あけましておめでとうございます!

あけましておめでとうございます!
ベルリンでの新年は、除夜の鐘で迎える静かな日本とは真反対の、爆竹の嵐。
外は戦場と化す。
でもこの爆竹が、やってみると面白い。もう10年近く前だけど友達と爆竹に参加してみた。手元の花火に火をつけては、道に投げる。
周りのひとたちも負けじと投げ返す。これを体験した人の中では、“怖い”派と“やめられない”派に分かれるらしい。私は、“やめられない”派だった。笑
今年は、どんな年になるかな。やりたいことがたくさんある。ひとつひとつこなしていけたらいいな。

~意味のある練習に向けて~  ―<だめ>を試す―

こんなに、時間をとってもいいのですか?
これは、硬すぎませんか?
これだと小さすぎるのでは・・・
これ、音色変わってますか?
こういうことを最近よく耳にする。硬い音、大きすぎる音・・これらを恐れることからだんだんと、演奏が小さくなってしまうケースは多い。
“だめ”なことを恐れるがゆえ、無難になる・・・これは一番避けてほしい演奏の一つ。
こんなケースに私が言うこと:
<だめ>なことを試してみればいいじゃん!
固すぎる音を避ける前に、”硬い”音を出してみる。そこから、硬くならない限界ぎりぎりのところまで戻ってこればいい。小さすぎるピアニッシモ。小さすぎる音を出してみない限り、その限界はわからない。
スフォルツァアンドやアクセントが自然かどうか。
―もし、ここにスフォルツァンドなどがなかったとしたら、どうやって弾くか。
1度 ゛なし゛で弾いてみれば、意外と簡単に見つかるんじゃないかな。
少し難しいことになるが、和声が意外な展開をする場合。当然そこで色を変化をさせたい。
その場合にも、まず和声が変化しなかった場合の、普通の和声進行で弾いてみる。
たとえば、 ドミソ→ソシレ→ミ♭ラ♭ド という和音進行があったとしたら、
ミ♭ラ♭ドで突然ハ長調ではなくなりますよね。そこで色を変えたい。
まずは、これが”普通“だったら、どうなるかを弾いてみる。つまり ドミソ→ソシレ→ミソド。そしたらおのずと、どういう色をミ♭ラ♭ドに付けたいか、すこしは見えてくるのではないだろうか。
<だめ>を試す。それがないと、知らず知らずのうちに演奏が
“安全圏”に収まってしまう。あるいは、“先生”に判断してもらわない限り、
自然なのかどうか、硬いのかどうか、判断がきかなくなってしまう。
<だめ>を試すことで、自分の演奏できる“空間”が、思っていたよりもずっと広く感じられるのではないかな。知らないうちに、”安全”という窮屈な思いをしていないかな。
音楽が持つ空間は、魚が泳げる海の範囲のようなもの。自由に泳げるように空間を大きく大きく絶えず保っていてほしい。水槽の中は、守られているかもしれないけれど・・・。

