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されど さゆり・・・

以前の“さゆり”事件以来(2009年1月15日の記事参照)、私はさんざんパパをからかっていた。そうこうして数カ月たったある日、再びゆかりをいただく機会があった。すると、パパが
‐あのな、この“ゆかり”というお菓子の名前はな、人と人との結びつき、という意味があると思うんだ。ほら縁もゆかりも・・・とか使うだろう。
と、えらく真面目にのたもうた。ゆかりをくれたHちゃんと二人で顔を見合わせ、私が
私:またぁ、適当なこと言って・・・。前は《さゆり》とか言ってたくせに。
と苦笑して、ふとその缶を見てみると、なぁんとゆかりというひらがなの後ろにうっすらと“縁”という漢字が浮き立っているではありませんか。思わぬ知った父の雑学に、
ほぉ (゜o゜)
とすっかり感心して、
私:おぉ、パパすごいじゃん。面目躍如だね!!ヽ(`▽´)/
と、褒めちぎっていた。そう、それは半年以上前のこと・・・。
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そして時は過ぎ、秋も深まるつい先日、久々に私が注文しておいた“ゆかり”が何箱か届いた。受け取った父がひとこと・・:
パパ:おーい、さゆり 届いたぞぉ (゜o゜)
私:(-.-) ゆかり・・・ね。
彼は何も学んでいなかったらしい・・・。
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意味のある練習をする ~軽さ(2)~

さて、前回の”軽さ“についての続き。
答えは、簡単!
鍵盤は下に下がる。
そう、でもこの事、つまり鍵盤が動くということが実は意外といろいろなことを難しく感じさせているのだ。人間の持つ手や足の感覚というのは、動かないものに接しているとすぐにつかめる。地面を歩いたり、コップなど動かないものをつかんだり。でも、目標の物体が動くと、エスカレーターに乗ろうとしたり、氷の上を歩いたり、たんぽぽの綿毛のように、飛んでいるものを捕まえようとしたり・・・想像すれば分かるように、慣れるまで最初のうちは慎重に捕まえないとうまくいかない。
そう、慣れるまで。
これは、日頃の“正しい“訓練で身に着くことだ。エスカレーターも何回も乗れば、考えずにひょいと乗る。でも思っていたより早いエスカレーターだったら、一瞬よろっとする。
正しい訓練とは何だろう。ピアニストの難しさの一つ、それは本番ごとに与えられた楽器に瞬時に反応し、慣れなければいけないということ。
<家なら弾けたのに、このピアノは・・・>
という言い訳を良く耳にするが、そんなこと聴衆には関係ない。
与えられた楽器に瞬時に反応できるよう、普段から意識して練習する必要がある。何に意識して練習するかというと、それは鍵盤のもつ特徴をつかむこと。よく、軽い鍵盤、重い鍵盤、そんな表現をするが、その感覚は鍵盤が上にあがってくる速度の違いから感じるものだ。鍵盤自体の重さではない。普段から、その鍵盤の戻りにどれだけ意識を持って練習しているかが、大きく影響する。
ここで、一つとても大切なことがある。鍵盤の特徴の意識をつかむのは、目ではない。指だ。それも指先の腹のこの部分。
yubibasho.jpg
つまり指の感覚を成長させなければいけない。指というのは、この部分に一番神経が集まっているらしい。ピアノは指から指へ渡して弾く。つまり歩くことと同じ。つま先で歩いたり走ったりしないのと同じように、軽いからと言って指の先っぽで弾くのではなく、“適度な指先の面積は必要になる”ということがわかる。
次回で“軽さ”については最終の予定です!
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せんくら終了!

