一本のおしるこ

先日Dと日本で電車に乗っていた時のこと。その電車は、指定席などがあるわけでもない、いわゆる普通の電車。各車両の左右に長い椅子があり、みんな横に並んで座る形式。その電車の始発駅から、私たちは乗車した。
出発までまだ5-6分ある。空いている席を探し、私たちは車両から車両を移動。数席あいている椅子をみつけ座ろうとしたところ、一番手前端の席に缶ジュースらしきものが置いてある。端っこの席に座りたかった私たちは、反射的にそれを足元に置き、座ったのだが、ふと、頭に不安がよぎった。
私:ねえ、誰かがこの席取ってるんじゃない? 始発だし。
D:えーー、こんなもので取っておくかなぁ?? (・。・)
こんなもの・・・・。そう、缶ジュースと思われたものは、よく見ると
<おしるこ>だった。しかもまだ温かい。
じゃあ、出発まで待ってみよう。(^。^)
そして私たちは、席をひとつ横にずれ、Dが先ほどのおしるこの缶を端の席に置いた。
なにを思ったか、Dは缶を立てて置いたため、その席は
おしるこ様
が着席しているようになった。
ふと、
ねえ、これ危険なものだったりして・・・
という不安も一瞬よぎったわけだが、
ま、いいか♪    (←いいのか?)
と楽天家の私たちは、(動くのが面倒くさかったという説もある・・)結局そこから動かず。
発車ベルが鳴る。他の席はどんどん埋まってくる。残り少ない空いた席を探し車両から車両を渡り歩く人の量も増え、私たちの目の前を左から右から通って行く。
遠くからだと、空いているように見える私たちの隣をめざして、猛スピードで歩いてくる人たち。みんな、横目でちらりと狙う席を定め、クールを装いながらも、かなりの早足で迫ってくる。でも、席に鎮座したおしるこを横目でちらっと見たとたん、どの人も少し恥ずかしそうに、すーっと通り過ぎて行くのだ。なんだかおかしくなって、笑いそうになってしまった。
誰が私たちがしたように、缶を下ろして、座るかねぇ・・・
とDと観察することしばし。電車が出発してからも、その席は相変わらずおしるこ様のものとなっていた。高校生の女の子は、座ろうと思って足を止めたら、おしるこ様と向き合ってしまい、思わず
“おっ”
と短く一声あげ、やっぱり動かそうとはせず、去って行ってしまった。
みんなの反応がなんとも面白い。
電車はすでに発車し、もう誰もその席を取っていないのは明らかなのに、缶を動かして座ろうとする人は誰もいない。結局私たちが下りる頃は、電車はかなりの人で込んでいたにもかかわらず、その席だけは、依然おしるこが鎮座していた。
こんなこと、フランスじゃ考えられない・・・
と、Dがつぶやいた。そしてニヤッと一言。
これから、日本で隣の席に誰も座らせない方法を学んだぞ。
おしるこ、買おっと♪ (^v^)
私:いや、違うでしょ・・・ (-.-)
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生きた音楽とは (5) 最終回

(4)まで書いてから、ずいぶん日数があいてしまった・・・。しかも気づいてみれば、年まで変わってしまった。 (@_@;)汗
<生きた音楽>と題して、どのように音楽に命を与えられるかということを、これまで脈、緊張、色、ハーモニー、ペダルなどを通して見てきた。
そして最終回、もうひとつ意外と無意識になりそうなことについて書いてみたい。
それは、
“戻る”美しさ。
Crescendo、accelerando, やクライマックスへの盛り上がり・・・そういったいわゆる“プラス”方向の変化については、良く意識して演奏する人は多い。ここを歌いたいとか、どういう風に盛り上げたいとか。
ところが、そういったプラス方向への盛り上がりに対し、diminuendo,ritardando・・・など、”戻り” 方向の処理を繊細な意識を持って作っているケースはとても少ない。これらは、盛り上がりを作るのと同じ、あるいはそれ以上といっても良いぐらい演奏において大切な効果を与える。どのようにdiminuendoやritardandoを導くか、あるいは、どのようにペダルを減らしていくか、どのようにフレーズを閉じるか。このような、”戻り方“に細かな意識を払って作ることで、演奏に信じられないほど
美しい緊張感

