するべきなのに、コンクールの次はもう次のコンクール探しに目が向いている。
今の時代、いい学校を出たらいい就職ができる、そんな方程式は音楽以外の世界でも通じない。年老いた人をスピードが遅いからとリストラにし、使い捨てにするような非人間的なことが横行している世の中、不幸せな人が増えていると感じる。不幸せな人というより、何か満たされていないと感じている人が多い気がする。こんなに恵まれた先進国で、普通に生活ができ、何も不服がないはずなのに、不満ばかりが募っている。
学校という時間、学生という時間はこれから将来を幸せに生きていくために<備える>貴重な時期だと思う。何を備えるのか?それは経歴でもなんでもなく、”自分を”だ。幅広く勉強し、外の世界に目を向け、たくさんの人と出会い、そうして育てるべきは感受性と思考力。人間としての繊細な感受性を磨くことと、社会に出て出会うさまざまな状況の中で自分がどうあるべきかを判断できる判断力だ。幸せに生きていけるには、自分という人間が誰かに必要とされていると感じられる必要がある。それはビジネスとしての”必要”ではない。ビジネスで必要とされようとすると、有名にならなきゃ・・となり、大きく脱線していく危険がある。
人間として必要とされるということ。必要とされるには、人間としての魅力が必要で、そのためには中身が伴わないといけない。経歴ではない。中身だ。それが幸せに生きていくための第一歩になると私は思う。そしてその必要とされるのは、パートナーからでも良い。家族からでも友達でも良い。ペットからでも良いかもしれない・・ほんとに小さなことからスタートするのではないかと思う。
考える力を付ける・・・これは本当に大切だと思う。コンピュータの中にさまざまな情報が交錯し、クリックすれば情報が降ってきて、ぼけーっとしていても何かしらの情報が降り注いでくる。自分で買いに行ったり、自分で探しに行かなくても、ネットで注文したら勝手に届く。
先進国の世の中全体におそろしいほど消極化が多方面で進んでいる結果、思考力が大きく落ちているのを感じる。何かを ”じゃ、考えてみて?”とふってみると、その目が死んでいることが本当に多い。考える、という作業に慣れていない印象だ。みていて恐ろしい。
私もDも教育機関に勤めている。教育に携わるということは、今書いたような若者たちの”備え”を手助けすることが必要になる。
門下生には卒業までに何とかして”総合的に考える力”を身に付けてもらうよう導こうと試みている。それはとても大変な作業だ。即結果を求める傾向にある今の時代、我慢強く、目には見えない大切な部分の成長を途切れないように導くことは本当に難しい。難しい時代だからこそ、一人でも自分で考え、自分の幸せに向かって進める若者を増やしたい・・の一心だ。
それと同時に音楽家であること、芸術家であることの意味と意識を本当の意味で分かってほしいと願っている。音楽家は音楽があっての芸術家だ。音楽を追及する芸術家だ。音楽を育てずに、音楽を”手段”として
職や経歴を追及して指だけまわすのなら、指芸人と呼べば良い。”音楽”に純粋に興味を持っている人があまりにも少なくなってしまったとDが日々嘆いている。知らず知らずのうちに音楽に目を向けることを忘れて、音楽が何かを成し遂げる手段となっていないか、
一度自分の胸に手を当ててみる必要があるかもしれない。
私のサイトFromBerlinへは
こちらから

11月18日発売開始です!

201612.jpg
私にとって初めての紙上レッスン。シューマンのクライスレリアーナについて書かせていただきました。定められた文字数の中に必要なものをわかりやすく・・・というのはとても難しいですね。ありがたき勉強の機会になりました。
苦労して書き上げた第1回が11月18日に発売になります。ショパン編集部の方が、こんなに面白い紙上レッスンは初めてだ、とおっしゃってくださったそうで、第2回以降の励みになります。苦労して書き上げた第1回お手に取っていただけましたらうれしいです!
村田理夏子
私のサイトFromBerlinへは
こちらから

巻き戻しボタン

嫌なものを排除し、自分の周りに自分好みだけを集めていく。そんな自分主義を最近身近な人にも目にすることが増え、深刻な状況だと感じることがよくある。
何か気に入らないと、それは周りのせい。周りが悪いから自分がこうなるんだという見方、つまりは意識的か無意識か、「自分は正しい」 という立場での発言になっていく。
そうなると、自分は正しいのに何かが不満だ。そうだ、周りのせいだ。という思考回路になってしまう。
世の中はバランスで成り立っている。様々な意見があるからこそ、バランスが取れている。
野菜が体にいいからと、野菜以外を排除し野菜だけ世の中に生産したら、やはり別の病が生まれるだろう。家の一部分が傷みだしたからと、傷んだところを排除していけば、骨組みしかのこらない。そして、傷んだとおもっていた箇所が、実は骨組みを守ってくれていたことに気づいた頃には、骨組みも傷み始めている。
大切なことは、バランスよく包括的に成長させていくことなのであり、バランスが崩れている場合その原因を突き止め補強、あるいは補修すべきであり、排除が最良とは限らない。
そして自分に都合の悪いものを排除すれば、よくなるに違いないという短絡的な考えで排除していくと、気が付いた時にはひとりぼっち…になる危険が隣り合わせだということも忘れてはいけない。
世界中が今、巻き戻しボタンを押したかのように急速に恐ろしい時代に戻って行きつつある気がする。