MusicAlpティーニュ夏期国際音楽アカデミー2014を終えて

今年も1か月ほど、フランスのアルプス標高2100メートルの街で貴重な体験をしてきた。私は今年、総勢50名ほどの生徒をレッスンさせていただく機会に恵まれた。そして何よりも、様々な国籍の、さまざまな年齢の人たちとの出会い。これはそう経験できることではないだろう。私の人生にとって貴重な日々、ということばに尽きる。
今回めずらしくメキシコ人の生徒がいた。26歳。すでに音楽学校を目指すメキシコの子供を教えたりしているという。慣れないヨーロッパの講習で最初は落ち着かない様子だったが、徐々にレッスンの聴講に頻繁に訪れるようになった。最終日、ゆっくり話す機会があり話を聞いてみると、講習会初めの方で日本人受講生の演奏を聴いて、今まで知っていた世界とは全然違う世界のレベルだと気が付かされたという。メキシコの中と外の世界。はっと気づかされ、そして必死で何かをつかもうと聴講に通う姿に心を打たれた。この講習会で視界を広げる機会になったという。そして、
『あなたは本当にWonderful Jobに恵まれている』と輝いた目で言われ、はっと初心にかえらされた。
今回の講習では私もDも珍しいほど本当に頻繁に”テクニック”の話をした。国籍は違えど、テクニックというものについて、じっくり考えないまま来てしまい、思うように演奏できなくなったり、痛みを感じたり、苦しんでいる人がたくさんいた。そして何とか糸口をと、テクニックの話に興味を持つ人の多さに驚いた。テクニック、といってもまさに根本の話を求められることが多かった。重さとは何か、指を使うとはどういうことか、指をどうやって使うのか、座り方、呼吸・・・そしてピアノを弾くとはどういうことかにまで及んだ。言葉で納得のいく説明を求められるわけだから、こっちも頭の中をフル回転でできる限りの言葉を尽くして答えた。そのおかげで、私自身これまた基礎を見直すものすごく良い勉強になった。
とある生徒が、無理のある演奏の積み重ねで何もかもうまくいかず、でも年齢などの焦りからコンクールを準備しようとしていて、焦りとプレッシャー、そして弾けないという事実に、日々顔から笑顔や表情が消えて行くのを目にした。講習会とはいえ、私は最後のレッスンで通し演奏を聴いた後、レッスンに入らず、ひとこと、こう伝えた。
あなたは今、音楽のために音楽をやっていない。
そしてこう付け加えた。
そういう方向で音楽をすることで、幸せさまで失っている。音楽をすることで不幸せになるのなら、音楽をする意味があるだろうか。
私にとって大切なことは、音楽の専門的勉強をするにあたり、当然苦しかったり、もがいたりはしても、その結果として、その人の人生が幸せになるよう努めることだ。私は私が接する生徒すべてに対して、そればっかりを考えている。
何のために音楽をし、何のためにコンクールを望み、何のためにがんばっているのか。どんなに一生懸命やっていても、うまくいかないとき、ふと足を止めて考えてみて欲しい。
自分は音楽のために、音楽をしているだろうか。
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バレンタイン♪

今年のバレンタインは、な~んと大学の試験期間。涙 
文字通り毎日毎日毎日・・・・試験を聴く日々が続いていたDの疲れはマックスに達していた。
生徒の一人が試験を弾き終わり休憩に入る。ホールのフォワイエで立ち話をしていた時、
我らが門下の女の子たちがじわりじわりと近づいてきて、Dに
ハッピー バレンタイン♪
とチョコを差し出してくれた!なんと3人で用意してくれたとか。Dの足にバネがついていたら、天井まで飛び上がったほど嬉しかったに違いないのだが、それを押し殺しニンマリとしていた。それに続いて、なんともう一組の女の子2人も
私達からも!チョコ♪♪
Dの内面を代弁すると
(・∀・)(・∀・)(・∀・)!!!
であったと思われる。
いやぁ、いったい何年ぶりだろう。かわいい女の子たちにバレンタインを祝ってもらうなぞ。
そして家に大事に大事にチョコを持ち帰り、よくみるとかわいいカードが添えてある。
Valentine1.jpg
日本語もあり。Dはちょうどひらがなを学んだところだったので、がんばって読もうとトライしはじめた。
Valentine2.jpg
D :うーーーーん、 ん、ん、ん、
最初の文字は、”お”
私:いいねえ!次は?
D :んーんーんー・・・  
“に”
“二人”の”二”をたぶんカタカナの”二”と思ったらしい。
そして
D :お ….ニ…..
(–)(–)(–) シーーーン
D : え、オニ?!オニ?!(><) 鬼!!  (* ̄□ ̄* ;がーん(* ̄□ ̄* ;がーん(* ̄□ ̄* ;がーん D :どうして"オニ"なんて・・・  o ( _ _ )o ショボーン となってしまった。 それもそのはず、昔パリのコンセルバトワールで教えていた時代、Dはとぉっても厳しい先生だったらしく、当時の日本人組に 「鬼のドゥヴァイヨン」 と呼ばれていたらしい。 私 : あ---(;^_^A アセアセ・・・ ちがうよー。お二人、だよ 二人♪ ちゃんと説明しておきました。(*^_^*) 生徒ちゃんたち、ありがとう!とっても喜んでいましたよ♪ 私のサイトFromBerlinへは こちらから

