音大の中で催されるクラスの発表会や卒業試験演奏会・・・私のいるベルリンでは、そういう学生の演奏会を楽しみにしているドイツ人おじちゃんおばちゃんが意外と多い。演奏する人の家族でも知り合いでもない。ただ単に、若い方の演奏する姿、そして成長していく姿を心から楽しみにしているのだ。私たちのクラスは半年に3回ぐらいのペースでクラスの生徒が学内演奏会をするのだが、それを毎回楽しみに足を運んでくれる人の多さに、生活に音楽が浸透していると感じることがたびたびある。
先日、ある生徒の卒業演奏会があった。演奏会直前にホール入り口で
やぁ、こんにちは!と声をかけられ、振り向くとそこにいたのは、なんと私の歯医者さん。
そして同じ診療所のもう一人の歯医者さんと彼らのアシスタント、総勢6-7名の軍団が勢ぞろい。あの診療所メンバーが、ほぼまるごと全員来ていた。(残念ながらこのブログ登場のA子はいなかった・・)そう、この歯医者さんは私のかかりつけで、とても上手だ。
その歯医者さんには私が紹介した友達がたくさん通っている。なんかあなたが来てから僕の患者は音楽家ばかりだ・・と言われたぐらいだ。その卒業演奏をした彼も紹介した一人で、歯医者さんが聴きに来てくれたというわけ。自分の患者の演奏会に行くなんて・・・。私とDの演奏会にもアシスタントAが来てくれたし。本当にすごい国だ。
今日の診療は早めにあがったんですか?ときくと、
うん、最後の患者さんをキャンセルしてコンサートに来た♪
だって。いいのか? (・_・;)
そんなわけで、歯医者7名と言う不思議な団体がホールに紛れ込んだ。私は人の少ない後ろの方がゆったりしていて好きなので、そこに座ったのに、私が座っているあたりが良い席だと勘違いしたらしく、私の前の列を7名で陣取ってしまった。彼らはズウタイがでかいので全然前が見えやしない。結局私が少し横に移動する羽目になった。もう。(-_-メ)
その歯医者軍団は、クラシックとはほど遠い。どれほど遠いかと言うと、以前私がメシアンを弾く時なんて、
僕はクラシックよくわからないけど、それはポップスとかジャズとかとは感じが違うの?
と聞いてきたほどだ。メシアンとポップス・・。(-“-)
それほど遠いとなると、演奏会を聴く=映画を見る という感覚である。演奏中は落ち着きがなく動き、しかもしゃべる・・・。そしてアシスタントの女の子たちなんか途中で、かばんからあめを出し始めてしまった。やばいサインである。
そして間もなく、ちゃりちゃりちゃりちゃり・・と飴の紙の音が・・・。これが相当長く続き、周りの人が振り返るほどになってしまった。ちなみに私はこのちゃりちゃり言わせる人間を普段から、ちゃりばあ。と名付けている。
このちゃりばあは、演奏中のとーっても静かなところで豪快にくしゃみをするという絶妙なタイミングの才能を持った人でもあった。あっぱれ。
前半が終わり休憩に入るとき、その歯医者さんが私に、これで終わりだね♪というので、
まだ半分ですよ!と言うと、驚いた彼はもう一人の歯医者に、半分だって!と伝え、更に驚いた彼がそのアシスタントに、その彼女から隣の友人に・・・
ねえ、半分だって!