繊細さ
を与えることができる。
別の例で説明してみよう。たとえば、この世にひとつしかない、ものすごく高価で美しい、手も触れるのも恐れ多いようなグラスがあったとしよう。それを、誰かが自分の前に持ってきてくれて、あなたに見せるために、目の前のテーブルに、慎重にそぉぉぉぉっと、そぉぉぉぉっと丁寧に置こうとしているところをイメージしてみよう。
どうだろう、そこに<息をのむような>瞬間が生まれるのが想像できるのではないだろうか。テーブルに“どん”と置いたのでは、繊細さも何もない。
音楽でも同じ、このような息をのむような美しい瞬間は、聴く人の心を魅了する。
先にあげたもののほか、PP、休符、たった一音の長い音など、楽譜に潜む<美>を少しでも多く見つけ出し、そこに演奏者自身の色を与え、自分しかできない色で、<繊細な>音楽を作っていってほしい。
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学生という日々

学生の時、毎日の学校生活に追われ、あまり考える余裕がなかった。
今、半人前ながら社会人となって、学生時代の宝の山だった有難い日々を痛感している。
私がベルリン芸大の学生だった時代、クラスで定期的に弾き合い会があった。毎回朝の10時、時には9時から始まり、夜の19時すぎまで・・・お昼休み1時間ぐらいを除いては、本当に1日中かかる勉強会だった。
クラスが集まり、演奏したい者が弾き、みんなでその演奏をどうすればもっと磨けるか、頭を悩ませ意見を交わし合う。面白くまた大切だったことは、先生が“こうだ”と教えるのではなく、生徒がみんなで意見を交換するということ。先生は必要があれば、言葉をはさむが、決して“答え”を述べるわけでもなんでもない。みんなで考える、という機会だ。決して人と比べるためではなく、もし今の演奏が自分だったら、どのようにこれを磨くべく練習していけばよいか、ということをいろんな意見を通して様々な角度から考えさせてもらえる貴重な機会だった。なるほど、そんな考え方もあるんだと気付かされたり、自分の意見を言おうと思っても、うまく説明できず、自分のあいまいさを痛感させられることもあった。何となくこうかな、とは思っても、実際言葉でそれを説明するということは非常に難しかった。あいまいでなく、明確な理解が必要とされるからだ。知らない曲もたくさん聴くことができ、新たな発見がたくさんあった。あの楽器から、こんな色も出るんだ・・と、色の可能性をさらに増やせる機会でもあった。頭も、耳も、心も・・・一度にたくさん勉強できた。
そして、レッスンをするようになった今、あの時の経験がどんなに役に立っていることか。
一生懸命ひたすらピアノの前で練習し、レッスンを受け、直してもらって帰る。これでは、卒業後は何も残らない。自分で理解し、消化し、活用していくためには、受け身ではどうしようもない。自発性、積極性そしてエネルギーが何よりも大切だ。
そして自分の練習だけにこもらず、仲間の演奏を聴いたり、仲間と話して栄養をもらったり・・・決して誰かと比べる為ではなく、栄養をたくさん吸収するために、そして自分の考えを方を豊かにするために仲間とともに勉強をする。いろんな人に、いろんな音に、いろんな考え方に触れてこそ、自分というものが熟成されていく。プロの演奏だけでなく、同じ世代の仲間の音楽、考え方に触れる・・・そんな貴重な機会の様に、学生だからこそできる、いや、学生の間しか充分に時間をとることができないことがたくさんある。
今しかない大切な時間。今しかできないことを、積極的にどんどん試みてほしい。決して間違いを恐れずに。
 
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またまた パパ    水戸黄門? の巻き

さすがパパ。ぼけ度が違う。脱帽です。
先日のパパからのEmail:
============
今日はすごく天気が良かったなぁ。
洗濯物も河合太郎!
============
ん?(゜.゜)
と読んだ瞬間 私の頭には、???マークが飛んだ。
おわかりでしょうが、
乾いただろう!
の変換ミスです。ハイ。わざとぼけようと思ってもここまでぼけられん。
あの人は天然だからなおさらすごい。
ここまで、河合太郎! って言いきられると、
この紋所が目に入らぬか!
の勢いである。
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うちのパパ      “誰それ?”(-“-)  の巻き 

