先日飛行機で、私は自分の席について他の人が搭乗するのを待っていた時のこと。真剣に機内雑誌を目にしていた私に、若い女性が英語で、
‐すみませんが、ちょっとの間、預かってていただける?
と話しかける声がしたので、にこやかに
ハイ♪
という返事をしようと思ったのだが、返事をするかしないかの間に、すでにポンとその預けものは、私の膝の上に置かれていた。その預かりものとは、なんと・・・
赤ちゃん♪
であった。(・_・;)
そんな見知らぬ人の膝の上に、ぽんって、あなたの
宝物置きますか?・・・みたいな。(@_@;)
荷物持たせても、赤ちゃん持たせないでしょう、他人に・・・。
さすが、外人の母、強し。やることが大胆である。
赤ちゃんを抱いたことなんてほとんどなく、わたくし、ほぼ硬直・・・。
何があっても落としてはいかんと必死でありました。対して、赤ちゃんも赤ちゃんで、母親ではない人の膝の上で、めちゃめちゃ普通にくつろいでいた。おそらく将来大物である。
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AndVisionマスタークラス
去年、AndVisionからのお誘いで、短期集中マスタークラスというものを引き受けさせていただいた。日本からいらっしゃる生徒さんをベルリンで短期間集中的にレッスンさせていただくというもの。期間は1週間からさまざまなコースがあるが、今回は3週間コース。初めての試みを、非常に興味を持って迎えた。
3週間、毎週、月、水、金。つまり合計9回のレッスン。いらしてくださった二人の生徒さんは非常に意欲のあるとても明るい子。お互いが相手のレッスンを聴く。自分が受けるだけではなく、倍あるいはそれ以上の面白みがあるだろう。自分がレッスンを受けている時というのは、必死さもあり、意外と客観的になるのが難しい。人のレッスンを聴くというのは、自分が受ける以上にといって良いぐらい、本当に勉強になると思う。
3週間で9回・・どうなることかと思っていたが、実際やってみると、とても良いシステムだと感じた。曲を9回で直す、仕上げる、そういうことではなく、これから私が彼女たちと二度と会うことがないかもしれないことを考えて、それぞれの生徒さんに、今一番大切だと思われること、そしてこれから先の勉強で、生かしていけるだろうと思う練習の仕方や、曲の見方、曲への接し方を中心に絞って話してみた。すると、彼らの熱心な姿勢と練習のおかげもあり、たった3週間なのに成果が本当に顕著に見られ、曲に対する接し方、演奏の仕方も大きな変化が見られたのだ。
彼らのおかげで、私もまた新しい経験をし、大いに勉強させてもらった。
参考までに:http://www.andvision.net/page,shop.product_details/category_id,41/flypage,shop.flypage/product_id,309/option,com_virtuemart/Itemid,59/vmcchk,1/Itemid,59/
なんでも経験?!
先日、私の父がドイツに遊びに来ていたのですが、その初日わたくし、なんと
父の歓迎と称してか、(なんでだ?)人生初の
感電!! \(゜ロ\)(/ロ゜)/
をしました。ハイ。
日本製電気製品のコンセントの先に、ドイツの形状に変える為のプラグをはめて充電していたのですが、それが壊れていたらしく、充電後に機械を抜いてもコンセントの金具だけが、壁のコンセント穴に刺さったままになってしまったわけです。それを抜こうと、金具を右手でつかんだとたん、
ビリィィィィイ (/・ω・)/
っと来てしまいましたねぇ。あの感じでは完璧に通電しておりました。
もしも頭に電球をのせていたら、おそらく
ピカッ ☆
と点灯したものと思われます。
慌てふためいて、父の所に行き、
私:ねえ、私、感電したんだけど大丈夫かなぁ (@_@;)
と聞くと、
父:今も生きてるから、大丈夫だろう。(・o・)
と、あの人は、のたもうた。さすが父よ、あっぱれ。
これで、私も賢くなってたりして。(▼∀▼)ニヤリッ
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何よりも大切なこと
ドイツに住んでからの12年、さまざまな体験や思いをしてきた。苦いこと、嬉しいこと、発見、驚き・・・すべてを栄養にしてきたつもりだし、これからもしていくつもりだ。
確実なことなんて何もない。むしろ、わかったと思ってしまったときが最後だと思っている。一生ずっと模索を続けるために人生があると思っているから。