~意味のある練習に向けて~  ―カギは一つ前の音―

この12月から、MessageFromBerlinと題して、日本でプライベートレッスンを開始させていただいた。レッスンでは私の方がたくさんのことを生徒さんから学ばせてもらえて、非常に楽しみにしている。
これにあわせて、ブログ上でも私の日ごろの模索から気がついたことを、書いてみようかなと思いついた。勉強の過程での“思いつき”だから、また10年後には違うことを書いているかもしれない。でも、ま、それもいいかなと・・・。
というわけで、今回のテーマは、“鍵は一つ前の音”。
私の生徒を見ていて、特に多く見られることの一つは、”できないところを何度もただ繰り返して練習する“こと。これは、とても危険なことだと思う。”このへん“が弾けない、という場所を繰り返して弾くうちに、なんとなく正しく弾ける確率が増えてくるので、”弾けるようになってきた“と解釈して次へ進む。そりゃ、誰でも何回も繰り返したらその瞬間は、正しい音に命中する確率は増えますって。
ところが、翌日にはまた大体しか弾けず、
“先生、いつまでたってもここが弾けるようになりません”
ということになる。
たまに、
“先生、ここ、どうしても汚くなるんでどうにかしてください”
という人もいる。美容院か、私は・・・
練習をする上で、不可欠なことは、“原因を突き止める”こと。“このあたり”が弾けないのではなく、はっきりと“どの音”が原因なのか。大半の場合、ひとつ ”こいつのせいだ!“という犯人が潜んでいる。私も、自分の練習で弾けないパッセージを見つけると、まず犯人捜しに取り掛かる。この犯人、なかなか手ごわい。となりの音に濡れ衣を着せている場合が多い。ふっふっふっ、みつけたぞ。お前だなあー犯人は。
みたいな、とても怪しい練習をしている私・・・。
たとえば、右手の親指で真ん中の”ド“を弾き、すぐに小指で2オクターブうえの”ド“を
弾かなければいけないとする。
よくレッスン中に見る光景が、この2音を弾いて、飛んだ先の小指をはずしてしまい、生徒はそのまま、はずしてしまった、上の“ド”を、
にっくきヤツ、あんなに練習したのに、こいつこいつーとばかりに、“ドドドドドド”と連打。そして、そのまま先に進んでしまうのである。
あら・・・
上の“ド”は、大半の場合、無実です。かわいそうに・・・。
で、誰のせいかといえば、いろいろ可能性はあると思いますが、
(1)飛ぶ前の最初の“ド”。飛ぶことに頭が行ってしまい、この“ド”をちゃんと弾かないまま飛ぼうとすると、それは地面をちゃんと蹴らないがうえにできない鉄棒の<逆上がり>みたいなもので。
(2)二つの“ド”の間の“移動係”。えらい怠け者のせいで、移動が遅い。
ただ、(2)は、(1)が原因になって移動が<遅くなってしまう>ことが多いので、やっぱり犯人は(1)かな。
などと、考える作業が、練習の一番の基本。やみくもに弾く前に、考える。それから、それに見合った練習方法を考える。
大半の場合、”弾けない”箇所、つまりよくはずしてしまう箇所は、その”一つ前“の音が原因のことが多い。ということは、念頭においてほしい。考えずに、同じ場所を繰り返し弾くことは、
間違えたテクニックを体に記憶させてしまうことにもなり、弾けるようにならないだけでなくて、逆効果にすらなってしまう。事態を悪化させる可能性が高いので、とても気をつけてほしいと思っている。
私がよく言うことの一つ、
”がまんする”ということを覚えてほしい。
弾いてしまわず、ちょっとまって考えること。
“一つ前がカギ”
これは、”音色を変える”
場合にもいえる。
よく、
―そこ、もっと変えて―
と言われることが私もあった。ただ、変えてと言われても、え、どうやって・・・みたいな。私も随分頭を悩ませた。色を変えるためには、思ってるよりもたくさんの手段がある。これは、また次回以降のブログにまわすとして、その“たくさんの手段”のなかの一つが“一つ前の音”になるということだけ書いておきたいと思う。
色を変えるということは、どういうこと?
<変える>
つまり、これは<何かに比べて>変わっている必要がある。つまり少なくとも、二つの音がなければ ”変わった”ことにはならない。変えたいと思う音だけを一生懸命、あぁでもないこぅでもないと、弾いていても、仕方ないわけで、もっとも単純に言ってしまえば、その<前の音>と変わっていれば、色が変わったことになるということ。つまり、前の音がカギになる。前の音を責任を持って作る、聴く。このことがポイントになる。どうしても、変えようと思う音のほうに意識が言ってしまうせいで、その前がないがしろになることが多い気がする。
もう一つ、”休符“。
―休符に緊張感をもって-
これもまた、私も苦労をしたシロモノ。
あるとき、<休符に緊張感ってどうやったらできると思う?>と生徒の1人に聞いてみた。
―えっと、体も動かさないとか?-
といってその彼女は両手に、にぎりこぶしを作り、表情もみじんも動かない様子を見せてくれた。
・・・・・それって、あなた自身が緊張してるだけでしょぉ・・・(-_-#)
と、からかってみたものの、休符に命を吹き込むことは難しいことの一つ。
たとえば、お芝居で
“ねえ、きいて”
という台本をもらったとする。その後に来る文章が、どうでもいい話の場合には、
ねーきいてよぉー、彼氏がサーぁ・・・
みたいに、語尾がだらっとなるのではないかな。男の子なら、”俺サー“みたいな。
でも、なにかとても緊張した話のとき、“ね、きいてっ!!!”って私なら言うかな。
同じセリフでも、どう言葉の終わりを処理するかで、その後にくる緊張感が変わる。
まったく同じことがピアノでも言えると思う。
休符の一つ前の音。これをどう切るか。ペダルに任せず、自分で責任を持って切る。これだけでも、そのあとにある休符に命が吹き込まれる。
休符は、音の一つだと思ってほしいと、いつも生徒に言っている。休みではない。
私のレッスンのモットーは、
“どうやって”
も説明すること。深い音出して、暗い音出して、という指示だけでは、最初のうちは難しいと思う。そのためにどうすれば良いか、これを生徒と知り合って最初のうちは説明することが必要だと思っている。ただ、それはかなり難しいこと。これからの課題でもある。がんばろう・・・
MessageFromBerlinプライベートレッスン、もうすぐ12月コース終了。次回は3月。
がんばって勉強しなきゃ。

