「日常」カテゴリーアーカイブ

こうして始まる

先日、とある駅でエスカレーターに乗っていた時のこと。右側を、親子が勢いよく追い抜いて行った。子供はまだ5~6歳。ピアノの発表会の後らしく、かわいらしいドレスを着ている。その前を、母親が猛烈な勢いでエスカレーターを階段のように歩いて上がっていき、その子がすぐ後ろを急いでついていく。
ちょうど私の横を通過した時に、その大きな声の会話は聞こえた。
母:お母さんはあなたが“ひとつ外した”のを聴き逃さなかったからね!
フンッ。(`^´)
子:だって両手で弾くところだったんだも~ん!<`ヘ´>
私:ひぃぃ……….(・へ・”)
ひょえー。最近の親はこわいですねぇ。
おそらく発表会の帰りでしょう。それにしても、
“ひとつ”はずした・・・ってあなた・・・・・。人間は機械ではありませぬ。(^_^;)
”聴き逃さなかった“ わよだって。おっそろしぃ・・・。\(゜ロ\)(/ロ゜)/
まあ、<両手で弾くところだったんだもん>と食って掛かる子供も子供だが。
この話をDにしたところ、ひとこと、こう、のたもうた。
こうしてその子の悲劇は始まる・・・ 

本日のちゃりばぁ

久々にこのテーマ。
(ちゃりばぁを知らない方は、2011年10月3日号のブログをご覧くださいませ・・・。)
ふっ、ふっ、ふ・・・(^’^)
いましたぞ、新種“ちゃりばぁ”が。
舞台は、キムチが香るあの国。この日は、私の隣に“ようじ”を口にはさんで演奏会を聴き続ける、“ようジィ” というお初のおじさんがいた日でもあった。
この日のお客さんは、派手好き。派手な曲となるとみんな大喜び。曲の最後に向けてテンポが速くなっていく曲などは、みんな発狂してしまうのではないかというほどのノリであった。
その中にポツンといたその女性。
ちゃりルールに外れず、曲が中間部に差し掛かり、お客さんもシーンと静まったところで、活動開始である。
チ・・・チ・・・チチ・・
チチ・・・チ・・・
・・チリチリ・・・・・ちゃり・・・
チャチャチャ・・・・。
非常にお上品なのか、1つのアメの登場まで、ものすごぉく時間がかかり、
その紙の開き方といったら、半端なく丁寧である。
そして数分。
ようやく彼女はアメをゲット!本人もまわりも、ある意味“至福”の瞬間である。
と・こ・ろ・が・・
この方は普通のちゃりばあではない!!
アメを口に入れて数十秒後・・周りがほっとするのも束の間、
チャ、チャチャ、チチチチチ・・・
なんと、紙を折りたたみ始めたではありませんか!!!!
\(゜ロ\)(/ロ゜)/
そう、彼女は
“律儀(りちぎ)ちゃりばあ”
だったのです。
律儀ちゃりばあの教え:開いた物は、閉じる。
うーむ、まだまだ世の中には新種がいそうな気がする。
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何が何でも?

外国語を勉強するようになって時々気になるのが、どんなものでも各国が勝手にその国の言葉に翻訳して呼ぼうとする風潮である。
昔のブログに書いたが、犬の<セントバーナード>はフランス語では、<サンベルナール>である。
サンベルナールなどと言われたら、響きはいいが、一瞬何の事かわからない。私など、品のいい紳士すら想像してしまう。
でも町や人の名前などは、少なくともそのままオリジナルで良いのではないかと思う。そうでないと、覚える方も大変だ。フィレンツェはフロランス、ヴェネツィアはヴニーズ、日本はせめてジャパンにすればよいのにジャポンである。
余談であるが、ドイツではしいたけを SHIITAKI と書いて売ってある。
おしい!!←違
フランス語では作曲家のバッハはバック、モーツァルトなんぞは<モザー>となってしまい、もうだれかわからない。
だから仕返しで(?)、Dの名前“DEVOYON”も 日本に上陸するころにはドボンジョンやらドバイヨン、挙句の果てには<でぼよん>やら言われてしまうのだ。
なんでそこまでして、その国の言葉に訳すのか・・・(-_-;)
――――
と思っていたら、うちのパパも強者であった。先日いきなり私に
パパ:<おい、お前なんでゴムまりもってるんだ?>
と聞いてきた。
ゴムまり???(・o・)?
みなさん、わかりました??
それはテニスボールの事でありました・・・。
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役に立つ日本語

このところ、Dは再び日本語特訓に熱を入れている。ありがたいことだ。
今回は、とても良い教材を見つけたと張り切っている。毎朝1時間、コンピューターにDVDを入れ、頭にはマイク付きヘッドフォンを装備。準備完了だ。
優秀なその教材は、発音までチェックしてくれるという。マイクに向かって発音し、違っていたら、ぶーっと鳴る。
今どきの教材は、学ぶ文章も、なかなかのものである。昔のように
これは、ペンです。
などという、実生活ではあまり使わない日本語は教えないのだ。
Dの教材は、なかでも強者(つわもの)だ。
先日は、
このくつしたは くさい です。
と練習していた。本当にそんな文章が教材にあるのだからすごい。
最近では勉強する文章も複雑化し、上級になってきたのはありがたいのだが、問題はその内容である。
先日などは、朝早くからこんな声が聞こえてきた。
ごしゅじんは おくさんほど おかねを たくさん もっていません
マイクは時々思ったように反応しないらしく、たまにDは、ものすごい大声で練習をするのだ。しかも窓を開けて・・・。何しろ実家でやるもんだから、近所も当然日本人である。
ごしゅじんは!! おくさんほど!! おかねを! たくさんもっていませーーーん!!!

