いいのか日本? 

いいのか日本? 
先日、父がとある郵便局に電話をかけた時の、本当にあった会話である。
私は父のそばに座っていたものの、電話の向こうにいる郵便局員の返事は聞こえないので、聴こえてくる父の発言を追って話の流れを聞いていた。
==
父:もしもし、××郵便局ですか? 日本から国際送金をしたいと思っているのですが、
そのレートをおうかがいさせていただきたいと思ってお電話しました。
・・・・・・・・・・・・・・(郵便局員返事中)
父:いえ、あのですね、ヨーロッパにお金を送ろうと思うので、ユーロのレートをおうかがいしたいのですが。
・・・・・・・・・・・・・・(郵便局員返事中)
父:(苦笑)そうではなくてね、送金ってあるでしょう。お金を送るの。それで
ユーロのレートを知りたいんですよ。レートね。
・・・・・・・・・・・・・・(郵便局員返事中)
父:いやいや、冷凍食品じゃないの。冷凍食品じゃなくてね、レート、レートですよ。
1ユーロが何円とか。
父:あ、そうですか。番号が違うの。じゃあそちらにかけてみますね。
==
と、こんな感じ。
郵便局に、
ユーロ送金のレート 
といって問い合わせているのに、
その郵便局員は
<ユーロという食べ物>

<冷凍食品>

<送りたい。>
と解釈したのである。ありえない・・・
はっきりいってあり得ない。(-“-)
父と二人で 
はぁ?(゜゜)
となりながらも、父が教えてもらった電話番号にかけると
<この番号は、現在使われておりません・・・、番号をお確かめの上・・・>
だってさ。これが日本の今である。
いいのか・・・
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第2弾CD発売開始です!!

待望の(?!)第2弾CDとなる私たちのDUO録音が、2010年4月21日レグルス社より発売になりました。CDのタイトルは
<編曲の名手たち>
作曲家自身がオーケストラから2台ピアノあるいは連弾に編曲したもの、あるいはその反対に2台ピアノからオーケストラに編曲したもののみを集めた非常に興味深い作品ばかりです! それぞれの作曲家がピアノという楽器を知り尽くしていたという事実、そして音というものを用いて、魔法のような音色を生み出し独自の世界を表現するという信じられないような能力を存分に感じられる事でしょう。
収録曲は
デュカス 魔法使いの弟子
ドビュッシー 牧神の午後への前奏曲
ドビュッシー 海
ラヴェル スペイン狂詩曲
ラヴェル ラ・ヴァルス
シャブリエ エスパーニャ
です。
曲目解説は、私たち二人で作り上げました。日本語、英語、ドイツ語、フランス語の4か国語になっています。
色、響きが命であるこのフランス音楽を、私たち二人で念入りに模索し、ピアノという楽器から出せる色という色を最大限に探し求め、存分に引き出し作り上げた自信作です。
お一人でも多くの方に聴いていただけたら嬉しいです。
お問い合わせは、レグルス社まで 電話:045-983-9596
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意味のある練習をする  ~譜読みで注意する事(1)~