時々ひょうきんなうちのパパ。またやってくれました。
先日、“ゆかり”という名前のおいしいえびせんべいを買ってきてもらいたく、
パパにお願いしていた。
パパ:お、“ゆかり”ね。了解了解。それはどこの会社が出してるお菓子?
私:○○会社だよ、デパートに行ったらあるからよろしくね!
と会話を終え数日がたったある日、パパよりメールが入った。
パパメール:
おう!この間の“さゆり”買ったぞー
私:(-.-)
“さゆり”とご丁寧に“ ”で囲んでいて、えらく自慢げなのだが、
あのぅ、
さゆりって・・・、いったい誰じゃぁ(――〆)
結局、正しいものを買っていたのだが、なぜか数日の間にパパの頭の中で
“ゆかり”が“さゆり”になっていたらしい。
お店の人に、“さゆり”ください・・・って言わなくて良かった。ほっ(+o+)
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あけましておめでとうございます

ベルリンは、かなりの寒さにも関わらず、爆竹の嵐の中(笑)、2009年を迎えました。爆竹やパーティーで朝方まで遊んだ人たちがぐっすり眠っているのか、お正月の朝はいつもとても静か。今冬は、かなりの寒さで通りにうっすら霜が張っている。
今年もまた私にはいくつかの目標がある。そのひとつとしてDと二人で試みたいことがある。それは一か月に一度ぐらいのペースでも良いから、何か芸術に触れていきたい、ということ。日頃の生活はありがたいことにレッスンなど音楽にあふれているのだが、ついつい、それ以外の芸術に触れたり、演奏会に足を運んだり・・ということから残念ながら遠のいていたのが昨年だった。
Dが普段から口癖のように言っていることがある。
いつも何か前向きに動き続ける必要がある。
ということ。つまり受け身にならず、能動的に新しいことをいつも求めていく姿勢だ。受け身になると、生活がマンネリ化してしまう。レッスンをするという仕事を始めてあらためて感じたことは、新鮮さを、そしていつも新しい感覚を持ち続けることの難しさ。たとえば、何年も指導をしていると、生徒さんは変わっても、同じ曲を何度も指導するということになる。いつも新しい目と耳で毎回聴かないと、同じ曲は同じようなレッスンになってしまうという危険がある。
感性を磨き続ける。その大切さと難しさは本当に痛感しているところだ。私の人生の目標は、毎日一歩でも、いや半歩でも良いから人間として成長し続けること。そのためにも積極的にいつも前を向いて何かに挑戦していたい。そして、それが壁にぶつかったらまた考えれば良い。後ろは振り向かない。それが私の生き方と思っている。
そんなわけで、今年は定期的に芸術に触れたいという思いから、今日早速、ベルリンの東洋美術館に行ってきた。恥ずかしながら13年目のベルリン生活で初めて足を運ぶ美術館だ。
今ちょうど葛飾北斎や歌麿などの作品があるという。
行ってまず感動♪ というのは、
今日は無料です。
だって!
さすがヨーロッパ。元旦の美術館は無料なんて、すごい。ゆったりとしたスペースに、韓国美術、中国、日本、インド・・などなどアジアの芸術が展示されている中、お目当ての日本作品へ。
今にも音が聞こえそうな波や滝の描写もあれば、ユーモアも交えた作品もある北斎をはじめ、美人画や屏風など、品良く多種多彩にまとめてあり、非常に楽しめた。
が・・・
わたくし・・・正月から美術館のアラームを鳴らしました、ハイ。
北斎の作品はうすーくガラスで覆ってあり、額に入った絵のような感じ。Dとあの滝の描写は・・・などと絵を指しながら盛り上がっていたら、ピーンピーンとアラームが。
どうも白熱した説明の余り(?)指がそのガラスにちらっと触れたらしい。ずいぶんなセキュリティーだ。
というわけで、2009年1月1日、真面目口調で始めてみた、やっぱりおっちょこちょい話でおわってしまう私のブログ。こんな感じですが、今年もよろしくお願いします。笑
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