いやぁ、楽しかった。朝ホテルを出たら夜まで戻らないという二日間びっちりと詰まった予定。3日で101個の演奏会という、大きな音楽祭。でも、オーガニゼーションの素晴らしいこと。見えないところで本当に多くの方が戦場のように忙しく働いているのだろうが、どの人もいつも笑顔を絶やさず、適切に接してくれる。おかげさまでこちらも、自分のリズムを良い具合に保つ事ができ、できることなら全員にお礼を伝えたかった。
50人以上の演奏家がいるにもかかわらず、意外にも舞台裏では全くすれ違わない。ほぼ誰にも会えず・・。唯一話せたのが、ヴァイオリンの西江辰郎さん。王子と呼ばれているとかで、女の子に大人気。へへ、へへと笑う、とてもさわやかで素晴らしい方だった。
楽屋裏には、飲み物を用意してくれているスペースがある。そこでコーヒーをついでいたら、ピアノの若林顕さんがいらした。あ、本物も写真とそっくりだ、などミーハーなことを考えつつ“お疲れ様です”と声をかけ、彼もさわやかに、どうもと言って通り過ぎた。
しかーし、これで終わらないのが私の人生。
そこへ若林さんが戻って来て、
若:あのぉ、すみませんが楽屋4番はどこですか?
私:いやぁ、ちょっと私にはわかりません・・・・ (-.-)
そう、まぎれもなくスタッフと間違えて声をかけられ、アーティストと書かれたバッジを下げているにもかかわらず、スタッフと思いこまれたままこのフェスティヴァル終了したのでした。汗
そんな感じで、いろいろな演奏家が集まっているにもかかわらず、どなたとも話す機会がなかったのが少し心残り。でも、全員の演奏家が私たち同様、びっちりと詰まったスケジュールで動いているだろうから仕方ない。
演奏会では、お客さんの集中力に驚かされた4公演だった。マイクで“こんにちは”と声をかければ、大きな声で全員が“こんにちはー!”と返事をしてくれる温かさあり、でも私たちの4つすべての公演で、演奏が始まると息をのむような静けさを作り出してくれた。本当にすばらしいお客さんだった。おかげさまでこちらも良い緊張を保つ事が出来、心から楽しんで演奏させてもらった。演奏後のサイン会でも、温かい声をかけてくださる方の多いこと。なんだか私たちの方が、お客さんからエネルギーをもらった感じがした。
みなさん、どうも有り難うございました・・・。(^-^)
明日から録音。がんばるぞー。

意味のある練習をする ~軽さ~(1)

ただでさえ、本番となるとぷるぷる震えてしまうのに、軽くて速いモーツァルトなんかのデリケートなパッセージは、この世のものとは思えないぐらい怖い・・・。という人たちへ。ようこそ♪ 私も同じです。(^-^)
って微笑んでる場合ではなく、なんとかしなければいけない。そう思ってここ何年かいろいろ試してきた結果、少しだけど改善された気がするのでその点を書いてみたい。模索の途中なので、数年後意見が変わっているかもしれないけど、お許しあれ。
いつもの私のやり方で、今回もなぜ“軽い“と怖いのか、から考えてみた。大きすぎないように、重すぎないように・・・そんな思いから、ピアノの鍵盤にしっかり指が座ることができず、体も指も宙ぶらりんに浮いている状態になってしまう。でも実際は音が軽く響けば良いわけで、私自身を軽くしようとしても、体のバランスを失うだけ。で、音はというと、抜けたりぼこっとでたり・・。大体良く考えてみれば、私の体重は最初から決まっているわけだから、体を軽くできるはずはない。
できたらダイエット簡単なのに・・・( ̄o ̄;)ボソッ
音が軽い響きになるためには、ハンマーが弦の近くから短く打鍵する必要がある。大太鼓で小さい音を出したいとき、近くから素早く叩くことを想像すれば、わかるだろう。(近くからでもゆっくり叩いたのでは音が出ない。)
ピアノでは、ハンマーが弦を叩いて音を鳴らすので、近くから短く速い打鍵が必要となる。そのために、私たち演奏側の仕事はというと、鍵盤をできるだけ近くから底にぽんとあてるような打鍵をすれば良い。ここで大切なことは、鍵盤の“底”にあてるということ。上っ面を弾くのではない。
ちょっと違う感覚で試してみよう。ピアノの鍵盤のふたを閉めて、ふたの上で軽く速くしかも弱くソファミレドと弾いてみよう。つまり、近くから短い打鍵で素早く。難しくないでしょう?ではふたを開けてピアノの上で同じことをしてみると?すこっと抜けたり、大きすぎたり、揃わなかったり・・・なんだか弾きにくい。ふたの上の時ほど居心地が良くないんじゃないかな。
ふたの上で弾くのと鍵盤で弾く違いは何?
続きは次回に!
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意味のある練習をする ~連打~

