持つべきものは・・・・
“友”というべきか・・・私が日ごろ仲良くしてもらっているうちの1人、H子。
彼女は頭の切れがよく、さばさばしていて面白い。私の仲良くなる人は、それであってどこか<ひとくせ>ある場合が多く、H子も例に漏れない。笑
彼女は、本をよく読むこともあって話題が豊富。話題が豊富な人は、好奇心が旺盛であることが多く、彼女もその1人だと思う。だから一緒にいて楽しい。(^.^)
ただ、問題は・・・
好奇心は抱くのだけど、疑問を持ったことを自分で調べない。気になることだけを、ぽろっと私にもちかけ、去っていくのである。たとえば
― ぐうの音も出ない、の“ぐう”って何なんでしょうねー。(・o・)
そういわれてみればそうだ。ぐうってなんだろう・・・。言われればやっぱり気になり、彼女と別れた後、早速調べて彼女にメール。インターネットというものはすばらしく、調べればちゃーんと載ってるんですよね。
そして、次にH子に会うと:
―そういえば、ふと思ったんですけど、けちょんけちょんって、すごい言葉だと思いません? あ、ついでに “ぎゃふん”とかも気になったんですけど・・・(^^♪
って、“けちょんけちょん”を “ふと”思いつくという彼女の生活も何かと思いますが・・・。
・・・・・・それでもH子は絶対に調べない。・・・・・(-o-)
ふと、気になったんですけど・・・と言い残して去っていく。
そしてまた私はインターネット。調べた結果をメールで送信。
世の中には “語源由来辞典”というすばらしい辞書があり、けちょんけちょん といれただけでそのサイトが出てくるんですねぇ、またこれが。
その彼女、昨日もまたひとつ。
―にっちもさっちも って、変な言葉ですよねー。
あのなぁ。(-_-#) 自分で調べろ。
そういえば、私のもうひとり仲良しの友達にW子というのがいる。彼女も、
<理夏子ちゃん、これおいしそうだから作ってー>
と、日本のレシピの本を抱えてうちに来たことがある。
だから自分で作れって・・・(- -;)
でも、この温かい(?)友達たちのおかげで、私のレシピは増え、語彙も増えているわけだから、有難いと思うべきなのだろうか。←つとめてポジティブ シンキング。
持つべきものは、友か、それとも語源由来辞典か・・・
ちなみに、今出てきた言葉の語源はというと:
●けちょんけちょんの語源は、和歌山県日高郡の「けちょに」という方言。
「けちょに」は、「非常に」という意味で使われていた。
「けちょに」が使われる地域が広がるうちに、「けちょんけちょん」と言うようになり、現在の意味も持つようになった。
また、難癖をつける意味の「けちをつける」の「けち」が語源とも言われるが、「けち」から「けちょん」への変化が考え難い。
ただし、「けちょに」が「けちょんけちょん」となり、現在の意味となる過程で「けち」の連想が含まれていた可能性はある。
●ぎゃふんの語源は、二つの感動詞「ぎゃ」と「ふん」である。
「ぎゃ」は驚き叫ぶさまを意味し、「ふん」は「ふむ」と同じ承諾を意味する。
ぎゃふんは、明治時代以降に見られる言葉で、江戸時代には「ぎょふん」と言われていた。
「ぎょふん」は、「魚粉」や「魚糞」といった意味ではなく、ぎゃふんの「ぎゃ」と同じ、「ぎょ」という感動詞である。
また、1837年に大塩平八郎が捕らえられた際、逢坂奉行町田有衛門に対し「義や噴なり、義や噴なり、悔しきかな」と訴え、この「義や噴なり」が転じて「ぎゃふん」になったとする説もある。しかし、それ以前から「ぎゃふん」と同じ意味で「ぎょふん」が使われているため、大塩平八郎の言葉が転じたとする説は考え難い。
●ぐうの音もでない:詰問されたり、非を指摘された時などに、一言も反論ができないこと。 「ぐう」は、苦しいときや苦境に追い込まれたときに発する声の擬音語。
● にっちもさっちもは、算盤(そろばん)用語が語源である。
「にっち」は「二進(にしん)」、「さっち」は「三進(さんしん)」の音が変化した語。
「二進」とは2割る2、「三進」とは3割る3のことで、ともに割り切れ、商に1が立って計算が出来ることを意味していた。
そこから、2や3でも割り切れないことを「二進も三進も行かない」と言うようになり、しだいに計算が合わないことを意味するようになった。
さらに、商売が金銭面でうまく行かないことの意味になり、身動きがとれない意味へと変化した。
だそうです。こう見ると面白いでしょ。言葉も深いですねー。
「日常」カテゴリーアーカイブ
かわいい サンタさん
かわいいサンタさん、見つけた♪
今、クリスマス一色に染まっているベルリンの街中では、あちこちで
かわいいグッズが目に入る。あれもこれも欲しくなってしまうのだけど、
全部買っていては、家の中がクリスマスだらけになってしまい、そこに浸りすぎると、頭の中までおめでたくなってしまうといけないので、ぐっとこらえて通り過ぎていた。
ところが先日、私はあるサンタさんに、一目惚れしてしまったのです・・・。
彼は、とある薬屋さんのショーウインドウにいたのでした。薬たちの間から顔を出している姿が、あまりに可愛くて、無言で薬局に飛び込み、サンタさんグッズに直行。その日は、薬局から、サンタさん6人を抱えて、お店からでてきたのでした。(さらに言うと、かわいい“こぶた”もひとつ買ってしまった・・・)
その愛情(片思いであるが)やむことなく、おとといさらに4つも買い、家の中がサンタ10個になった・・・。10個並べるとなかなかすごい迫力。われながらよく、こんなに買ったなと、感心・・・というか呆れていた.
