伝えたいこと (3) 泥んこになる

なんか・・・・最近いろんな生徒たちを見ていて、強く感じることがある。
―とてもじれったい。もどかしい。
レッスンをするということは、想像していた以上にとても難しい。痛感している難しさの1つが、生徒とのバランスを見つけること。
どんな状況でも絶対に手を抜かず、全力投球しているつもりだ。もっと高いものを望んで欲しい、もっとがんばって欲しい、そんな思いを伝えたくて、必死で向かっている。でもふと私だけが必死になっているんじゃないかと感じることがある。相手はそこまで望んでいないのかな。と疑問がよぎる。教えていて、一番さびしい瞬間だ。
もっと美しい音がないのだろうか、もっとこの部分に違う可能性がないのかな。もっといろんな曲を知りたい。もっと成長したい・・・。失敗しても、恥をかいても、間違えた方向でも何でも良い。私が留学を始めた頃、なんかもっともっと突っ走っていた。私だけではなく、周りもみんなそうだった気がする。限られた数年の留学で、ひとつでも多く学びたいと、1つ1つのレッスン、1つ1つの言葉、一つ一つの機会を絶対に漏らさないように、必死だった。
まさに、
がむしゃら。
がむしゃらに突っ走る分、壁にどっかんどっかんぶちあたった。あたれば方向を変えればよい。あたったぶん痛いし苦しいけど、なにか身についているはず。そう信じて突っ走った。
スマートに生きたい。早くうまくなれるように近道を見つけたい。落ち込んでいるところを見られたくない。恥をかきたくない。格好悪いところを見られたくない。ある程度はもう自分でできるところを見せたい。こんなこと先生に聞いたら恥ずかしいかな。
生徒たちにそんな思いが渦巻いているように見える。
中学や高校の頃、体育祭で走るとき、一生懸命走る姿を恥ずかしがって、手を抜いて走る女の子がたくさんいた。どっちが格好悪いのかな。良いのかな、本当にそれで。
泥んこになってほしい。
子供のときのように、無心で突っ走ってみればよいのに。無茶をして突っ走る。それができるのは、学生である今しかないのに。