連打というだけで、反射的に“弾けない”と構えてしまう人が多いと感じる。でも、作曲家は弾けないものを書くはずはないわけだから、まずはどうにかして連打さんと仲良くなれないか、あきらめてしまわう前に手を差し伸べてみよう!
連打とは、なんだろう。とりあえず、連打が出てきたら、必死で穴が開かないように繰り返し打鍵しようとするがあまり、その部分だけ音楽がなくなってしまうケースをよく耳にする。でも本来、連打はもちろん音楽の一部である上、“効果”として使われていることが多い。ある部分が連打になることで生み出される音楽的効果は、緊張、恐怖感、喜び、高まり、ユーモア、震え、鐘の音、鳴き声・・・・・感情から情景まで本当にいろいろなものがある。それがわかってくると、連打にもたくさんの性格があり、それを探すことが本当に面白くなってくる。私は連打を愛しているので(笑)、一人でも多くの人に、連打への恐怖感をなくしてほしいと思っている。
解決法を探す前に、連打を失敗するということはどういうことなのか、まず考えてみよう。連打とは言葉通り、同じ音を繰り返し弾くこと。ところがドドドドドと隙間なくなる代わりに、うまくいかない場合は、ドードッド・・・ドドドドーーーとモールス信号のようになってしまう。
うまくいくときと行かないとき、いったい何が違うのだろうか。
バスケットボールでのドリブルを考えてみよう。
私の愛用クッション君に一役買ってもらうことにした。バスケットボール役をしてもらおうと思って写真を撮ったのだけど、あまり嬉しくなさそうなのは、気のせいだろうか。

ボールを腰ぐらいの高さまでバウンドさせてゆっくりドリブルするのは難しくない。でも、膝から下ぐらいの高さで繰り返しドリブルをして、といわれると急に難しくなる。なぜだろう。
ドリブルというのはボールがあがってきたらそれを柔軟性のある手(!)で受け止めてまた地面へとエネルギーを送り返すことで生まれる。腰の高さでドリブルをする場合、ボールが上がってくる時間が十分あるわけだ。
ここで柔軟性のある手というのは、とても大切なこと。手のひらでぱちんっ!とボールを受け止めるとイタイイタイ!

でも逆に指だけで構えていると、バスケットボールの固さで指が折れてしまいそう。ドリブルでは、手のひらで受け止めているようで、実は手のひらの支えがありながら、指もボールの勢いを吸収する準備ができていて、“つかむ”ようにしてボールを送り返しているのだ。

ところが、ひざ下の場合、手の使い方は同じく柔軟性が必要になるのだけど、地面から膝までボールが上がってくる距離が短いので、膝のところまで来たら即座に受け止めてまた送り返す必要がある。地面と膝の間でボールが何度もすぐに戻ってきてしまうから、焦ってしまう。そうなると、地面に早く叩き戻すことに必死になって、ボールが膝のところに<来る前に>たたきおろしてしまうことで、どんどんドリブルが低くなってボールが止まってしまうというのが良くあるパターンだろう。つまり、ボールが膝のところまであがる間がなく、手が下にボールを下ろしてしまうからだ。
連打の場合も同じである。“連打”という難しいという先入観から、鍵盤が上がってくる時間を与えずに、-早く打鍵しなきゃ-と思ってしまい、とにかく鍵盤を早く下ろす事に必死になり、結果として音が鳴らなくなってしまう。
ポイント1)
鍵盤が上がってくる時間が必要である。→“鍵盤の戻り”を指先で意識しよう。基本的に、連打を失敗するケースは、打鍵が“速すぎる”場合が多い。鍵盤が戻ってきたら次の打鍵をしよう!
その時、大切なことは、鍵盤をすばやく上げないと、次の音を弾くことができないということ。鍵盤を早く上げる、つまり、そのためには“打鍵の後すぐに力を抜く”ということが大切になる。力を入れっぱなしでは、鍵盤は上がることができないことを忘れないでほしい。
連打の指使いは、時と場合によるが
A) ずっと同じ指で弾く、
あるいは
B) 指を入れ替えて3-2-1-3-2-1などと使う場合
の二つがある。
同じ指で弾く場合の難しさは、手が痙攣のようになり、
固まって、速い打鍵ができないことである。
それは、指先の微妙なアクションを使えていないことが原因だろう。指先を棒のようにしたまま、素早く下ろそうと思っても、手がつっぱってきてしまう。それは、指を固めることで、無意識に本来の指を使う向きとは反対に、向こう側に押したような打鍵になってしまうためだ。
見えないほど少しであるが、第一関節から先の部分で“ほんの少し”つかむようにしていれば、指が本来持つ自然な動き方向、つまり内側へと使うことになるので、使いやすい。この時、部品をできるだけ小さくするのがコツ。腕や、手首などいろんなところが参加して連打しようとしても、部品が大きすぎて、大きな棒で連打しようとしているようなもので遅くなってしまう。部品を小さくして、第一関節から先を微妙に使えるのに一番良い方法は、
ポイント2)
第一関節のところを親指で少し支える弾き方だ。
こうすることで、第一関節から先が使いやすくなる。是非試してみてほしい。