こばなし編: 悟り?

男の人にとって、”はげる”ということはかなり深刻らしい。私の母は若いころ、父の薄くなり始めた頭を
”はげはイヤ、はげはイヤ”
と言いながらマッサージしていたという。←どんな母・・・
そんなある日、若かりし父は勇気を振りしぼり、はげをなんとか防げないかだろうか、と相談に専門医を訪れることにした。
そして診察室の扉を開けたその時、
父はすべてを悟ることになる。
       ―――先生がはげだったのである―――
はげの専門医がはげ・・・
そして父は、
<だれも自然には逆らえない>
ということを学び家へと帰ったそうな。
うちのぱぱの小話(実話です。笑)でした。

またひとつ

またひとつ、栄養を吸収しました。笑 一生勉強。それが私のモットー。
12月8日のソプラノリサイタル。初めての歌との共演で緊張と楽しみとが入り混じっての本番となった。
楽しかった!!これが一言目の率直な感想。楽器もすばらしく、松尾楽器の目を見張る調整も加わり、私が試したかったさまざまな事を舞台上で実現できて、あっという間の90分。
1人の演奏会ではないから、歌のかたが奏でる本番での“色”を聴きながらの私の色選び。バランス選び。本番中にしかできないことに、とても良い具合で集中できた。
本来、心臓が飛び出るほどのあがり症な私。でも、“あがってるんです”と言ったところでなにも始まらない、というのだけは、これまでの様々な経験から痛感。そんなこと、お客さんはどうでもいいわけで、あがっている状態で、それをどう楽しんで音楽に集中するかが、私の永遠の課題。またいつか、この件についてもブログを書きたいのだけど、いずれにしても “今日も、あがってる!”ということにあがってしまうのが、大半のパターンだと思うので、 
―今日 “も” 上がってるじゃん、私。―
みたいに、上がっている自分を“本当の自分”とうけとめて舞台に出るようになってから、少しだけだけど楽にはなってきた。いつも同様、舞台上で手がぶるぶる震えていたけど、それをみながら、これが私の”普通”の状態、と思うというか・・・。
あがり症で・・・という人が生徒にもたくさんいる。私は、自信を持って(←自身持つところか? 笑)、
 “私ほどあがるひとはいるのかな・・・“
というぐらいあがるタイプ。だから、どうにかして生徒にもそれをどうコントロールするかということを手助けしてあげられたらなと思っている。またいつかブログにしてみよっと。
新しい幕開け。歌との共演。このような場に声をかけてくださった北村さんに本当に感謝。あわせでは、多くを語らず、要点だけ ”こんな感じ・・・“と伝えてくれる。その内容が非常に的を得ていて、細かいことをたくさん指示されることが苦手な私には、この要点をついた、しかも非常に的を得ているひとことひとことが、大変勉強になった。これからの成長過程で、またひとつ大きな栄養をいただいた。

いよいよだ!