↓
え、半分らしいよ。
↓
まだ半分だってー。
↓
ねぇねぇ・・
・・・と伝言ゲームされていた。
何なんだこの軍団。((+_+))
とはいっても、演奏会に知り合いが来てくれるというのは演奏する者にとっては非常に嬉しいことだ。演奏した彼もとても喜んでいた。(←フォローになったかな?( ̄― ̄)ニヤリ)
かかりつけの医者が演奏会に来てくれるなんて、それにしてもドイツ・・・さすがである。
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先ほど、
“その道中にある、一つ一つの家の形、門の大きさ、色、あるいは看板・・・そんなこと全部覚えているだろうか。それがなければ到着できないだろうか。もちろんそうではない。つまり、無意識に“いくつかのポイント”に絞って道を覚えているわけだ。“
と書いた。だからと言って、目印以外は覚える必要がないといっているのではない。すべての音が必要不可欠で大切である。ただ、いちいちここが何の音・・何度、何調・・・そんなことを頭で追っていたら間に合わないので、目印を抑える、ということ。さっきの道の例で考えてみよう。道を歩いていて、目印としていた建物ではなくても、今までにあったお店がなくなっていたら、それに気が付くし、だからといって道に迷わない。それは必要なだけ全体が把握できているからだ。あの角に薬屋さんのビルがある。それがわかっていれば良い。何階建てで何色の看板がかかってて・・・そんなところまでは確認しながら歩く必要はない。良い意味でのバランスをつかむことがとても大切なのだ。
またすごく速いパッセージなどでは、一つ一つ頭で音を考える時間はない。ここでは、指の感覚としての記憶が必要になる。(指の記憶) 全部の音は丁寧に聴きとりながら(耳での記憶)同時に指が覚えていると、いちいち頭で考えずに弾くことができる。つまり練習のときに、ゆっくり目のテンポをとり、耳で一つずつ音をキャッチできる癖をつけ、同時に指の感覚を体に入れることが必要になる。目で見て狙い撃ちするのではなく、指から指へ移す感覚だ。
たとえばテレビゲーム。(すぐ例がぶっとんでしまいスミマセン・・・)
昔何回もやったゲームをしばらく遊んでいなかったとする。数年後にもう一度リモコンを握ったら、説明書を読まなくてもなぜか手が覚えてるっていうことないかな。
もっとまともな例を出せって? うーん。(^▽^;)
じゃあ、携帯電話でのショートメッセージとかテレビのリモコンとか、自分の機械なら0から9までの数字をいちいち目で見なくても打てるでしょう?!
指の感覚での記憶力って本当にすごい。触っただけで紙か金属か・・など見なくても判断がつく。
1)指先に脳がある。
そして
2)脳は鍛えなければ育たない。
この2つを忘れないでほしい。
いずれにしても、譜読みの時点での徹底した分析と暗譜,これが確実で最短な譜読みと暗譜の手段だと私は思う。
全体像を見ないまま、音をパラパラと鳴らして譜読みすることほど危険なものはないことを覚えておいてほしい。
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前回書いた“目印となるポイント”とは何か。それは例えば調が変わるところ、或いはさっきと同じ形なのに良く見ると、一回目とは少しだけ変化している音など何かが起きているところ。つまりここで大まかなハーモニーや調性のアナリーゼが役立つわけだ。その細かな変化のうえで非常に大切になるのが左手だけ或いは内声の暗譜。これは必要不可欠だ。左手や内声、そういう一瞬脇役に見えるところが、実はハーモニーや調がかわるきっかけ(=キーワード!)になっていることが非常に多いからだ。
先ほどの4種類(目、頭、耳、指)の記憶のうちどれをどう使うかという話だが、まず楽譜上でこの辺でページが変わる、この辺に音が多い・・・などの視覚的な記憶は、ぼんやりとでいいけれど、かなり大切だ。今自分がいる位置が漠然と把握できるうえに、一部で何か起きてしまった時に今の自分の居場所が分かると対処しやすい。(目の記憶)
そして、前述のハーモニーが変わるところなど、和声の変化。これは良く誤解しているケースがある。もちろん、ここからC-durになる、ここは5度から6度になる・・・そういった大まかなアナリーゼをしていることは不可欠だ。(頭での記憶)でも、それだけで十分ではない。時々私の生徒さんから、
何が何度に行くとか、ちゃんとわかっているはずなのに通して弾くとわからなくなるんです・・・
