乗り物に乗ると、しなくて良い体験をたくさんする運命になっている私・・・・。先日またもう1つ増えた。なんでこうなるのだろうか・・・(>_<)
これまでも、なんでこうなるの?ということが山のようにあった。
それは数年前。ベルリンからパリへの直行便に乗っていたときのこと。飛行の途中でアナウンスが・・・
―テクニカルプロブレムが発生しました。ここから一番近いフランクフルト空港に緊急着陸いたします。
私:へ???フランクフルトって・・・。あのぉ、パリに行きたいんですが、私----
テクニカルプロブレムって・・・もしかして危険??? 汗
あら、え???
となっている私を尻目に、飛行機は着実にフランクフルトへ。
飛行機が空港に着陸し、ゆっくりと滑走路を走っていく。と飛行機の中がざわざわ。。。あれ?あれ?消防車?え??
なんと、私たちの飛行機の両方の翼の後ろから、消防車が10台ぐらいついてくるではないですか。えーーーー?燃えてるの???と、言葉の分からなかった私はあたふたあたふた。
実際は、テクニカルプロブレムではなく、エンジンから出火しているというアラームがなっていたらしい。∑( ̄□ ̄ || 〒 ||
パニックを防ぐためにテクニカルプロブレムということで、アナウンスを流していたとか。
そして3時間フランクフルトで飛行機の中に閉じ込められた結果、ふたたびアナウンス。
―検査の結果、火は出ていませんでした。
よかったぁーと、ほっと一息・・・
なんてする間もなく!!!!飛行機が飛び立つではないですか。えーーーーこの飛行機でまたパリまで飛ぶの???おろしてくれーぇぇぇぇぇ、、、、
ま、無事に着きましたけど。苦笑
こんな経験を筆頭に、そのほか、私の乗りたい飛行機が、キャンセル、ストライキ、荷物が出てこない・・・そんな経験は、もうあったりまえ。<(`^´)>エッヘン ←威張るか・・
ベルリンに着陸直前のアナウンスで、<大雪のため空港閉鎖になりましたので、他の空港に着陸します>なんてのもあったっけ。遠いベルリンのはずれの空港に降ろされましたよ、夜中に。しかも元旦・・泣
ほかには、ベルリンの空港でチェックインしに行ったとき、
―あなたの飛行機はキャンセル。でももうすぐ同じ空港に飛び立つ代行便にのれるかもしれないから、ここから44番ゲートにSuperSchnell(ズーパー シュネル)で走って!!!
といわれた。Super schnell・・・めちゃくちゃ急いでいってくれと言うニュアンス。44番ゲートって、ここから真反対じゃあないですが。(-_-#)
ええ、ええ、走りましたよ、空港を全速力で。
もちろん、まわりからは注目の的・・・
空港を全速力で走っている人なんて、そんなにいないですからねぇ。(-o-)
ゲートに着いたときには、パスポートを無言で差し出すのが精一杯。ぜーぜーはーはー。すごい息切れ。何でここまでして飛ぶのか、私。
またあるとき、飛行機に乗って、ベルリンからパリに飛んだときのこと。
その時は、ともだちと一緒に乗って、ひとしきり話をしてお互い疲れ、離陸前に夢の中へ。パリまでは1時間40分の飛行。1時間半ほど過ぎて目が覚めてみると、窓の外は見慣れた景色・・・
・・・・飛んでないじゃん、まだ・・・ (-o-)
・
なんてこともありましたねぇ。
飛行機だけではなく、電車でも。父が日本から旅行に来ていたので、ドイツのヴュルツブルグに連れて行ったとき。帰りのベルリン方面電車をまっていたら、待てどくらせどこない・・・
父にも、“私と乗り物に乗るとなんかあるからねー”と冗談半分で言っておいたら、ほんとに電車来ないし・・・
・・・そして、アナウンス。
―線路が猛暑による火事のため、電車が遅れます・・
線路が火事って???そんなことあっていいのか・・・自然発火・・・。
バスに乗ったときは、私が乗った次の停留所でドアが壊れてしまらなくなり、全員他のバスに乗り換えたりとか。
車に乗ったら、新車なのに故障して、高速道路をレッカー車で運ばれたり。もう・・・きりがない。
そして先日。
パリのシャルルドゴール空港に行った。チェックインカウンターに向かっていくと、目の前に機動隊が立ちはだかり、通してくれない。あぁ、まただ・・何かある・・(-_-#)
・・・そしてアナウンス
―持ち主不明のスーツケースがいくつか見つかりましたので、安全が確認されるまで、進入禁止です。
出た出た。もう何でも来い!←やけくそ・・
というわけで、待たされ待たされ、空港は人ごみの山。そこで生まれた、うちのだんなさまと通りかかりの旅人の会話。
旅人:あら、なんで通れないのかしら?何かあったのですか?