また指を変えて弾く場合。難しさの一つは、狭い面積で指をすばやく入れ替えなければならないことである。
まず、ミレドミレド・・・と素早く繰り返して右手の3-2-1-3-2-1で弾いてみよう。これは難しくないだろう。前の指が弾いたあと鍵盤が上がり、それから次の指を弾く、という指の受け渡しが無意識にできているからだ。これと同じことを、一つの鍵盤の上ですれば良い。この時大切なことは、
ポイント3)
どの指も、鍵盤上の同じ“一点”を打鍵するということ
つまりどの指も鍵盤の同じ場所を打鍵するということだ。こうすることで、3つの指が一点に集まるので、狭い鍵盤でも弾きやすくなる。決して鍵盤の上で、鍵盤を掃除するかのように指を滑らせてしまわないよう気をつけよう。
また3-2-1で弾く場合、
3と2は手前に、親指は3と2の方へ向けて打鍵する。そろばんを打つ時と同じだ。
こうすることで、3から2へ、2から1へ、そして1から2へと渡り、小さな小さな円を描くような弾き方になる。
と、以前生徒に行ったら、あのぉ・・・そろばんは、知りません・・。といわれ、
年代の差に愕然とした・・・(-。-;)。でも、そういわず、一度そろばん打ってみてくださいな。3,2は手前、1は向こうという意味がすぐわかると思いますよ。笑
これで、連打を少しでも好きになってくれてたら嬉しいんだけど・・。
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ぐぇ・・・

前回のブログ以来、今もってまだフランスの山の上で過ごしている。真冬日からスタートしたものの、その後30度近くなり真夏日になったり、雷雨になったり、うっすら雪が見えたり・・・山の天気は本当に変わりやすい。それにしてもアルプスの壮大な山は一言では表現しきれない。心をリフレッシュできる最高の機会に感謝の毎日である。
ところでこの山の上で、この夏は5回演奏させてもらう機会をいただき、これまで4回が無事終了した。まぁ、物心ついた時から驚くほど緊張するタイプである私は、毎回本番前の数日あるいは数時間、まさに≪全身で≫緊張している。前回のコンサートでは、昼寝中に緊張でほぼ金縛りのようになり、手足がしびれるわ、昨日は舞台上で途中でなんと足が震え出し、あまりにがたがたがたがたなるのでペダルが思ったように変えづらいわ、毎回の本番がスリル満点である。
ちなみにこのホールの特徴は・・・
ハエが飛んでいる
ことである。舞台上でハエがぶんぶん飛んでいて、どうやら最後の力を絞っているらしく、時々脱落したハエたちが落ちてくる。落ちてくるのは結構だが、最後の力を振り絞っているため落ちた後はほぼ動かない。
で、ご存知の通り、珍体験ばかりで私の人生がいろどられているので、このハエも、もちろん逃すわけがない。そう・・・それは去年の演奏会中の出来事である。
ぽたっ
と、ハエが鍵盤の上に舞い降りた。というか、落ちた。ぴくぴく・・ともせずほぼ動かない。お陀仏のようである。
で、私はというと・・・
演奏中・・・(@_@;)
お願いだから、その鍵盤を弾かずにすみますように・・・・
と祈りながら、与えられた曲を弾き進めているのだが、
あるとき・・・・その時がついに来てしまいました。
ムギュ (・.・;)
ええ、ええ・・・ご想像にお任せいたします。
しかーし、その時の小指の感覚と言ったら一年たった今でもしっかり覚えている、というか忘れられない。
何もなかったかのように無表情で演奏し続けた私に、我ながら拍手!!であります。
^(ノ゜―゜)ノ☆パチパチ☆ヾ(゜―゜ヾ)^
今年はこれまで4回、譜面台やピアノの中に墜落するものはあるが、演奏中の鍵盤はまだ無事である。あと一回の演奏会、たのむぞハエさん・・・。