わーい

生還~~♪
終わりましたー、親不知♪ ( `―´)ノ
10時の予約で2分前に到着。そのタイミングで友達がSMSをくれて
頑張って!と。嬉しかったなあ。
担当はいつものG先生。私が絶大な信頼を置いている先生。顔を合わせて、
私:やっと最後の一本ぬく決意ができました♪ と言ったら、
G :あれ、右の下は?
私:以前あなたに抜いてもらいました。
G :あ、そうだっけ?
忘れているらしい。ま、そうだよね。
調べてもらったらなんと前回右下を抜いたのは2008年。それから残りの左下一本を後回しにし続けること..
・・・・6年 orz
右下と同じく、左下も歯茎の下で真横に生えているやっかいもの。前回(2008年)は凄腕のG先生も苦労し、口の中は工事現場化。ゴーゴー、ドッタンバッタンとすごいもんであった。麻酔があるので痛みはないが耳の真横での振動がすごい。そして1時間格闘のこと砕いて砕いて取り出したという苦い思い出がある。
彼は、歯の治療がうまいだけではなく、麻酔が信じられないほどうまい。痛くいないのだ。今回も3本打ったけど、1本目は何も感じず。2本目はほんのわずかに、ちくっぐらい。すごいなあ。
そして麻酔を打ち終わり、口の中に少し麻酔液が垂れているなと気になっていたら、
先生から、
G:口をすすいでいいよ
というありがたいお言葉。
そして起き上がろうと思ったら、
ごくっ
あ、飲んだ・・orz
5分ぐらいして喉まで麻酔が効いてきたのでありました。
・・・
そうこうしているうちにG先生からのアドヴァイス。
G :今日はこれらのことはダメですよ:
コーヒー、酒、たばこ、そして固いものを食べること。
言われなくてもしないであろう・・・。
そして、アスピリンを飲んではいけないと。
そーなんだ (゜.゜)
さ、これから1時間の格闘だ・・・と思った矢先、7分ぐらい経っただろうか。
G先生:抜けたよぉ♪
私:えー?(‘-‘) 
早いですねえ 
(と言ったつもりだが、口を開けているので  日本語でいえば、
ホハヒデフヘ・・・ぐらいだったであろう…)
そして
R :それにしても前回よりずっと早いですね
G :そりゃあ2008年からだいぶ練習したからねえ( `―´)ノ
(私):れ・ん・しゅ・う (゜-゜)
G :まじめな話、技術が進歩して道具もずっとやりやすくなったんだよ。
とのこと。さすがドイツ。医療の国である。
そして最後に縫う作業で締めくくり。作業中G先生が、助手Aさんに
G :この糸の向こう側切ってくれる?仕事しやすいように。
向こう側ね。
A :はい、
G:向こう側の糸ね、向こう側
A :は、はい
・・・
G:あー違う!
A :チョキッ 
シーー( ̄、 ̄*)――ン
G :んーーー
A :ゴメンナサイ・・・(*_*)
私:・・・・・
というわけで間違った糸を切ったらしいが、うまく終了♪
出血もほぼなし。
最後に、よーーく冷やしてね。よーーーーく。そうすれば腫れないし痛くないから。とこれをくれた。
Zahnarzt.jpg
前回は巨大版をくれていたので、家に帰ってこれに変え、しっかりしっかり
今冷やしております。
Zahnartz2.jpg
これでもう親知らずの心配はいらない♪わーい。

万国共通?!