最近とても気になる事がある。
“あること”
への意識があまりにも薄いことだ。
意外にもかなり多くの生徒さんに共通しているのだが
それは、
1)指遣いの選び方

2)テンポの選び方。
まず指遣いについて書いてみたい。なんだかとても弾きにくそうにしている様子を見て、
私:どういう指遣いにしてるの?
と聞くと、
生徒:え?書いてある通りですけど。(゜o゜)
というあっけらかんとした返事。まるで私がクイズを出して、“答えならここに書いてありますよ?!”という感じだ。
私:書いてある指遣いで弾いてみてどうだった?良かった?
生徒:良かった?って書いてあるのは良くないんですか?
やはり楽譜に書いてある指遣いは、“答え”だと思っているようだ。
私:他にどんな指遣い試してみたの?
生徒:いえ、これしかやっていません。
私:(・・)シーン
このやりとりは、本当に多い。そしてとても深刻な現実問題だと思う・・。
指使いというのは、何か。それは<表現するための手段>だ。このことを忘れてはいけない。絵を描くなら筆や鉛筆、ペン、クレヨン。物を切るならカッターやナイフ、のこぎり、はさみ。何をするにもその時の用途に合わせて都合の良い大きさや部品を選ぶ。
ピアノを弾く時、もちろん“手”が1つの大きな素材になるわけだけど、その手は千差万別。みんな違う。大きさ、柔らかさ、広さ、長さ、厚み・・・すべて全く同じ手などないだろう。同じ人物でも左右だって多少違うかもしれない。
楽譜に書いてある指遣いには二種類ある。1つは作曲家自身が書いたもの、そしてもう一つは出版社や編集段階で関係者の方が加えているもの。
作曲家自身が書いている場合、音楽的にこうしてほしい・・・という特別なメッセージの場合もある。特にショパンがそうだ。たとえば
右手で降りてくる“ソ-ファ#-ファ♮”という3つの音に5-4-5などという使い方を書くのは彼の典型的な例だ。触れるような、あるいは撫でるようなデリケートさが欲しいときなどに書かれている。そういう特殊な場合を除いては、これが弾き易いであろうと言う参考までに書かれているケースが多い。
指遣いを選ぶ時、一番の目的であるべきことは
1)表現したい音や表情づくりを可能にするもの
そして
2)自分の手にとって自然である事
だと思う。ただ単に”弾き易い“という理由での選び方はもちろん一番まずい。たとえば弾き易いからといって選んだものの、レガートにならない指遣いなどは問題外である。まずは<音楽>が目的であるべきだ。
楽譜に書いてある指使いを試してみる事ももちろん不可欠。ただ、それに加えて<音楽>と<自分の手>の両方にふさわしい指遣いが他にないか、あれこれ試してみるということは、絶対に欠かせない作業だ。
音楽に“1つの答え”はない。この色もきれいだけど、あの色でも良いかもしれない。指遣いも同じで、あれこれ試して自分の手を知る事、自分の手に耳を傾けることを忘れないでほしい。
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またしても

先日5月1日に恒例のオケとの演奏会があり、ここしばらく半端なくテンパっていた私でした。私の本番は前半の最後。演奏会も無事終わり、休憩時間に生徒さんや友達などたくさん楽屋にいらしてくれて、花束なんぞたくさんいただき幸せに浸っていた私。後半はムソルグスキー展覧会の絵と、ラヴェルボレロというオケのプログラムなのだけれど、後半を聴かずに失礼しようとDと荷物をまとめた。
いつもはそのまま楽屋口から出るのだけど、Dが
あ、この扉ホールのロビーへつながっていてバス停に近いよ♪
と温かいご提案。ドレスやいただいた花束の山で前が見えないほど荷物を持ち、フィルハーモニーホールのロビーへと出た瞬間・・・
ボフッ!!
バサバサ
あ・・
シーーーン
・・・・・・・・・・
ええと、わたくし・・
エェー、コホンッ!(;-o-)o”
またもやコケました。(・_・;)
それも、花束を持って前へ遠慮もためらいもなくヘッドスライディング 
コケッ! ミ(ノ;_ _)ノ =3
っとこんな感じです。はい。
ちなみに解説すると、
ボフッッ!と階段を踏み外し
(なぜか扉を開けてすぐに一段だけ降りる段差があったのですが、まったく視界に入っておらず。)
バサバサっと花束ごと崩れ落ち
あ・・・ とDが呟き
シーンと地面にピクピク倒れておりました。
そしてそのバックで、
ソーファーシ―ドファレー♪♪
と流れる展覧会の絵。
なんと哀れな私・・・。
そしてDが一言:
それにしても、ものすごい勢いで視界から消えたね・・・
助ける暇もなかった・・
とのコメントでございました。
はあ、こけるときはどうしてこうダイナミックなんだろう、私・・。
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さすがドイツ?!