と怒鳴っている。
なんか微妙に居心地が悪く感じる私はなんだろうか・・・
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本日のちゃりばぁ

世の中、様々な人種が入り乱れる中、どこにでも出現する生き物を発見した。その名も
ちゃりばぁ
(解説)
ちゃりばぁとは:
演奏会などで、アメを取りだすべく、チャリチャリいわせる生き物のこと。
ちゃりばぁは、老若男女、国籍さまざまであるが、2つ大きな共通点がある。それは
① ここだけはご勘弁を、という場所で、チャリッ と始める
そして
② <ゆっくりじっくり丁寧に>がモットーなため、チャリ時間が非常に長い。
その日もヤツは現れた。
激しい音楽が続き、つかの間の休符、そしてまた激しく、それから休符・・・といった休符効果が絶大の変化の激しい場所であった。
この日のちゃりばぁは只者ではない。何しろリズム感が良いのだ。激しい音楽の時は緊張感を持って動きを止め、休符になると チャリッ。そしてまた音楽が動き、休符でチャリッ と、こんな感じである。
ドミラソシシシッッ♪(チャリッ)ラララレシファッ♪(チャリッ)
ミミッ♪(チャリッ)ドミッ♪(チャリチャリッ)・・
かなりの上級チャリばぁとみた。おかげで全然集中して聴けない。(-_-)
そしてなんと同じ会場にその日は、
ゴンじぃ
というのもいた。その生き物はなんとずぅずぅしくも寝ていた。それもしっかり寝てしまい、頭が前後左右に揺れ始め・・・・そして、ここぞ!という美しい休符の沈黙の瞬間
ゴン!
頭を椅子の背に強打し、みんなの注目をさらっていったのだ。
非常に迷惑である。(-“-)
このところ演奏会に行けば、ちゃりばぁ遭遇率が高い・・・。恐るべし。
追記:タイトルに“本日”のちゃりばぁと書いていますが、
決して“今日の”演奏会ではありません。あしからず。
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無題

いつも歩いている学校への道。学校へたどり着くすぐ手前で、なぜかふと、頭によぎった。
ここを16年も歩き続けてるんだなぁって。
自分の前に見える建物も、木々も、道路も何も変わっていないようだけど、私はここで16年という歳月を経てる。留学を初めてドキドキしながら通い始めた時、ホームシックになった時、寒さに震えてあるいた時、試験やレッスンに向かい緊張して歩いた時、愛する人が天へ旅立った時、悩んだとき、愛する人と出会ったとき、幸せをかみしめて歩いた時・・・。
この先もまた、いろんな思いを抱いてこの道を歩き続ける。
なんだかすごく不思議な気持ちになった。

うちのパパ

最近ブログ登場率が少ないうちのパパ。どうしているかというと、
相変わらず
です。(#^.^#)
どんな<相変わらず>かというと、こんな感じ。
先日送られてきたメール。
===
今朝は、驚いたよ。
朝ごはんに、キャベツをと思ったが、ない。
おかしいな、と思って冷凍室を開けたら、あった。
キャベツが、カチンコチンになっていた。
===
今朝は、驚いたよ・・て、いや、驚くのは私でしょう・・・(・.・;)
で、続きに
===
外にだしていたら、やわらかくなったけど、なんか寒そうだった。
===
と書いてあり、さらに先には
===
早く食べなきゃと思って、キャベツをとにかく全部ゆでたら
家がキャベツ臭くなった。だから窓を開けている
===
というものだった。
ね、<相変わらず>でしょう?
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D,スピード違反つかまる、の巻