だんな:ええ、爆弾さわぎらしくて、この先進めないんですよ。
旅人:(笑顔で)あら、爆弾。じゃあ仕方ないわね。
・ ・・あら爆弾って・・・
全然驚いてないじゃぁないですか。(-_-#)
すごい時代になったものですねー。
爆弾があるらしいですよー、 あらそうですかーみたいな会話が普通に成立してるし・・・。
今日雨らしいわよー、あらやだー・・・的な会話でしょ、これ。
爆弾っすよ爆弾!!
しかも、1時間以上待たされて突然、
“バン!!!!!!!!”
という大きな音。うぉぉぉ、爆発だ!!と驚きうろたえたのは、私とそこにいた犬だけで、
人だかりの山は、なんと 拍手!!!
なんでだ・・・汗
あやしいスーツケースを機動隊が爆破したらしい。
それにしても、いろんな経験の おかげ?で、並大抵のことではうろたえなくなってきた。こういうのって、考え方によれば、貴重な体験?!
<おまけ>私のだんなさまの体験:
パリから日本に飛び立ったのはいいけど、前輪がうまく収納されず、離陸後すぐにパリの空港に引き返すことに。数時間後、修理が終わり、さあもう一度日本へ向けて離陸と言うとき、アナウンス・・・
―イラク戦争が始まりましたため、飛行をとりやめますー
すごい経験だな、これも・・・
あけましておめでとうございます!
あけましておめでとうございます!
ベルリンでの新年は、除夜の鐘で迎える静かな日本とは真反対の、爆竹の嵐。
外は戦場と化す。
でもこの爆竹が、やってみると面白い。もう10年近く前だけど友達と爆竹に参加してみた。手元の花火に火をつけては、道に投げる。
周りのひとたちも負けじと投げ返す。これを体験した人の中では、“怖い”派と“やめられない”派に分かれるらしい。私は、“やめられない”派だった。笑
今年は、どんな年になるかな。やりたいことがたくさんある。ひとつひとつこなしていけたらいいな。
こばなし編: 悟り?
男の人にとって、”はげる”ということはかなり深刻らしい。私の母は若いころ、父の薄くなり始めた頭を
”はげはイヤ、はげはイヤ”
と言いながらマッサージしていたという。←どんな母・・・
そんなある日、若かりし父は勇気を振りしぼり、はげをなんとか防げないかだろうか、と相談に専門医を訪れることにした。
そして診察室の扉を開けたその時、
父はすべてを悟ることになる。
―――先生がはげだったのである―――
はげの専門医がはげ・・・
そして父は、
<だれも自然には逆らえない>
ということを学び家へと帰ったそうな。
うちのぱぱの小話(実話です。笑)でした。
またひとつ
またひとつ、栄養を吸収しました。笑 一生勉強。それが私のモットー。
12月8日のソプラノリサイタル。初めての歌との共演で緊張と楽しみとが入り混じっての本番となった。
楽しかった!!これが一言目の率直な感想。楽器もすばらしく、松尾楽器の目を見張る調整も加わり、私が試したかったさまざまな事を舞台上で実現できて、あっという間の90分。
1人の演奏会ではないから、歌のかたが奏でる本番での“色”を聴きながらの私の色選び。バランス選び。本番中にしかできないことに、とても良い具合で集中できた。
本来、心臓が飛び出るほどのあがり症な私。でも、“あがってるんです”と言ったところでなにも始まらない、というのだけは、これまでの様々な経験から痛感。そんなこと、お客さんはどうでもいいわけで、あがっている状態で、それをどう楽しんで音楽に集中するかが、私の永遠の課題。またいつか、この件についてもブログを書きたいのだけど、いずれにしても “今日も、あがってる!”ということにあがってしまうのが、大半のパターンだと思うので、
―今日 “も” 上がってるじゃん、私。―
みたいに、上がっている自分を“本当の自分”とうけとめて舞台に出るようになってから、少しだけだけど楽にはなってきた。いつも同様、舞台上で手がぶるぶる震えていたけど、それをみながら、これが私の”普通”の状態、と思うというか・・・。