8日のソプラノ歌手との共演。私にとって初めてとなる歌との共演に向け、できるだけ多くのことを吸収したいと、これまでいろいろなことを試みて来た。今回に限らずだが、普段から、本番に向けて準備期間がマンネリ化しないためにも自分なりに目標を立てるようにしている。こうすると緊張しているときに、何かに集中できるので良いという点もあると思う。
今回追求したいことは、音楽の脈と色。脈は音楽にとっての心臓ともいえると思う。”脈”をいかに自然に音楽に浸透させるかは、ソロであっても非常に難しいと常々感じているが、共演となるとさらに難関であり、まさに不可欠な最重要事項のひとつだと思っている。脈をそろえようとか合わせようとするのではなく、<相手と一緒に呼吸できること>が理想だと思う。そうは言っても、二人の違う人間であり、しかも本番にどういう脈を彼女が生み出すかは、そのときにしか分からないので、スリルであり、楽しみでもある。
そして色。これも私が永遠の課題として取り組んでいることの一つ。あの黒い楽器には無数の色の可能性が潜んでいて、どれだけそれを引き出し、また混ぜ合わせることによって、新たな色を生み出せるかを追求することは、演奏家の使命だと思う。特にピアノの特徴であり魅力は、同時に多声部を鳴らせること。1人でオーケストラができる楽器とも言えるかもしれない。それだけ、同時に出せる色の種類が多いわけだから、それらを混ぜることによって生まれる色も無限に膨らむはずである。共演となる場合には、歌のかたの作り出す”絵” 全体の雰囲気が私が置いていく色ひとつで大きく変わることになるので、大変な責任を痛感している。
たとえば、真っ白の画用紙に書かれた”家“を想像してみてほしい。描かれた絵の背景を、山にするか海にするか、朝か、夜か、春なのか、冬なのか・・・。単純にそれだけでも、この画用紙の ”家”という名の作品がまったく違って見えるのは明らかだ。歌のかたが、本番にどんな”家“を描き出すかは、私にも未知で、そこに今の私にどんな色付けができるか、責任を痛感しつつ精一杯繊細に反応できればと願っている。
脈と色。音楽の”心臓”と”命”と言えるのではないだろうか。
演奏会は、12月8日、19時より。王子ホール(銀座)にて。