さ・・・・

寒いっ!!!!
今、仕事でフランスのクールシュヴェールという町に来ています。
ここは標高1850メートル。山の天気とあって変わりやすいのだけど、
今日は何と、今(夜中23時45分です)の時点でマイナス3度・・。
ここは南半球か??って感じです。夏はどこへ・・???
まさに凍っております。
泊っているホテルは、がんがんに暖房がきいていて
山頂のほうは白く雪がかかっており、今何月だか分らなくなりそう。
そんな冬山から中継でした。笑

ひょえぇぇぇぇ

いやぁ、あれですねぇ~。←落語の始まりか?
私の人生には、乗物に乗ると、本当にいろいろな体験をする、ということを以前ブログに書いた。
参考までに:ここの2007年1月9日欄をどうぞ↓
http://www.rikakomurata.com/blog/2007/01/
そして、また今回も・・・ありました、ハイ。
日本からミュンヘン経由でベルリンに戻ったのだけど、そのミュンヘンの着陸でのこと。
飛行機は、ルフトハンザ。
ぐんぐん滑走路に近づき、タイヤが滑走路に触れたその時・・・
くさぃ!!!!・・・(@_@;)
そう、私の座っているあたりで、焦げるというかやける匂い・・・やばいっしょ・・これ。
タイヤがついた瞬間と、焦げる匂い、そして飛行機の中のアラームが、あちこちでなりだしたのがすべてほぼ同時。そして、当然、ぎゅうううううっと、それはそれは体が前につんのめるぐらいの急ブレーキをかけて、滑走路上で停止。
わざと止めたか、自動で止まるのか、壊れたのかわからないが、電気関係が止まったようだ。飛行機に乗ったことがある人はわかると思うが、羽の上に普段は風に任せて(?)揺れるようにぱたぱたするいくつかの板がある。普段は飛行機が止まると、スーッと降りてきて閉まるのであるが、なぜか飛行機は止まったのに、閉まらずすべて上を向いたまま開いている。われわれ、滑走路のど真ん中、明らかに立ち往生であります。
私は、ちょうど非常口前の席。離着陸の際、真向かいにスチュワーデスさんがこちらを向いて座っているのだけど、焦りが見える。焦げくさい匂いを感じた直後、ピンピンポンポン飛行機じゅうでアラームが鳴ると同時に立ち上がり、何人ものスチュワーデスが機内を駆け回り、窓から外を見てどこが燃えてるのかあわてて探している。私の頭に、エンジンに引火して爆発したらどうしよう・・とよぎった。私の前のスチュワーデスは、急いで消火器を出す。しかーし、これが何とも小さい消火器。ミニチュアである。(@_@;)
いいのか、これで・・。
私たち乗客はというと、飛行機が地面に着いているからか、冷静。みんな窓の外を見て、どこが燃えてるかなどチェックしている。
私は靴をはいて、いつでも降りれるように準備(←逃げ足だけは早い)早く非常口を開けてほしいと思ったが、外が燃えているかのチェックが先らしく、あけてくれない。しかもこのルフトハンザ、非常口についている窓が、異常に小さいのだ。なんと、はがき一枚の大きさ!なので、窓からスチュワートがかわるがわるのぞくものの、外の様子は、ほぼ見えません・・・ありえない・・・汗
そうこうするうちに、パイロットからのメッセージが流れ、
落ち着いてください、火災でしたが、今原因を調べており、火はすでに消えているようなので、危険はありません・・・
だとか。そして
パイロット:トイレの中の火災かと思いましたが、エアコンの火災のようでもあります。
といまいちよくわからない説明。近くにお座りの方、ぬれたタオルで口をふさいでください、といわれたが、濡れたタオルなどないので、私と隣のドイツ人の乗客は、ふたりで枕を口にあてたものの、私はしっかりあてすぎて呼吸できなくなった。あほである。(+o+)
その後、スチュワーデスが濡れたティッシュを非常口席の私たち数人に配り、私も口にあてた・・・。が、内心
もうしっかり焦げ臭いにおいをたっぷり吸ってますが・・・
と思っておりました。
そして待つ事10分ぐらい。来ました来ました、消防車の列。まぁ、軽く20台は来たな。
私の以前のブログを見てもらえればわかるのだが、この光景はすでに一度体験している。
飛行機からみると、消防車はミニカーの様に小さい。それらが飛行機を囲むようにして、飛行機はゆっくりと滑走路から駐機場へ移動した。
その途中で、またアナウンス。
皆さん、ひとつどころか、ふた悶着ほどを経てなんとかMunchenに着きました。(-.-)
・・・・・・・次回は、煙のないルフトハンザ機内でお目にかかれるのをお待ちしております。
と、この場に及んでジョークが出て、ふっと笑ってしまったが、ふうぅ、これで安全だとわかったとたん、足ががたがたと震えて止まらなかった。怖いですねぇ・・・本当に。
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せんくら 2009