日本で生粋の日本人として23年育ち、今ドイツで13年目を迎えている。その日々と体験を通して、今強く感じ、また自分というものを見失わないためにも確信を持って受け入れていることがひとつある。それは私は日本人だということ。最初のうち、外国人ぽくならなきゃ、とか、なんとかして外国人ぽく溶け込もうとしていた。でもそれは、から周りの地団太を踏むことになった。私は私。外国になじむために、私がその時必要だったことは外国人になろうとすることではなく、意外にも、自分が日本人であることを受け入れることだった。
日本にいたころやベルリンに移ってすぐ、外国人に引け目を感じていたことがある。外国人はすべてやることなすことスマートにみえ、立派に見え、何でも知っていて・・・それに引き換え自分がだめに見えたり・・。でもそれは、新しい人種、新しい文化、これまでに経験したことのないことにぶちあたるということであり、カルチャーショックといわれるものなのだろう。
問題はそこからで、そのカルチャーショックをどう受け入れていくか。そこはとても大切な過程だと思う。引け目を感じたり、それで自分がだめになることを恐れるがために、自分の殻に閉じこもったら、その時点で、傷はつかないかもしれない、でも広がる世界も限られてしまう。あるとき、自分が日本人であることを、そして自分はまだ知らないことだらけだということも認めることができ、それを自然に受け入れることができた時から、それは不思議と1つの誇りにもなり、
それから私は自然体となった。
それが私が大きく一歩変わった瞬間だった。そして、知らないということ、わからないということを恥とせず、学ぶ扉を大きくあけることとなっていた。
*********
外国人と接するとき、日本人であるからこその良さ、日本人であるからこそ難しさはたくさんある。でもそんな時、ふと考えてほしいことがある。
みんな人間なんだということ。
生活の過程で、それぞれの風習、それぞれの考え方があって当然で、だからこそ人生は面白い。お互いの風習の違いから、思わぬ事で傷つけたり、傷ついたりすることもある。でもそんな時、肌の色は違っても、習慣は違っても、そこで恐れて扉を閉ざさず、根本に
誰もが人間の“心”をもっている
ということに戻ることができたら、自分は違うんだと背中を向けず、相手を理解しようと心の扉が開くことになるはずだ。
外国ははっきりものを言うから、私も言おう。それを外国に住むということと履き違えてしまうと、ものをはっきりという、ただのわがままでしかない。自己主張とわがままは別のものだ。どんな国でも、どんな考え方でも、大切なことは、みんな人間だということ。表現の仕方は違っても、根本は 相手に対する思いやりを忘れず、その心をむやみに傷つける資格はないということ。
でも、傷つかないように、つけないように生きていくことで、すべてが丸くおさまっているように見えるのは表面だけ。それが美なのか・・・
バランスというものは本当に大切なものだと思う。そして同時にすごく難しいこと。欲望、思いやり、嫉妬心、プライド・・・すべて生きていく上で必要なものだと思うけれど、バランスを失った時点ですべてが崩れてしまうことがある。
はっきりとものをいう場合、言われる場合、それがどう作用するかは信頼関係にかかっている。本当の意図をつかんでくれることを祈って投げるボールは、本当に重たいものだ。思ったような信頼関係が築かれていなければ、その重いボールは、牙(きば)となって届く。そして相手も自分も傷つく。
投げてみたボールに託した思いは、どこまで届くんだろう。それが牙となって届いてしまったとき、信頼関係が成り立っていなかったことに気づき、さびしく思う。
こんなことを考えている私の春の日々です・・。
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はがゆい
ピアノという職業を通して、私にできること、私がすべきこと。どこまでが私の役割なのか。ことあるごとに考えさせられる。愛情を持ち真剣に向かう分、傷もつく。でも、傷を恐れての妥協はしたくない。いつか一人一人の心に届くことを願いつつ、今は私の信じる方向で、まっすぐ走ってみたい。傷だらけになっても、後悔だけはしたくないから。
ドイツは早起き
ドイツは朝が早い。パン屋さんが朝の6時から開いていたり、ごみ清掃車が朝8時ごろどっかんどっかん回収に来たり・・・はたまた郵便屋さんが8時ごろすまして速達を持ってくる。
寝るのが趣味(←ものぐさ?)な私には、とーってもキツイわけです。
我が家は昨日から工事中。長年気に入らなかったカーペット敷きの玄関と廊下(これがむやみに長い。動く歩道をつけたいほどである)を板張りにすることにしたのだ。フローリングというやつである。
その初日である昨日。朝早く来る可能性もあるから、8時にはスタンバイできているようにと、Dとともに7時過ぎに起きることを決意。すると・・・
ビィィィィィイ!