来週のレッスン日程は、○○○のせいでまだ決められないの、ごめんね・・。と生徒たちに伝えたら、どの生徒も眉毛が下がり眉間にしわを寄せて
あーーー、わかります。
と、心から同情した顔をしてくれるので、なんだか微笑ましくて笑ってしまった。
普段あまり表情を表さない生徒すら顔いっぱいに、あー、わかる、という同情のまなざし。
日本人生徒はもとより、韓国人、中国人…そしてロシア人まで同じ表情をした。この苦しみに国境なし!
そう、親不知 (。・_・。)
残りの一本を、近いうちに抜くのです。ハイ。
いやですよねぇ、あれ。前回下の一本を抜いたのはもう5年以上前だと思う。
歯医者さんに、すぐにもう一本抜いたほうが良いよ、勇気がなくなるから、と言われ
( ̄^ ̄) エッヘン 大丈夫!
と思っていたら、いわんこっちゃない、後回し、後回し・・・の結果、今になってしまった。
とても上手な歯医者さんなので心配ないのだけど、何よりつらいのは1時間口をあけっぱなしになること。
短時間で終わりますように…..
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色(最終回)

他にもある。例えば、ショパンのスケルツォ二番冒頭。 シーラシレファ、ラシレファッッッ ・・・シッ と来るこの5小節目始めのシのタイミング。これをインテンポの中ではあるが、テンポいっぱいいっぱいぎりぎり遅めのタイミングで入ると、直前の休符に更に緊張が加わる。せかしたような切迫感のある曲なら、インテンポの中で、ほんの少し早めに入るような感じで音を置くと待ちきれなかったような印象が出る。これは
色=表情 その③
タイミングによって表情に変化を加えるケース。
これらはほんの一例で、いくらでも表情を変える方法はある。それを探すのが音楽の醍醐味で、ピアノという楽器の可能性に驚かされ、引き込まれていく。
音に、そして響きに敏感になって、自分の求める物にできるだけ忠実に近づけるよう、探しぬく生徒が一人でも増えてくれることを願っている。
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色(3)

じゃあ、今度は例えば ソドミ という和音があるとする。これに暖かいとかホッとするような表情を出したかったらどんな可能性があるだろう?
生徒:重さをかける?
こういう返事は本当に多い。とにかく『曖昧』なのだ。もちろん音楽には、これ!という一つの答えがあるわけではない。でもそれと曖昧では話が違う。
一つの音のイメージを持ったら、その音に近づくようできるだけ突き詰める。それができたら、今度はほかの色や方法があるかもしれない、と探してみる。そうすることで想像力、そして耳が育っていくことにつながる。でも曖昧にしては絶対にダメだ。耳が曖昧を覚えてしまうから。
ハンマーが弦を打って鳴らす、つまり打楽器要素を持つ楽器であるピアノにいくらうんしょこうんしょこ重さをかけたって音は暖かくなってくれない。
話を戻し、ソドミという和音を取り上げてみよう。和音の各音を▽と〇と□という三つの積み木だと思ってみよう。例えばソドミという和音の積み木を作るのに、ソが▽の積み木だとすれば、その上に積み重なる積み木はグラっとするのがわかるだろう。でも□がソだったら、その上に積み重なる和音を安定感をもって支えられる。つまり、和音の一番低い音を▽のような鋭い音を選ぶか、□のようなどっしりした音を選ぶかで、同じソドミでできているはずの和音の表情が不安そうな表情になったり、安定感のある和音になったりと変わるわけだ。これは
色=表情 その②
バランスによって表情を変えるケース
和音の一番上の音で話をすると、上の音を明確な細い音にすると、上へ飛びあがりそうな和音になるだろうし、丸みを帯びた音にすれば、和音の表情が和らぐ。
どうやって細い音や安定した音を作るかは、また別の話なので、これを始めると延々とこの記事が終わらなくなってしまうから、その話はおいておこう。(*- -)ノヽ△ポイッ
続く
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ベルリンのクリスマス?

とあるクリスマス直前、Dとベルリンの街を歩いていたら、後ろから車道に白バイ数台がピカピカ光らせながら私たちを抜かしていき、前の方に走っている車の前に回りこみ、強引に徐行運転をし始めた。当然白バイの後ろに続く車も徐行を余儀なくされ、年末の車の多い時期でもあったため徐々に渋滞が始まった。そのうちそれらの車を道路脇に寄せ、大通りの真ん中を開けさせている。
なんか物々しい感じがして
偉い人が乗った車でも通るんじゃない?(¨ )
と足を止め後ろを見ると、遠くから何かが近づいてきた。
それはこれ。(↓クリックすると大きくなります)
Noel1.jpg
なんとおびただしい数のバイクの車列!!しかも全員サンタ風の服を着ている!!
アップにするとこれ!
Noel2.jpg
結構ギンギンだ。
そしてサンタバイクは続く続く・・・100台どころではなかったと思う。
微笑ましい車列に思わず笑みが出たものの、このために大通りを通行止めにするベルリンとは・・・。
そして何よりバイクを運転していた数百人はいったい誰なのか・・・
わからないままである。そして奴らは去って行った・・・
Noel3.jpg
したいことをする!自由自在のベルリン♪万歳!(*^_^*) 
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思うこと