この秋、10月2-4の3日間、仙台にてクラシック音楽祭、せんくらが開催されます。私とDも、なんと、今年初めてお邪魔させていただくことになりました!いいですねぇ、仙台。今から楽しみです。
せんくらの公演は、全部で95公演!すべて45分から1時間という短いもの。演奏会場は近くに集中してり、値段もリーズナブル。お客さんは、お気に入りの演奏会を一日にいくつもはしごできるというなかなか面白い試みのようです。
私たちは、二人一緒に2公演、そしてDのみのソロで2公演の出演予定です。目下、曲を準備しているところですが、今回の二台ピアノは2つテーマ用意してみました。
ひとつは、スペイン!!45分間、華やかさ、強さ、そして色気♪・・・スペイン色豊かにお送りします。聴きやすい曲ばっかりで、とーっても楽しい演奏会になると思いますよぉ。(^。^)
そして、もう一つの公演は、メイン会場での1時間公演。こちらは、オールフランス音楽。ディズニーの映画で有名になった魔法使いの弟子。みなさん御存知ですね!ほうきに魔法をかけて、水くみをさせようとしたら、あら大変・・・水がいっぱいになったのに、止める魔法を忘れてしまい・・・大洪水!二台のピアノを通して、このスリルあふれる名曲をお聴かせします。また興味深い連弾の作品も組み入れました。この連弾がまた、絶対に外せない名曲!!ドビュッシーの<海>。オーケストラ作品をドビュッシー自身が連弾に書き換えたもの。なかなか演奏されない名曲。なぜ、演奏されないのかって?それはそれは・・・私が思うに、とーーっても難しいからである。(@_@;)
いやぁ、真面目な話、本当に難しい。Dと20本の指が88個しかない鍵盤の上を走りまわるのだけど、指同士が糸みたいにもつれんばかりの音の数。水、風、波・・・・音で色彩豊かに世界を繰り広げたいと、私たち二人理想はもっているのですが、
こらぁ、あなたの指が邪魔なのよぉ!ヽ(`△´)/
いや、君がもっとはやくよけてくれないと・・・(@_@;)
と、日々、争いながら練習しております。
そしてもう一つの難しさが、ペダル。
ペダルによって、こんなにピアノの色が変わるのか、と思うぐらいペダルがとっても大切な曲。ピアノでオーケストラの色を出すために、指だけでなく、足の練習も欠かせないわけです。
そして、この苦労の先に、出来てくる音は魔法のよう。ピアノから20本の指と何千もの色を紡ぎだして、信じられないような音の海の世界を10月に向けて作り上げます!
その他、名曲中の名曲、ラヴェルのラヴァルス、ドビュッシーの牧神の午後絵の前奏曲も!
心に残る演奏会になること、間違いありません。なかな聴けない二台向かい合わせての演奏、そして連弾。
是非、フランス、スペインの世界を堪能しにいらしてくださいね!
Dのソロ2公演も、見逃せない名曲ばかり!会場でお目にかかれるのを楽しみにしていますね~。
チケットの特別前売りが6月22日からだそうです。詳しくは、せんくらのサイト
http://www.sencla.com/
をご覧くださいね。
私たちの演奏曲目は、下記のとおりです。
●10月3日 土曜日 10時40分-11時25分
―DEVOYONのソロです。
 DebussyとRavelの名曲集♪
  ドビュッシー:月の光、夢、子供の領分から、前奏曲より
  ラヴェル:鏡より “蛾”“洋上の小舟”“道化師の朝の歌”
●10月3日 土曜日 18時10分―18時55分
―DEVOYON&MURATA 二台ピアノ
 ピアノデュオでスペインへ♪
  ラヴェル:スペイン狂詩曲、亡き王女のためのパヴァーヌ
  インファンテ:アンダルシア舞曲
  シャブリエ:スペイン狂詩曲
●10月4日 日曜日 13時50分―14時50分
―DEVOYON&MURATA 二台ピアノ
 美しいフランスの超名曲♪
  ドビュッシー:海(連弾)
  ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
  デュカス:魔法使いの弟子
  ラヴェル:ラ ヴァルス
●10月4日 日曜日 17時40分―18時25分
―DEVOYONのソロです。
シューマンとチャイコフスキー♪
チャイコフスキー ドゥムカ
チャイコフスキー 四季より<10月>
シューマン  クライスレリアーナ