あがり症で・・・という人が生徒にもたくさんいる。私は、自信を持って(←自身持つところか? 笑)、
“私ほどあがるひとはいるのかな・・・“
というぐらいあがるタイプ。だから、どうにかして生徒にもそれをどうコントロールするかということを手助けしてあげられたらなと思っている。またいつかブログにしてみよっと。
新しい幕開け。歌との共演。このような場に声をかけてくださった北村さんに本当に感謝。あわせでは、多くを語らず、要点だけ ”こんな感じ・・・“と伝えてくれる。その内容が非常に的を得ていて、細かいことをたくさん指示されることが苦手な私には、この要点をついた、しかも非常に的を得ているひとことひとことが、大変勉強になった。これからの成長過程で、またひとつ大きな栄養をいただいた。
いよいよだ!
8日のソプラノ歌手との共演。私にとって初めてとなる歌との共演に向け、できるだけ多くのことを吸収したいと、これまでいろいろなことを試みて来た。今回に限らずだが、普段から、本番に向けて準備期間がマンネリ化しないためにも自分なりに目標を立てるようにしている。こうすると緊張しているときに、何かに集中できるので良いという点もあると思う。
今回追求したいことは、音楽の脈と色。脈は音楽にとっての心臓ともいえると思う。”脈”をいかに自然に音楽に浸透させるかは、ソロであっても非常に難しいと常々感じているが、共演となるとさらに難関であり、まさに不可欠な最重要事項のひとつだと思っている。脈をそろえようとか合わせようとするのではなく、<相手と一緒に呼吸できること>が理想だと思う。そうは言っても、二人の違う人間であり、しかも本番にどういう脈を彼女が生み出すかは、そのときにしか分からないので、スリルであり、楽しみでもある。
そして色。これも私が永遠の課題として取り組んでいることの一つ。あの黒い楽器には無数の色の可能性が潜んでいて、どれだけそれを引き出し、また混ぜ合わせることによって、新たな色を生み出せるかを追求することは、演奏家の使命だと思う。特にピアノの特徴であり魅力は、同時に多声部を鳴らせること。1人でオーケストラができる楽器とも言えるかもしれない。それだけ、同時に出せる色の種類が多いわけだから、それらを混ぜることによって生まれる色も無限に膨らむはずである。共演となる場合には、歌のかたの作り出す”絵” 全体の雰囲気が私が置いていく色ひとつで大きく変わることになるので、大変な責任を痛感している。
たとえば、真っ白の画用紙に書かれた”家“を想像してみてほしい。描かれた絵の背景を、山にするか海にするか、朝か、夜か、春なのか、冬なのか・・・。単純にそれだけでも、この画用紙の ”家”という名の作品がまったく違って見えるのは明らかだ。歌のかたが、本番にどんな”家“を描き出すかは、私にも未知で、そこに今の私にどんな色付けができるか、責任を痛感しつつ精一杯繊細に反応できればと願っている。
脈と色。音楽の”心臓”と”命”と言えるのではないだろうか。
演奏会は、12月8日、19時より。王子ホール(銀座)にて。
持つべきものは・・・
持つべきものは・・・・
“友”というべきか・・・私が日ごろ仲良くしてもらっているうちの1人、H子。
彼女は頭の切れがよく、さばさばしていて面白い。私の仲良くなる人は、それであってどこか<ひとくせ>ある場合が多く、H子も例に漏れない。笑
彼女は、本をよく読むこともあって話題が豊富。話題が豊富な人は、好奇心が旺盛であることが多く、彼女もその1人だと思う。だから一緒にいて楽しい。(^.^)
ただ、問題は・・・
好奇心は抱くのだけど、疑問を持ったことを自分で調べない。気になることだけを、ぽろっと私にもちかけ、去っていくのである。たとえば