持つべきものは・・・

持つべきものは・・・・
“友”というべきか・・・私が日ごろ仲良くしてもらっているうちの1人、H子。
彼女は頭の切れがよく、さばさばしていて面白い。私の仲良くなる人は、それであってどこか<ひとくせ>ある場合が多く、H子も例に漏れない。笑
彼女は、本をよく読むこともあって話題が豊富。話題が豊富な人は、好奇心が旺盛であることが多く、彼女もその1人だと思う。だから一緒にいて楽しい。(^.^)
ただ、問題は・・・
好奇心は抱くのだけど、疑問を持ったことを自分で調べない。気になることだけを、ぽろっと私にもちかけ、去っていくのである。たとえば
― ぐうの音も出ない、の“ぐう”って何なんでしょうねー。(・o・)
そういわれてみればそうだ。ぐうってなんだろう・・・。言われればやっぱり気になり、彼女と別れた後、早速調べて彼女にメール。インターネットというものはすばらしく、調べればちゃーんと載ってるんですよね。
そして、次にH子に会うと:
―そういえば、ふと思ったんですけど、けちょんけちょんって、すごい言葉だと思いません? あ、ついでに “ぎゃふん”とかも気になったんですけど・・・(^^♪
って、“けちょんけちょん”を “ふと”思いつくという彼女の生活も何かと思いますが・・・。
・・・・・・それでもH子は絶対に調べない。・・・・・(-o-)
ふと、気になったんですけど・・・と言い残して去っていく。
そしてまた私はインターネット。調べた結果をメールで送信。
世の中には “語源由来辞典”というすばらしい辞書があり、けちょんけちょん といれただけでそのサイトが出てくるんですねぇ、またこれが。 
その彼女、昨日もまたひとつ。
―にっちもさっちも って、変な言葉ですよねー。
あのなぁ。(-_-#) 自分で調べろ。
そういえば、私のもうひとり仲良しの友達にW子というのがいる。彼女も、
<理夏子ちゃん、これおいしそうだから作ってー>
と、日本のレシピの本を抱えてうちに来たことがある。
だから自分で作れって・・・(- -;)
でも、この温かい(?)友達たちのおかげで、私のレシピは増え、語彙も増えているわけだから、有難いと思うべきなのだろうか。←つとめてポジティブ シンキング。
持つべきものは、友か、それとも語源由来辞典か・・・
ちなみに、今出てきた言葉の語源はというと:
●けちょんけちょんの語源は、和歌山県日高郡の「けちょに」という方言。
「けちょに」は、「非常に」という意味で使われていた。
「けちょに」が使われる地域が広がるうちに、「けちょんけちょん」と言うようになり、現在の意味も持つようになった。
また、難癖をつける意味の「けちをつける」の「けち」が語源とも言われるが、「けち」から「けちょん」への変化が考え難い。
ただし、「けちょに」が「けちょんけちょん」となり、現在の意味となる過程で「けち」の連想が含まれていた可能性はある。
ぎゃふんの語源は、二つの感動詞「ぎゃ」と「ふん」である。
「ぎゃ」は驚き叫ぶさまを意味し、「ふん」は「ふむ」と同じ承諾を意味する。
ぎゃふんは、明治時代以降に見られる言葉で、江戸時代には「ぎょふん」と言われていた。
「ぎょふん」は、「魚粉」や「魚糞」といった意味ではなく、ぎゃふんの「ぎゃ」と同じ、「ぎょ」という感動詞である。
また、1837年に大塩平八郎が捕らえられた際、逢坂奉行町田有衛門に対し「義や噴なり、義や噴なり、悔しきかな」と訴え、この「義や噴なり」が転じて「ぎゃふん」になったとする説もある。しかし、それ以前から「ぎゃふん」と同じ意味で「ぎょふん」が使われているため、大塩平八郎の言葉が転じたとする説は考え難い。
ぐうの音もでない:詰問されたり、非を指摘された時などに、一言も反論ができないこと。 「ぐう」は、苦しいときや苦境に追い込まれたときに発する声の擬音語。 
● にっちもさっちもは、算盤(そろばん)用語が語源である。
「にっち」は「二進(にしん)」、「さっち」は「三進(さんしん)」の音が変化した語。
「二進」とは2割る2、「三進」とは3割る3のことで、ともに割り切れ、商に1が立って計算が出来ることを意味していた。
そこから、2や3でも割り切れないことを「二進も三進も行かない」と言うようになり、しだいに計算が合わないことを意味するようになった。
さらに、商売が金銭面でうまく行かないことの意味になり、身動きがとれない意味へと変化した。
だそうです。こう見ると面白いでしょ。言葉も深いですねー。

帰国レッスン“Message from Berlin” 第1回2006年 11月-12月

前回のブログで多少触れたように、長年温めてきた帰国レッスンの企画を
来年から本格的に実行してみたいと思います。それに先立ち、次回の11月の帰国にあわせて下記の要領で5名に絞り生徒を募集させていただくことにしました。留学を考えていらっしゃる方、そうでない方、どちらでももちろん結構です。ご興味のある方は、メールにて rikakomurata@aol.comにお問い合わせください。
なお、第2回目の帰国レッスン予定は、2007年3月です。
趣旨  :1)“意味のある練習”を学ぶ
     2)ベルリン芸術大学 傾向と対策 (留学を考えていらっしゃる方)
期間  :11月末―12月中旬
レッスン:原則として 期間中3回(各回1時間程度)
場所  :東京を予定
人数  :5名
1回のみのレッスンもお受付いたしますので、お問い合わせください。

