自分を知る、楽器を知る(4) スピード

打鍵のスピードという話をしたけれど、それはどうやって調節するのだろう。
最低限のスピードで良いときは、第一関節から先をちょっと使うだけで良いだろう。
机の上に鉛筆が置いてあったとして、それを<そっと>持ち上げてほしいといわれたら、親指とそのほか何本かの指先で少しはさんで持ち上げるだろう。その時の感覚によく似ている。ほんの少し、指先で鍵盤の底をきゅっとつかむ。
それよりもスピードが必要な時は、第3関節から指先にかけての部分を使ってつかむ。ゆっくりつかむか、早くつかむか、その間のスピードが何段階にも調節できればできるほど、種類が増えるのは言うまでもない。そのためには、手の中の最低限の筋肉が必要になる
更にもっとスピードが必要なら、手首を軸として手でつかむ。ここで大切なのは、手の自然な動きに反しないということ。

手の自然な動き
とはなんだろうか。
たとえば、じゃんけんのグーを作ってみる。この時親指を横に出している人はいないだろう。いたりして・・・(・o・)
なぜかというと、手の平らの中心に向かって5本の指が集まっている状態が、一番自然だから。ついでに書いておくと、手が一番強さを持てるのは、手の中心に集まっているとき。手に力が必要な時は自然と握り拳(こぶし)を作ることからもわかる。
逆にじゃんけんでいうパーのように手をしっかり開いた状態から、指を楽に抜いてみよう。やはり指が手の中心に親指に向かい合うように寄ってくるのがわかると思う。これが手の自然な状態なのだ。

原則5) 演奏する時、できるだけ、手を自然なポジションに戻す

たとえ、和音などのせいで手を開かなければいけなくても、弾いたらすぐ“できる限りの範囲”で自然なポジションに戻す。開きっぱなしほど疲れるものはない。
ショパンの練習曲 作品10の1。右手が開いて大変なイメージがあるけれど、あれは右手に関して言えば、手をいかに閉じていけるかの練習曲。いかに開くかではない。ドソドミと弾いたら、ミを弾いた時には、ほかの4本の指はすでに小指の方に“自然に”集まってきていなければいけない。ショパンは手が小さかった人。彼の曲はどの曲も、本当に見事に、手が自然に集まるように書かれている。
これ以上のスピードが必要な時は、もうわかるだろう。肘を軸にして、肘から指までの部分を下ろすことで加速。5-6メートル先の人に、野球ボールを投げるのをイメージしてみてほしい。さらに、速度が必要な時は、30メートル先の人にボールを投げるような感じ、つまり
背中から加速して指先に送り込む。
ここで大事なことは、

原則6)どんな速度を送る時も“指先は生きている”

ということ。精密な作業は指先をきかせてするのと同じ。指先が死んでいると、速度を送り込んだだけで、鍵盤をたたいたことになってしまう。指先できゅっとつかむのを忘れない。
野球でイメージすると、もっとわかりやすいかもしれない。ボールを遠くに投げるために、腕を振り下ろした時、指は最後の瞬間までボールを握っているだろう。送り込まれた速度を最終的に“指先”が処理しているのは、ボールで考えればわかるのではないかな。
私のサイトFromBerlinへは
こちらからhttp://www.rikakomurata.com