音大の中で催されるクラスの発表会や卒業試験演奏会・・・私のいるベルリンでは、そういう学生の演奏会を楽しみにしているドイツ人おじちゃんおばちゃんが意外と多い。演奏する人の家族でも知り合いでもない。ただ単に、若い方の演奏する姿、そして成長していく姿を心から楽しみにしているのだ。私たちのクラスは半年に3回ぐらいのペースでクラスの生徒が学内演奏会をするのだが、それを毎回楽しみに足を運んでくれる人の多さに、生活に音楽が浸透していると感じることがたびたびある。
先日、ある生徒の卒業演奏会があった。演奏会直前にホール入り口で
やぁ、こんにちは!と声をかけられ、振り向くとそこにいたのは、なんと私の歯医者さん。
そして同じ診療所のもう一人の歯医者さんと彼らのアシスタント、総勢6-7名の軍団が勢ぞろい。あの診療所メンバーが、ほぼまるごと全員来ていた。(残念ながらこのブログ登場のA子はいなかった・・)そう、この歯医者さんは私のかかりつけで、とても上手だ。
その歯医者さんには私が紹介した友達がたくさん通っている。なんかあなたが来てから僕の患者は音楽家ばかりだ・・と言われたぐらいだ。その卒業演奏をした彼も紹介した一人で、歯医者さんが聴きに来てくれたというわけ。自分の患者の演奏会に行くなんて・・・。私とDの演奏会にもアシスタントAが来てくれたし。本当にすごい国だ。
今日の診療は早めにあがったんですか?ときくと、
うん、最後の患者さんをキャンセルしてコンサートに来た♪
だって。いいのか? (・_・;)
そんなわけで、歯医者7名と言う不思議な団体がホールに紛れ込んだ。私は人の少ない後ろの方がゆったりしていて好きなので、そこに座ったのに、私が座っているあたりが良い席だと勘違いしたらしく、私の前の列を7名で陣取ってしまった。彼らはズウタイがでかいので全然前が見えやしない。結局私が少し横に移動する羽目になった。もう。(-_-メ)
その歯医者軍団は、クラシックとはほど遠い。どれほど遠いかと言うと、以前私がメシアンを弾く時なんて、
僕はクラシックよくわからないけど、それはポップスとかジャズとかとは感じが違うの?
と聞いてきたほどだ。メシアンとポップス・・。(-“-)
それほど遠いとなると、演奏会を聴く=映画を見る という感覚である。演奏中は落ち着きがなく動き、しかもしゃべる・・・。そしてアシスタントの女の子たちなんか途中で、かばんからあめを出し始めてしまった。やばいサインである。
そして間もなく、ちゃりちゃりちゃりちゃり・・と飴の紙の音が・・・。これが相当長く続き、周りの人が振り返るほどになってしまった。ちなみに私はこのちゃりちゃり言わせる人間を普段から、ちゃりばあ。と名付けている。
このちゃりばあは、演奏中のとーっても静かなところで豪快にくしゃみをするという絶妙なタイミングの才能を持った人でもあった。あっぱれ。
前半が終わり休憩に入るとき、その歯医者さんが私に、これで終わりだね♪というので、
まだ半分ですよ!と言うと、驚いた彼はもう一人の歯医者に、半分だって!と伝え、更に驚いた彼がそのアシスタントに、その彼女から隣の友人に・・・
ねえ、半分だって!

え、半分らしいよ。

まだ半分だってー。

ねぇねぇ・・
・・・と伝言ゲームされていた。
何なんだこの軍団。((+_+))
とはいっても、演奏会に知り合いが来てくれるというのは演奏する者にとっては非常に嬉しいことだ。演奏した彼もとても喜んでいた。(←フォローになったかな?( ̄― ̄)ニヤリ)
かかりつけの医者が演奏会に来てくれるなんて、それにしてもドイツ・・・さすがである。
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意味のある練習をする   ~暗譜(3)最終回