一緒に“自分”を探そう!

最近よく、練習する気が起きない、練習に身が入らない・・などという相談を受けることがある。
~~する気が起きない、というのは、私が思うにエネルギー不足である。じゃあ、もっとご飯やお菓子を食べればよいのかといえば、必要なのはそのエネルギーではない。残念だなぁ・・・(-.-)
視点を変えてみよう。自分が、何かを率先してするとき、たとえば買い物でも良い、映画を見るでも、スポーツでも、家庭菜園でも・・・・。自ら輝いて自発的に動いているとき、どういう心境なんだろう。それは、興味、だと思う。つまり面白みを感じている時。面白みさえ一度覚えれば、周りがいわなくても勝手に動き始めるものである。
練習に身が入らなくなっているということは、私が接した人たちをみていると、練習する面白みがなくなってしまっていることが大半だ。それは、練習が日常化してしまい、目的がなくなってしまっている場合、あるいは目的が、知らず知らずのうちに試験や競争、あるいは認められるための結果を求めるものになってしまっている時に多いと感じる。
子供のころ無邪気に始めたピアノ・・・それが、何らかの理由で、重荷になったり、引け目を感じたり、そして萎縮してしまう。そして、挙句の果てには、レッスンで聴かせてもらっている私に向かって、遠慮するように演奏してしまう姿すらみる。
そんな様子を見て、なんとかしてあげたいと心から感じる。
誰にも遠慮することなんてない。自分の意思で、自分の表現したいことを、自分のできる範囲で良いから、ぶつけてみてほしい。自分より上のことを求め、恥ずかしがる必要も、自分より下の人を探す必要もない。だって本来、上も下もないはずだから。自分が勝手に、上だの下だのラインを決めているだけで、そんなラインなら、取り払ってしまった方が良い。自分のために、自分の成長のために、自分の再発見のために、音楽を勉強してほしい。
少なくとも、私はそう考えるようにしている。うまい人なんて山ほどいる。認められたい・・・そういうものを目指すなら、私なんて存在しなくても良い。素晴らしい演奏家もいれば、すでに亡くなった素晴らしい演奏家の録音だってたくさんある。
私がピアノを続ける理由は、自分が自分らしくいられるから。音楽に、エネルギーをもらって、自分という人間が輝けるから。そして、音楽を通じて自分の内面からの成長をさせてもらえるから。さらには、レッスンに来てくれる人達と一緒にその面白みを分かち合えたとき、また一人の人間を、輝かせることができるから。こんな魅力的なことはない。
私がレッスンをするときに心がけていることは、私は何かを“直す”ためにいるのではないということ。私の役割は、音楽の面白さ、そして自分への自信を再発見してもらうことだと思っている。
自分にもこんなことができるんだ、自分にもこんな音が作れる・・・そんな感動を見つけてもらえるように、ベルリンや日本でのレッスンで出会える方々と一緒に探していきたい。
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