普段からヨーロッパ(特にフランス)では、不景気になるとスピード違反の取り締まりが増える、とDがよくぶつぶつ言っている。
私たちが毎夏講習会を行うフランスの山は、そうはいっても山の上(標高1850メートル)。のんびりとした自然の中で、警察の取り締まりなど見たことがない・・・。
ところが・・・
いたのです、今年!!これは、今年のフランス、相当な不景気?!・・・(違)
でも正直、過去12年見たことない・・。
講習会が始まる数日前、知人を山のふもとまで迎えに、1850メートルの標高を下り始めた。途中、何か所か山の中の町を通る。このあたり、町の外は時速70キロ制限で、町の中は50キロ。講習会の準備話に盛り上がっていた私たちは、途中、70キロで町に突入してしまった。そのとき、向かいからくる車がぴかっと合図をしてくれた。
運転をしない方のために:車の運転では、暗黙の了解で生まれたサインというのがいくつかあり、そのうちの一つが、先のほうで警察が取り締まりをしていることを知らせるために、反対車線から来た車がぴかっとライトを短く照らすことだ。
ぴかっとほぼ同時にブレーキを踏んだが、時すでに遅し。目の前で警察が両手を広げている。
あああ・・・(-“-) やばーい・・・
窓を開けると警察官から即座に質問攻め。
Police(以下P)はい、エンジンとめてー。
D:はい
P:フランス語、うまく話せますか?
D:はい。
P免許証見せてください
D:はい
P保険も見せて。
D:はい
P:今日はなんで止められたかわかりますか?
D:はい。50キロのところをオーバーして走り、気が付くのが遅かったです。
(Dは、きっちりと作文のように答えていた。)
P:そのとおりですね。70キロ。大目に見ても65キロでしたので、15キロオーバーです。
減点3点と90ユーロの罰金に当たりますね。
・・・この辺まで、警官、高飛車である。(当たり前か)
P:あなたたち、ヴァカンス(休暇)ですか?
D:いえ、僕が講習会を運営していて、そのためにこの街を訪れています。
P:あ、あの音楽の?町を活性化してくれているあの講習ですか?
・・・警官、講習会の存在を知っていたらしい・・・
D;はい、そうです。
P:そうですかぁ。大変ですねえ・・・ (なぜか同情され・・・)
P:ということで、本来の制限は50キロなのですが、今日の制限速度は、特別に72キロです。ですからオーバーではありません。
D+私; え? (゜_゜>)
今日は特別72キロって・・・今日はお肉割り引き!のノリではないですか?
P:これから気を付けてくださいねー。
D:はい。ではさようなら。
そして車は発車した。
え?見逃してくれた?(・.・;)
こんなこと、あるんですねぇ・・・さすがフランス。仕事で山に来ているというので同情してくれたのだろうか・・。謎
ありがたやありがたや。
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一文字の重み

暇に任せて、とあるベルリンのガイドブックでおいしいレストラン情報を見ていた。
Berlin1.jpg
ふむふむ ( ̄¬ ̄*)じゅるぅうううう
Berlin2.jpg
いいねえ。(^^)
Berlin3.jpg
(⌒¬⌒*)んまそ・・・♪ 良いねえ良いねえ♪
BerlinLast.jpg
え?Σ(゜◇゜;)
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音楽

-こんな時勢に、音楽なんかやっていていいのだろうか
-こんな時に、音楽で何ができるか
という言葉を震災後よく耳にする。
でも、<音楽で何が出来るか>・・・そういう方向で考えていたら、余計分からなくなるのではないかと私は思う。それを教えてくれたのが、先日のベルリン芸大でのチャリティーコンサートだった。日本人留学生が発起人となり、種をまいてくれたチャリティーコンサートが、学校主催の大規模なものとなった。私とDも、そこで演奏をさせていただくという光栄な機会をいただいた。短い期間で若い日本人や学校関係者が文字通り“必死の”準備をしてくれ、迎えた当日。学校に足を踏み入れて、言葉を失った。
1996年から15年のベルリン生活で、あのホールで1度も見たことのない数の人、人、人・・・。更には、満席だからと門前払いを受けた聴衆が舞台裏に列をなした。開演ぎりぎりに、舞台席も急遽用意された。会場は1200人ほど入るはず。舞台上の聴衆を合わせれば1400人ぐらいになったであろう。
ここはドイツ。コンサートの趣旨は日本。
日本のために、ドイツ人がこんなに・・・・いや、違う。もうそこには国籍もなにもなく、ひとりの<人間>としてなんとかしたい、と思う魂がホールに集まったのだ。
チャリティーコンサートとは、音楽を通してお客さんに何かを伝える・・・そして賛同していただいた方に募金をいただく、そんな考えをしていた自分が恥ずかしくなった。あふれんばかりの人から、そのまなざしから、舞台に立つ私のほうが、はっと気がつかされた。心に感動を与え、エネルギーを注ぎ込み、しっかりと前を見据える力をもらったのは、私のほうだった。どんな言葉をかわさずとも、足を運んでくれ、私こそ私こそと力を貸してくれようとするそのまなざしから、心が激しく突き動かされ、揺さぶられた。
どんな言葉も、必要ない。音楽を演奏する者があり、聴く者がある。主役はいない。いや、むしろ全員が主役だった。その誰もが、音楽を耳にしながら、それぞれの思いでその時間を分かち合い、それぞれの心に思い思いの感動や衝撃、栄養をたっぷり吸収し、帰っていく。そんな場だった。
自分が音楽を共にすることの意味を見失いかけていたとしたら、このことだけ刻み込んでいて欲しい。
音楽は、生活には不可欠ではないかもしれない。でも
音楽は、人間に必要なもの・・・
だと。
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