― ぐうの音も出ない、の“ぐう”って何なんでしょうねー。(・o・)
そういわれてみればそうだ。ぐうってなんだろう・・・。言われればやっぱり気になり、彼女と別れた後、早速調べて彼女にメール。インターネットというものはすばらしく、調べればちゃーんと載ってるんですよね。
そして、次にH子に会うと:
―そういえば、ふと思ったんですけど、けちょんけちょんって、すごい言葉だと思いません? あ、ついでに “ぎゃふん”とかも気になったんですけど・・・(^^♪
って、“けちょんけちょん”を “ふと”思いつくという彼女の生活も何かと思いますが・・・。
・・・・・・それでもH子は絶対に調べない。・・・・・(-o-)
ふと、気になったんですけど・・・と言い残して去っていく。
そしてまた私はインターネット。調べた結果をメールで送信。
世の中には “語源由来辞典”というすばらしい辞書があり、けちょんけちょん といれただけでそのサイトが出てくるんですねぇ、またこれが。
その彼女、昨日もまたひとつ。
―にっちもさっちも って、変な言葉ですよねー。
あのなぁ。(-_-#) 自分で調べろ。
そういえば、私のもうひとり仲良しの友達にW子というのがいる。彼女も、
<理夏子ちゃん、これおいしそうだから作ってー>
と、日本のレシピの本を抱えてうちに来たことがある。
だから自分で作れって・・・(- -;)
でも、この温かい(?)友達たちのおかげで、私のレシピは増え、語彙も増えているわけだから、有難いと思うべきなのだろうか。←つとめてポジティブ シンキング。
持つべきものは、友か、それとも語源由来辞典か・・・
ちなみに、今出てきた言葉の語源はというと:
●けちょんけちょんの語源は、和歌山県日高郡の「けちょに」という方言。
「けちょに」は、「非常に」という意味で使われていた。
「けちょに」が使われる地域が広がるうちに、「けちょんけちょん」と言うようになり、現在の意味も持つようになった。
また、難癖をつける意味の「けちをつける」の「けち」が語源とも言われるが、「けち」から「けちょん」への変化が考え難い。
ただし、「けちょに」が「けちょんけちょん」となり、現在の意味となる過程で「けち」の連想が含まれていた可能性はある。
●ぎゃふんの語源は、二つの感動詞「ぎゃ」と「ふん」である。
「ぎゃ」は驚き叫ぶさまを意味し、「ふん」は「ふむ」と同じ承諾を意味する。
ぎゃふんは、明治時代以降に見られる言葉で、江戸時代には「ぎょふん」と言われていた。
「ぎょふん」は、「魚粉」や「魚糞」といった意味ではなく、ぎゃふんの「ぎゃ」と同じ、「ぎょ」という感動詞である。
また、1837年に大塩平八郎が捕らえられた際、逢坂奉行町田有衛門に対し「義や噴なり、義や噴なり、悔しきかな」と訴え、この「義や噴なり」が転じて「ぎゃふん」になったとする説もある。しかし、それ以前から「ぎゃふん」と同じ意味で「ぎょふん」が使われているため、大塩平八郎の言葉が転じたとする説は考え難い。
●ぐうの音もでない:詰問されたり、非を指摘された時などに、一言も反論ができないこと。 「ぐう」は、苦しいときや苦境に追い込まれたときに発する声の擬音語。
● にっちもさっちもは、算盤(そろばん)用語が語源である。
「にっち」は「二進(にしん)」、「さっち」は「三進(さんしん)」の音が変化した語。
「二進」とは2割る2、「三進」とは3割る3のことで、ともに割り切れ、商に1が立って計算が出来ることを意味していた。
そこから、2や3でも割り切れないことを「二進も三進も行かない」と言うようになり、しだいに計算が合わないことを意味するようになった。
さらに、商売が金銭面でうまく行かないことの意味になり、身動きがとれない意味へと変化した。
だそうです。こう見ると面白いでしょ。言葉も深いですねー。