という言葉を耳にする。でも、頭でC-durになるとか5度から6度になる、2回目は<ソ>ではなく<ラ>になる・・・なんて思っていても実際弾いているときに間に合わないし、そんなことばかり考えていたら分析を聴いているような演奏になってしまう。楽譜にはちゃんと生徒自身によるアナリーゼが書いてあるのに、実際暗譜になるとだめだというケースも多々見ている。私たちは演奏家を目指している。試験をしているのではない。演奏から“生きた音楽”を求めているわけだから、アナリーゼをそのまま記憶するのではなく、演奏するうえでキャラクターや色に役立てなければ何の意味もない。変化が起きる場所は、その変化を耳で覚える。変化するところでは、何が何度になる・・・ではなく、<キャラクター、表情、色などの変化を耳で覚える>のだ。(耳での記憶)
(続く)
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永遠の課題ですねぇ、あんぷって。どうしてまたこう入らないんだろう・・・と最近苦心しております。赤ちゃんの吸収能力から比べたら、脳みその柔らかさの違いは明らかにあるよなぁ・・・。ガーン(* ̄□ ̄*;
しかーし、だからと言ってあきらめるわけにはいかず、私は私なりに、なんとかしなければいけないのであります。(←自分に言い聞かせているって?汗)
そういうわけで、暗譜というものを、できる限り確実にいれるためにいろいろと模索し続けて数年。今思うところをちょっと書いてみたいと思います。
暗譜というのは、目と指、頭、そして耳の4種類をうまく使ってするものだというのが私の今の時点での結論。この“うまく使って”というのがミソ。どれをどう使うかがかなり大事な気がしている。
まず、音楽から離れて暗譜というもののイメージを考え直してみよう。たとえば、道を歩いているとき。自分の家から歩いて10分ほどの行き慣れたお店に行くことを考えてみよう。その道のりというのは、当然慣れた近所だから、行き方はちゃんとわかる。でも、その道中にある、一つ一つの家の形、門の大きさ、色、あるいは看板・・・そんなこと全部覚えているだろうか。それがなければ到着できないだろうか。もちろんそうではない。つまり、無意識に“いくつかのポイント”に絞って道を覚えているわけだ。無意識??? 本当に? そう、それは無意識ではなく、もう慣れているから。でも初めて住んだときには、どうしただろう。一つ一つ見てみよう。
まず、家から10分程度、そして大体の方角として、あっちの方にある店という方向をインプットする。
ポイント1)新しく住んだとき=譜読みの時点 で、全体の構成と大まかな構造(ABAなど)の枠組みを頭にインプットする。
それから、さらに具体的にこの角の薬屋さんを曲がって、二つ目を左で・・といくつかの目印を覚えたはずである。
ポイント2)譜読みの時点 で、すでに目印となるものを意識的に覚えさせていく。
ここで一言:
≪何回も弾いているうちに頭に漠然と入った暗譜ほど、のちのち恐ろしいものはない。≫
↑この歳にして断言!!(=`^´=)エッヘン
入っているつもり・・・が本番で悪魔となって邪魔しに来るんだな・・・これが。
その“目印となるポイント”とは何か。それは例えば調が変わるところ、或いはさっきと同じ形なのに良く見ると、一回目とは少しだけ変化している音など何かが起きているところ。つまりここで大まかなハーモニーや調性のアナリーゼが役立つわけだ。その細かな変化のうえで非常に大切になるのが左手だけ或いは内声の暗譜。これは必要不可欠だ。左手や内声、そういう一瞬脇役に見えるところが、実はハーモニーや調がかわるきっかけ(キーワード!)になっていることが非常に多いからだ。
続きは次回・・・・
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ただ今の気温
マイナス17度
でございます。
もうあれだな、こうなると“麻痺”。
毎日外は冷凍庫なわけですよ。ハイ。(←キレ気味)。
マイナス17度なんて想像つかない・・・という方、冷凍庫を開けた時のあの空気でございます。外で足を止めて立ち話なんかしたら、そのまま町の<氷像>と化すことであろう。
Dなんて、スイスに行く用事があって天気予報をみて、
お、あったかいんだな。
と一言。”あったかい”というスイスの予報はマイナス1度から0度だそうな。
麻痺している我々には、プラスの気温なんて南国のようである。
と、3日前ののマイナス11度から、ぐんぐん下がり続け、今朝も目覚めてマイナス17度という数字に起こされた私は、キレ気味。なんとかしてくれ・・・
朝のつぶやきでした。
ベルリンは雪での年明けとなりました。
今年も笑顔いっぱいの一年にしたいな。
素敵な一年になりますように!!
先日のうちのあっぱれ父と私の会話です。
父:この間さぁ、スパゲッティーをたくさんもらったんだよ。で、良く分からないからどう使った良いか知人に聞いたらな、バターで炒めるだけでおいしいって言うんだよ。
私:バター?それだけ?っていうか、まずゆでないの?
父:炒めるだけっていってたなぁ。(゜.゜)
私:えー?? ねぇ、スパゲッティーだよね?
父:そうだよ。
私:で、ソースは何を?
