~意味のある練習を学ぶ~  <自分を知る、楽器を知る-1>

この夏、クールシュヴェール夏季国際講習会で、1ヶ月にわたり総勢55名ほどのレッスンをさせていただいた。今年のクールシュヴェール講習会は、計31カ国から参加者が集まった。私たちのクラスも、その影響もあり国際色豊か。セッションによっては、日本人が集まった期間もあったが、それ以外に、フランス、イギリス、ドイツ、中国、メキシコ、イタリア、スペイン、コロンビア、ロシア、韓国・・ざっと思い出すだけでもクラスにこれだけの国籍があった。こうたくさんの違う顔ぶれをレッスンできるのはあまりないので、非常に興味深い夏だった。
これだけの異なった人たちに接した結果、レベル如何に関係なくほぼ大半に共通して気になることがあった。
<不自然>
ということ。音楽がということではなく、演奏の仕方がである。
体をくねったり、足が落ち着かずふらふらと前後左右にそらしたり、そして腕やひじを頻繁に動かす。あるいは、鍵盤がかわいそうなほど、ぎゅうぎゅう押したり。
みていて、苦しくなるほどものすごい肉体的な努力をして弾いている。
動くことに闇雲に反対するわけではない。音楽に影響がなければ、自分の心地よい様に動いたって良いと思う。でも、そういう場合目をつぶって聴かせてもらうと、必ずといってよいほど音楽は非常に平らな場合が多い。
不自然なのは、良いはずがない。弾いているほうもあれでは居心地が悪いだろう。
では、なぜそうなってしまうのか。大きな要因は主に二つだと思う。
1) どう演奏したいのかがあいまいな為に、動くことで音楽を表現して、言葉は悪いが自己満足になっている場合。
2) ピアノという“機械”、そして自分という”機械“を理解していない場合
1) に関しては、今までのブログでも事あるごとに触れているが、“こんな感じ”というあいまいなイメージで、満足している場合である。繰り返すが、あいまいな理想のまま音を出すと、だんだん理想のほうが下がってきてしまう。それに気がつかず、ある程度の音色が出た時点で、自分が理想にたどりついたと満足してしまう危険が高い。
* <はっきりとした>音のイメージがないままピアノを決して触らないで欲しい。
そして2)の<二つの機械>について。
多くの場合、本当によく練習してあっても、意外とピアノという機械、そして自分という機械について知らないことが多い。
* ピアノは、どうすれば音が鳴るのか。そして
* 私たちはどうやってピアノを弾いているのか。
とても簡単に聞こえるこの根本の問いかけだが、実際にその事をきちんと考え、そして掘り下げることを今まで一度もしていない人は多いのではないだろうか。でもそれこそが、なによりもまず最重要な知識だと思う。今回の講習会でその欠乏に驚いたと同時にそのことに関してレッスンで話をする必要性を痛感した。日本で行っているMessageFromBerlinプライベートレッスン。ここで会う生徒さんたちには是非そのことを事あるごとに話したいと思う。そして、日本でのMessageFromBerlinシリーズの一環として、タイトルを定めて少人数で講習をするということも考え始めている。みなさん、どうでしょうか・・・