と玄関のベルが鳴った。(我が家の玄関ベルは、恐ろしいほど轟音が鳴る)その時の私たち二人はというと・・・
爆睡中 (@_@;)
時間は7時ジャスト。この時の私とDのリアクションは、それぞれの性格を表すものであった。
Dは飛び起き、とりあえず寝グセになった頭を手でなでつつ、混乱してベットのそばをくるくる回っていた。で、私はというと、ベットからぴくりとも動かず
あのさぁ、早すぎだよ早すぎ・・
とぶぅたれていた。(-.-)
で、私たちはどうしたかというと・・
あのぅ、すみませんがあと30分後にもう一度いらしてください。早すぎです
と、追い返した。<(`^´)>エッヘン ←いいのか・・・?
まぁ、Dの寝グセをみた彼らは、我々がしっかり寝ていたことが100%わかったらしく、おとなしく30分後にまた来てくれた。いい人だ♪
昨日も帰り際、
明日7時に来るから♪
というので、
いえ、7時半でお願いします。と切り返しておいた。
その結果、今朝は7時45分ごろ
君たちのために、すこし遅めに来てあげたよぉ♪
と、ゆっくりめに現れた。うん、本当に良い人たちだ。
それでも今朝からは6時45分起き。これが2週間続く。うぅ、つらい・・。
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個性?
飛行機などで<予約番号>というものを受け取ることがある。アルファベットと数字で組み合わされた LPE5J2 のようなもの。電話でこの番号を教えてもらうとき、聞き間違いを避けるために それぞれのアルファベットに言葉をつけて言われることがある。
私がこれまで経験した中では、
パリのP ロンドンのL
などのように、地名をつけるもの、あるいは ステファンのS、ボブのBなど人の名前をつけるもの、この2つのいずれかだ。ピアノ協奏曲の楽譜にも、A,B,Cなどのアルファベットが書いてあることが多い。オーケストラとのあわせの時、ここから弾きましょう、などと大人数に指示する場合に便利なのだが、これもドイツでは、ハインリッヒのHから始めましょう、などと呼んでいる。そういう経験から、多少の違いはあっても、大体の場合は共通で、Lはロンドン、Pはパリなどとわかりやすく統一されているんだろうと思っていた。
先日ある日本の航空会社(ヨーロッパ支店)との電話のやり取りで予約番号をいただく際も、そんなわけで心の準備は整っていた。電話口は日本人女性。
女性:お客様の予約番号は、ロンドンのL・・・
私:(お・・・ロンドンね)
女性:シュガーのS
私:( ̄△ ̄;)エッ・・? シュガーー? 砂糖っすか・・汗
女性:数字の5、
女性:パパのP
私:(゜∇゜ ;)エッ!? パ・・・パパ??
いやぁ・・・おかげさまで驚いてしまい、番号を聞き取るどころではなく、
シュガー?パパ??
と頭の中に巡ってしまい、2-3度聞き返す羽目になってしまった。
もちろん、もう一度繰り返してくださる際も、
シュガーのS、 パパのP・・・であった。なんだか和むなぁ・・・・
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そして また・・・走るパパ
先日、D+パパ+私という3人で、地元の小規模ショッピングセンターに行った。
車を最上階に止め、ショッピングセンターにも最上階から入り、父は一階にある銀行に用事をしにいき、その間私とDは最上階で買い物をするという予定であった。
パパ:じゃ、パパは一階に行って用事を済ませるから、
またあとでね!(。・_・。)ノ
と、父だけがエスカレーターで降りて行った・・・・
・・・・・・・はずだった・・・・・・・
ふと、視線をエスカレーターに戻すと、なーんと下に降りて行くエスカレーターの真ん中あたりを父が逆走してくるではないか。
ε=ε=ε=ε=ε=┏(゜ロ゜;)┛ダダダッ!!
反対に進むエスカレーターに負けじと足をフル回転。どうも上にのぼってこようとしているらしいが、進む気配なし。同じ場所で走り続けるハムスターのようであった。
あ・ぜ・ん (・_・;)
とした私たち。
私:パパ、どうしたの?
パパ:通帳忘れた・・ゼェゼェ (相変わらず走り中)
私:それなら、1度下の階に降りてエスカレーターで戻っておいでよ。
というと
パパ:あ、そうか (・o・)
とくるりと向きを買え、すーーっとエスカレーターを降りていったのであった。
なんともいえない父の背中よ・・
私:あのさぁ、逆行せずに下に降りてまた上ってくるということは
考えなかったわけ?(  ̄_ ̄)
と聞くと
パパ:必死で走ってたからなぁ。
でもさ、エスカレータより早く走れてたぞ♪(⌒~⌒)ニンマリ
となんだか満足げ。いやぁ・・・進んでない様に見えましたが・・・(- -;)
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