父:ソースか? そんなこと言ってなかったなぁ。バターでフライパンでいためるって。
私:フライパン???? (。・_・。)
・・・・・・・・謎が深まる・・・・・・・
私:いや、ソースなしでバターだけってことはないでしょう。だってさ、パスタってイタリアでは、日本のご飯のようなものだよ。それにバターだけっていうのは、味気ないんじゃない?おかずになるようなソースとか何かあった方がおいしいんじゃないの?
・・・と会話を進めれば進めるほど、バターでいためるだけでおいしい、といったという人に疑問がわくのであった。
そして、ぽつり。
父:おい、スパゲッティーはご飯か?
私:まぁそんな役割っていうこと。
父:青いのに?
私:青い ??? まぁ、青いパスタもあるけどねぇ。 ??(゜゜)
父:でも、野菜だろ?
私:ん??スパゲッティーは野菜じゃないよ!
ねぇ、もう一度聞くけど、スパゲッティーの話だよね??
・・・・・ここで父、大爆笑で突然立ち上がる・・・・・・
父:おい、お前、違うぞ、あはは、スパゲッティーじゃないや。アスパラガスだった!わはは、いやぁ、あきれるなぁ。
私:あきれるのは、私です。(-.-)
というわけで、相変わらずな父娘です。
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パリから愛をこめて♪
素敵なクリスマスをお過ごしくださいね
マイナス14度
でございます。
((((~~▽~~ ;)))ブルブルブル
何よりも、乾燥がすごい。手足も唇もバリバリになるうえ、
ピアノを弾くので指先が指紋のところからぱっくりと開いて
それはそれは痛い・・・。
思い出すなぁ、私が留学始めた年。96年。あの時はマイナス20度以下になっていた。
今年も来るのだろうか・・・。
ふたの上と鍵盤でのギャップの話に戻ろう。ふたの上でできたなら、鍵盤でもできるはず。そのためには、こういう練習が良いと思う。
1)まず、ふたの上で素早く軽い打鍵でソファミレドと弾いてみて、感覚を見つける。
2)ふたを開け、ピアノの中央より1オクターヴ高いところのソファミレドの鍵盤を、左手で下までおろす。(写真ではファミレド)
3)下ろしたまま(つまり鍵盤が動かないようにして)、右手でソファミレドを弾く。―この時、ふたの上での感覚と同じ感覚を鍵盤の底で感じてみる。
4)感じられたら、左手を放し、普通に弾くが、鍵盤の表面ではなく《底に》意識を集中させて、鍵盤の動きに惑わされず底を<ふたの上の時と同じように感じて>打鍵する。
これを繰り返すと、鍵盤の動きに惑わされず底を打鍵する感覚がわかるのではないだろうか。決して押し込むのではなく、底を“ぽん”とつかむだけ。
また、ふたの上で弾く時とは違い、鍵盤が上に戻ろうとする力があるので、
ふたの上で弾いた時よりも、若干だが<速い>打鍵が必要とされることに気がついたのではないかな。そうでないと、鍵盤からの戻りの力に負けて、浮いた感覚になってしまうのだ。水圧に負けて、足がプールの底につかないようなものである。
軽く弾こうとするためにしていまう大きな間違いの一つは、指先を抜いてしまうこと。そうすることで、鍵盤の戻りに負けて、浮足立ってしまうケースが多い。反対に、指先をしっかりさせ、短く速い打鍵を鍵盤の底に送り込むことが必要だったわけだ。
そして、もうひとつ軽い音の連続を弾く時に、指や体がうわずってくるのを避ける大切なポイントは、耳も指も“メロディックに追うこと”。もう少し詳しく説明してみよう。
軽くしかも速い打鍵をするとき、どちらかというとノンレガートのような打鍵に近くなる。そうすることで、指から指へと移す感覚が切れてしまい、いつもつま先立ちしているような印象になりがちだ。それが不安定さ、つまり”怖い・・”と印象を生むことになる。それを避ける為に、実際はスタッカートで鍵盤から指が離れている場所ですらも、鍵盤の底をメロディックに、つまり横に追ってみよう。そうすることで感覚としては、実際に指が残っていようがスタッカートで切れていようが、先ほどの練習で得た“鍵盤の底のラインを追って弾いている”ように感じられたらかなりの安心感が出るはず。みなさん一緒に探してみましょう!
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日常、遭遇したこと、思ったこと・・・を飾らず気ままに書いて行きたいと思います。