世間で騒がれているニュースと最近身の回りに起きたこと。たまたま重なったそんなことから、いろいろと考えさせられる日々を送っている。
ありがとう、ごめんなさい。この二つは、もっとも簡単で最も難しい言葉なのかなとあらためて感じる。ありがとうの一言で、お礼を言われる側にとっては、相手はちゃんと自分を見ていてくれたんだ、と感じて心あたたまるだろうし、ごめんなさいの一言が、傷つけられてしまった側にとっては、相手はちゃんと自分の傷を見、思っていてくれたんだと感じさせてもらうことにつながる。
悪気がなかったのだから、などという言葉を耳にすることがある。確かにそうかもしれない。本当は”良い人”が”悪気なく”やってしまう行為もある。むしろそういうことが多いかもしれない。でも悪気がなかったかどうかを論争している時点で、何か忘れ物をしていないだろうか。
理由がどうであれ、事情が何であれ、もしも周りに傷ついてしまった人が生まれたのであれば、それはやはり他人を傷つけたわけだ。どんな時でも相手がいること、相手へのRespectを絶対に忘れてはいけない。
もうすぐ2台ピアノの演奏会をさせていただく。予定されていたBartokの2台ピアノと打楽器のためのソナタが急きょ演奏されないことになった。突然浮上した『打楽器運送費が予算オーバー』という話。そのために曲を変えて欲しいと連絡を受けたのはつい数日前。
まさに寝耳に水のこの事態に、まっさきに私とDevoyonの頭に浮かんだのはBartokを楽しみにしてくださっているお客様のことだった。何とか打開策をと必死になった。決断を急がれるので、打楽器奏者、主催者に夜中まで電話とメールでの打開策探しを試みた。こういう手段はないか、ああいう手段はどうかとDevoyonと何度も何度も、文字通り一日中必死で考えぬいた。こういう時、
主催者、打楽器奏者、私たちという3角形が”一つの方向”を見据えて考えて協力して動かない限り解決の扉は開かない。主催者と打楽器奏者の間に何があったのかわからないが、
今見るべきその1つの方向とは
『自分』ではないはずだ。
残念なことに1枚の扉は電話に一切出ることはなく、メールで一方的にキャンセルの意向ばかりを告げてくるという開かずの扉となってしまった。
そして私たちの心の奥底にチクッと痛みが走った。
開かずの扉はいつかそのドアを開く時、何か感じてくれるのだろうか。

色(2)

前回の色についての続き。
では、音楽でいう色とは何か・・・
それは音が持つ【表情】だ。
生徒の話に戻ると、暗いとか明るい、暖かい音、冷たい音…そんな、レッスンでよく耳にする言葉の意味をじっくりと考察することに欠けていると感じた。暖かくと言われたら、『暖かく』と楽譜に書いてなんとなくそんな音を出して通り過ぎる、そういうケースを本当に多々耳にする。きっとまだ ”探す”ことの面白さが見いだせていないのだろう。
私:あのね、例えばこの音
–といって私が 「ド 」と1音鳴らす–
私:この「ド」は何色だと思う? 
実はね、何の色でもない(!)んだよ。
言い方を変えれば、一音だけこうやって弾いても
明るくも暗くも、幸せにも痛みにもなり得るっていうこと。
生徒:ポカーン~(・・?)  (地蔵、凍る・・・の巻。)
私:例えばね、少し前にすっごくハツラツとした音楽があって、その後にポツンと今の『ド』が来たら、悲しげに聞こえるかもしれない。 あるいは、すっごい緊張した音楽が前にあったら、ホッとして聴こえるかもしれない。つまり、前や後ろとの関連でも音の色は変わる。だから、その音だけ練り回して練習すれば良いとは限らないのはわかるよね? 
ここで冷凍地蔵だった生徒は、解凍地蔵ぐらいには戻ってきた感じである。
今の話は
色=表情 その①
『前後の音楽と比較して表情を生むケース』
である。 
(続く)
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日常、遭遇したこと、思ったこと・・・を飾らず気ままに書いて行きたいと思います。