伝えたいこと (2) 2006年夏

この夏も、フランスのクールシュベール夏期国際音楽祭で指導をさせていただいた。
日本人の生徒さんをお世話させていただく機会が多いので、ファッションのように、音楽にも毎年違った、はやりの演奏傾向が見えて面白い面もある。
ここ数年、個性という名のもとか、非常に<はみ出した>演奏が多い。体を大きく動かし、楽譜の指示に沿わない演奏をする。とても心配であり、残念な傾向だと思う。個性ということは、楽譜に書いてあることとは違うことをする、ということではない。むしろ楽譜に書いてあることにできる限り忠実に演奏することは、一番大切なことのひとつだと私は思っている。ただ、書いてあることに忠実ということが、フォルテだから大きく、デクレッシェンドと書いてあるから小さくする、ということではない。なぜフォルテと書いたか、なぜ、アクセントと記入したのか・・・。作曲家の意思は楽譜の上にすべて記されている。その読み取りは非常に難しいと同時に、私たちに課された使命でもあり、どう解釈するかで演奏に“個性”の差が出るともいえると思う。
考えること、聴くこと。この不足が顕著に見える。ベルリンでも同じ傾向にある。先生の指示を待つ、いわゆる“受身”の生徒が非常に多い。今弾いた演奏がいいのか悪いのか。自分で判断できない限り、どうやって練習するのだろう。
もうひとつ、とても気になったのは、楽器を鳴らすことができない生徒がほとんどだということ。大きく鳴らすという意味ではない。楽器が持つ最大の美しい音を出せないひとが非常に多い。むしろ大半といえた。あの黒い楽器には、無数の色が潜んでいる。ピアニストにとって”音“は表現の唯一の手段である。ジェスチャーでもなければ、大きさや速さでもない。私たちは”音“を使って表現する芸術家であることを忘れないでほしい。
絵の具が少なければ混ぜてできる色も少ない。パレットの上に、美しいおとを増やさない限り、いくら心に音楽があっても伝えることはできないということ痛感してほしい。
私がよく言う言葉がある。
<音は命。どんなにひどい楽器だったとしても、楽器を批判する前に、それがもつ最大限の美しい音を引き出すように。>と。
そのためには、なによりも楽器のことをもっと知る必要がある。その上で
余計なジェスチャーをできるだけ避け、頭の中にある音にできるだけ近い音を作れるよう、耳を最大に使って模索する必要がある。
このところ考えていることがある。日本でも生徒を持ってみようか、ということ。最近、日本に帰国するたびにレッスンをしてくれないか、という依頼をいただくことがあり、どのようなスタイルが一番有効か、考え始めていたところだった。
私の生徒には、音楽の原点に戻った一番根本の大切なところを教えたい。そのためには、数日ではなくある程度長期にわたるレッスンの必要性を感じている。来年3月ぐらいから、人数を限定して生徒を募集し、年間数回帰国して、一年にわたって一緒に勉強してみようかな・・・。どうでしょう・・・