先ほど、
“その道中にある、一つ一つの家の形、門の大きさ、色、あるいは看板・・・そんなこと全部覚えているだろうか。それがなければ到着できないだろうか。もちろんそうではない。つまり、無意識に“いくつかのポイント”に絞って道を覚えているわけだ。“
と書いた。だからと言って、目印以外は覚える必要がないといっているのではない。すべての音が必要不可欠で大切である。ただ、いちいちここが何の音・・何度、何調・・・そんなことを頭で追っていたら間に合わないので、目印を抑える、ということ。さっきの道の例で考えてみよう。道を歩いていて、目印としていた建物ではなくても、今までにあったお店がなくなっていたら、それに気が付くし、だからといって道に迷わない。それは必要なだけ全体が把握できているからだ。あの角に薬屋さんのビルがある。それがわかっていれば良い。何階建てで何色の看板がかかってて・・・そんなところまでは確認しながら歩く必要はない。良い意味でのバランスをつかむことがとても大切なのだ。
またすごく速いパッセージなどでは、一つ一つ頭で音を考える時間はない。ここでは、指の感覚としての記憶が必要になる。(指の記憶) 全部の音は丁寧に聴きとりながら(耳での記憶)同時に指が覚えていると、いちいち頭で考えずに弾くことができる。つまり練習のときに、ゆっくり目のテンポをとり、耳で一つずつ音をキャッチできる癖をつけ、同時に指の感覚を体に入れることが必要になる。目で見て狙い撃ちするのではなく、指から指へ移す感覚だ。
たとえばテレビゲーム。(すぐ例がぶっとんでしまいスミマセン・・・)
昔何回もやったゲームをしばらく遊んでいなかったとする。数年後にもう一度リモコンを握ったら、説明書を読まなくてもなぜか手が覚えてるっていうことないかな。
もっとまともな例を出せって? うーん。(^▽^;)
じゃあ、携帯電話でのショートメッセージとかテレビのリモコンとか、自分の機械なら0から9までの数字をいちいち目で見なくても打てるでしょう?!
指の感覚での記憶力って本当にすごい。触っただけで紙か金属か・・など見なくても判断がつく。
1)指先に脳がある。
そして
2)脳は鍛えなければ育たない。
この2つを忘れないでほしい。
いずれにしても、譜読みの時点での徹底した分析と暗譜,これが確実で最短な譜読みと暗譜の手段だと私は思う。
全体像を見ないまま、音をパラパラと鳴らして譜読みすることほど危険なものはないことを覚えておいてほしい。
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意味のある練習をする ~暗譜(2)

前回書いた“目印となるポイント”とは何か。それは例えば調が変わるところ、或いはさっきと同じ形なのに良く見ると、一回目とは少しだけ変化している音など何かが起きているところ。つまりここで大まかなハーモニーや調性のアナリーゼが役立つわけだ。その細かな変化のうえで非常に大切になるのが左手だけ或いは内声の暗譜。これは必要不可欠だ。左手や内声、そういう一瞬脇役に見えるところが、実はハーモニーや調がかわるきっかけ(=キーワード!)になっていることが非常に多いからだ。
先ほどの4種類(目、頭、耳、指)の記憶のうちどれをどう使うかという話だが、まず楽譜上でこの辺でページが変わる、この辺に音が多い・・・などの視覚的な記憶は、ぼんやりとでいいけれど、かなり大切だ。今自分がいる位置が漠然と把握できるうえに、一部で何か起きてしまった時に今の自分の居場所が分かると対処しやすい。(目の記憶
そして、前述のハーモニーが変わるところなど、和声の変化。これは良く誤解しているケースがある。もちろん、ここからC-durになる、ここは5度から6度になる・・・そういった大まかなアナリーゼをしていることは不可欠だ。(頭での記憶)でも、それだけで十分ではない。時々私の生徒さんから、
何が何度に行くとか、ちゃんとわかっているはずなのに通して弾くとわからなくなるんです・・・
という言葉を耳にする。でも、頭でC-durになるとか5度から6度になる、2回目は<ソ>ではなく<ラ>になる・・・なんて思っていても実際弾いているときに間に合わないし、そんなことばかり考えていたら分析を聴いているような演奏になってしまう。楽譜にはちゃんと生徒自身によるアナリーゼが書いてあるのに、実際暗譜になるとだめだというケースも多々見ている。私たちは演奏家を目指している。試験をしているのではない。演奏から“生きた音楽”を求めているわけだから、アナリーゼをそのまま記憶するのではなく、演奏するうえでキャラクターや色に役立てなければ何の意味もない。変化が起きる場所は、その変化を耳で覚える。変化するところでは、何が何度になる・・・ではなく、<キャラクター、表情、色などの変化を耳で覚える>のだ。(耳での記憶
(続く)
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意味のある練習をする  ~暗譜~ (1)

永遠の課題ですねぇ、あんぷって。どうしてまたこう入らないんだろう・・・と最近苦心しております。赤ちゃんの吸収能力から比べたら、脳みその柔らかさの違いは明らかにあるよなぁ・・・。ガーン(* ̄□ ̄*;
しかーし、だからと言ってあきらめるわけにはいかず、私は私なりに、なんとかしなければいけないのであります。(←自分に言い聞かせているって?汗)
そういうわけで、暗譜というものを、できる限り確実にいれるためにいろいろと模索し続けて数年。今思うところをちょっと書いてみたいと思います。
暗譜というのは、目と指、頭、そして耳の4種類をうまく使ってするものだというのが私の今の時点での結論。この“うまく使って”というのがミソ。どれをどう使うかがかなり大事な気がしている。
まず、音楽から離れて暗譜というもののイメージを考え直してみよう。たとえば、道を歩いているとき。自分の家から歩いて10分ほどの行き慣れたお店に行くことを考えてみよう。その道のりというのは、当然慣れた近所だから、行き方はちゃんとわかる。でも、その道中にある、一つ一つの家の形、門の大きさ、色、あるいは看板・・・そんなこと全部覚えているだろうか。それがなければ到着できないだろうか。もちろんそうではない。つまり、無意識に“いくつかのポイント”に絞って道を覚えているわけだ。無意識??? 本当に? そう、それは無意識ではなく、もう慣れているから。でも初めて住んだときには、どうしただろう。一つ一つ見てみよう。
まず、家から10分程度、そして大体の方角として、あっちの方にある店という方向をインプットする。
ポイント1)新しく住んだとき=譜読みの時点 で、全体の構成と大まかな構造(ABAなど)の枠組みを頭にインプットする。
それから、さらに具体的にこの角の薬屋さんを曲がって、二つ目を左で・・といくつかの目印を覚えたはずである。
ポイント2)譜読みの時点 で、すでに目印となるものを意識的に覚えさせていく。
ここで一言:
≪何回も弾いているうちに頭に漠然と入った暗譜ほど、のちのち恐ろしいものはない。≫
↑この歳にして断言!!(=`^´=)エッヘン  
入っているつもり・・・が本番で悪魔となって邪魔しに来るんだな・・・これが。
その“目印となるポイント”とは何か。それは例えば調が変わるところ、或いはさっきと同じ形なのに良く見ると、一回目とは少しだけ変化している音など何かが起きているところ。つまりここで大まかなハーモニーや調性のアナリーゼが役立つわけだ。その細かな変化のうえで非常に大切になるのが左手だけ或いは内声の暗譜。これは必要不可欠だ。左手や内声、そういう一瞬脇役に見えるところが、実はハーモニーや調がかわるきっかけ(キーワード!)になっていることが非常に多いからだ。
続きは次回・・・・
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えぇ・・・と

ただ今の気温
マイナス17度
でございます。
もうあれだな、こうなると“麻痺”。
毎日外は冷凍庫なわけですよ。ハイ。(←キレ気味)。
マイナス17度なんて想像つかない・・・という方、冷凍庫を開けた時のあの空気でございます。外で足を止めて立ち話なんかしたら、そのまま町の<氷像>と化すことであろう。
Dなんて、スイスに行く用事があって天気予報をみて、
お、あったかいんだな。
と一言。”あったかい”というスイスの予報はマイナス1度から0度だそうな。
麻痺している我々には、プラスの気温なんて南国のようである。
と、3日前ののマイナス11度から、ぐんぐん下がり続け、今朝も目覚めてマイナス17度という数字に起こされた私は、キレ気味。なんとかしてくれ・・・
朝のつぶやきでした。

日常、遭遇したこと、思ったこと・・・を飾らず気ままに書いて行きたいと思います。