ドイツで運転免許 (6) <悪魔から天使に♪>

ぐふふふ・・・・  ^m^
ついに、ついに、ついに・・・
とれましたぁ!!!!免許!!!! やったー! ワーイ ( ^-^)o-o<※ ☆ パンッ なんでこんなにはしゃいでいるかと言うと、実は3回目だったのです。 3月、日本に一ヶ月間帰っており、4月にベルリンに戻ってすぐ3日目に、実は二回目の試験がありました。 左斜線走行に、目が慣れてるわ、運転の感覚忘れてるわ、時差ぼけはあるわ。 ただでさえ、無謀な挑戦だった上に、ベルリンに戻ってきたら、 教官 <君の車、変わったから。>( ̄o ̄)ボソッ え????今までクラッチの感覚を必死で覚えこませたのに。帰ってきたらその車は売り飛ばされ、TOYOTAが待っていたのでした。 教官 <ほら、きみ日本人だし、トヨタだからいいでしょー> ―そういう問題じゃないがな、こらぁ! というわけで、二日ほど練習し、有無を言わさず試験を受けたわけですが、 またも15分で敗退。 しかも、この時の試験官ときたら、すごぉーく感じ悪く、“あなた、最初から否定的な目でしか審査してないでしょう”、というタイプ。 “悪魔野郎”と私は名づけたのでした。
しかし・・・落ちた理由はもちろん私が悪いわけで、
1) 時速30km制限を見落とし、35キロで走行。
(解説:ドイツでは、30キロ制限区間というのがあります。狭い道などに入った瞬間に、それを示す標識が立っているのですが、カーブで必死になっている私は、カーブを終えた直後にある標識を見落とすことが多いのでした。30km制限区間は、入り口にその標識が立っている以外は、その区間が終わるまでまったく速度表示がない。一度見忘れると、確認できないわけです。)
2) 優先道路で徐行忘れ。
(解説:優先道路が特別指示されていない場合、信号のないところでは 右から来る車(道路)優先という決まりがあります。右から交わる道路があったら、速度を落として、その道路から車が来ていないか見なければいけません。)
という二つを犯し、例の“悪魔野郎”に、
<あーあー、そんなんじゃ全然だめだねぇ。クラッチもがたがただし。あーあー>
とぼろくそに言われて、帰ってきたのでした。
当然私は、猛烈不機嫌。一回目の試験同様、
(●`ε´●)ぷっぷくぷ~
となり、二回目の試験のBlogをサボっておりました。
2週間間隔をあければ3回目を受けることができるらしく、すぐに試験日決定。そして先日、朝8時20分から試験だったのです。(早っ!)
(私、結婚式も朝8時20分だったんですよねぇ。この時間に縁があるのだろうか。)
試験場に向かう途中は、教習所の先生と運転の最終確認をしながら行きます。その途中で、
先生いわく:
<うん、君にとって今回の試験がプレッシャーになるのはよくわかる。だって、3回目だし。3回目となれば、当然緊張も高まるよね。しかも、この試験落ちたらどうなるか知ってる?
3ヶ月は受けられないんだよ。君の場合8月まで受けられない。>
なにぃーーー???7月にフランスに行くので、そこで運転できるために1月からはじめたのに、8月じゃなーんの意味もない!!
・・・・がーん・・・・(-_-;)
だいたい、教官よ。なぜ、今この場でその話をする・・・・
おかげで、私の心臓は ばっくばく。演奏会より緊張してるじゃん!!
試験会場に着き、お金を払い、試験前にトイレに寄ったのですが、そこでも心臓ばくばく、手ぷるぷる。 (-_-;) 落ち着け・・・私・・・ 
せめて、やさしい試験官にあたりますように・・・。
車に乗り、試験官を待つこと5分。おはよう!と手を差し出したその試験官こそ・・・
あの、”悪魔野郎“ではないですか! 
どこまでもついてない私。つくづく実感。でも、試験官は選べない。というわけでスタート。
ところが、この悪魔試験官。今日は別人のよう。私が少しでも間違えそうになろうものなら、
<ほら、そこ一速だよ。そこでハンドル左・・・だよ>
<今のは、たいしたことないよ。がんばって>
などなど、救いの手の嵐。
あなた、優しいじゃぁないですか!いい人だ。(←安易な判断)
<ハイ、合格だよ!>
と、免許証を渡されたその瞬間から、彼のあだなは
天使の試験官♪>  
人間ってこんなもんです。はい。
とういうわけで、めでたく免許取得!ドイツの免許は一生ものだそうで、更新もないらしい。公式の翻訳さえつければ、日本も運転できるとか。これから楽しみ!!
参考までに:結局、3回も試験をしてしまったため、総額1800Euroほどかかりました。
一回で取れていれば1100Euro、二回目で取れていれば1450Euroぐらいで大丈夫だと思います。

日常、遭遇したこと、思ったこと・・・を飾らず気ままに書いて行きたいと思います。