そのサンタたちも、今はうちには一つだけ。あと”こぶた“君が一つ。ほかのサンタさんたちは、どうしているかというと、日本にいる家族、知人、お世話になった先生たちの元へと、飛んでいったのでした。
これがそのサンタ君、こぶたちゃん。んーいつみても、かわいい。
温泉気分♪
さむっ!
外に出た瞬間、思わず肩をすくめて、このひと言がでてしまう季節になった。
ベルリンの冬は寒い。それでも、私が来たころ、マイナス22度という最低気温になった年に比べればずいぶん暖かいのだけれど。
あれはベルリンで初めての冬だったと思う。翌日の天気予報を見ていたら、なんとマイナス22度。今日は0度なのに、明日がマイナス22度??? わが目を疑って、その数字としばしにらめっこした後、あわてて日本に電話。 “マイナス22度だってぇぇ!!”
―マイナス22度って、どんな感じ? 冷凍庫並みってこと?
ええ、ええ、そうです。笑
生乾きの髪で外に出たら、ばりっ! と凍るんですから、髪が!!!! 降ってくる雪は、まさに結晶のまま。洋服についた雪が、あの雪印のマークそのままなんです!
ここ数年は温暖化現象のせいか、そこまで厳しい冬ではない。とはいえ、やっぱり冬。夜になると、冷えてくる。
私の親友のひとりに、R君というピアニストがいる。彼はベルリンに住んでいるのだけれど、仕事でいろんな国を飛び回っていることが多い。先日、アメリカからお土産を買ってきてくれた。
にやっ・・と笑って差し出した紙袋には、長さ30cm、太さ3センチはある巨大なボールペンが入っていた。その名も
<Really Big Pen!>
・・・・・・・・・・・ これでどうやって書くんだ! (;`O´)oこらー!!
そんなアイディア溢れる彼が、ついこの間とっても嬉しいお土産をくれた。今度は佐渡ヶ島からのお土産というそれは、なんと入浴剤!! お風呂の好きな私にはたまらない!しかもこんな寒い時期となれば、自宅温泉気分だ♪
早速いただいた袋を開けてびっくり。その名も
<金箔入り 黄金の湯>
―金箔? 黄金??
パッケージもキンキラ金なのだ。なにかの映画であったバラの花に埋もれるお風呂の様に、金箔に埋もれるのであろうか・・・( ̄▽ ̄)。o0○
などと、想像しながら、お風呂に入れてみた。
あら?・・・ごみが浮いている・・・・・
と目を近づけると、・・・・・ああ、ありました、金箔。(-o-)
埋もれるなんて、夢のまた夢。
金箔様は、ちらりちらりと浮いていたのでした。あたりまえか・・。
黄金風呂、というわけにはいかなかったけど、(笑)入浴剤のおかげであったかーい温泉気分を味わうことができ、感謝感謝♪ とっても快適でした。ありがとうR君!
ちなみに 上記に登場したお土産たちです。
Really Big Pen
黄金の湯
こちらに浮いているのが、黄金の金箔です・・・
目から鱗(ウロコ)!
なんでも、ちょっとした瞬間に、なるほど!っと開眼することがある。
9月に、イタリアで、とある家庭のお食事に参加させてもらう機会があった。その家庭は、小学校の先生をしているというお父さんとお母さん、そして心理学で大学入学を果たしたばかりの賢くてとってもやさしいお兄ちゃんと、明るくて気さくな妹の4人家族。家は普通のアパートの一室に見えて、実は台所に階段があり、なんと2階建て!
部屋のあちこちに飾られているちょっとした置物などがとってもおしゃれで、素敵なお部屋でした。
さて、夕食タイム。さすがイタリア、やはり出てきたのはパスタ。一日のうちお昼か夜には必ずといって良いほどパスタを食べるらしい。でも、あたりまえか・・、日本人で言うお米ですからね。笑
その日は、イタリア料理定番のひとつ、カルボナーラを作ってくださった。シンプルでとても美味。おいしいおいしいっ!を連発しながら食べていて、ふと気がついた。スパゲッティーが短くてとても食べやすい。フォークでくるくるっと巻いて食べる必要がない。私は毎回よくばってフォークに巻きすぎてしまい、口に入らない・・・・(-_-;)
という目に何度もあっている。
ところが、そのスパゲッティーは短く切ってある感じ。
さっそくお母さんに、質問。
―イタリアの家庭ではスパゲッティーを切って出されるんですか?
気さくなお母さん:
―あらぁ、ちがうわよぉ おほほ♪
とニコニコ笑って、エプロンで手をふきふき、台所に行ったかと思うと、
―こうやるのよ♪
と、目の前でまだ茹でていない硬いスパゲッティーを、ばきっと二つに折った。
なべに入れる瞬間に、二つに割るらしい。
へええええ。コロンブスの卵みたいだ。当たり前のようで、私にはまったく思い浮かばなかった知恵。それから、私も ばきっ!と二つ折りしてゆでている。
このお母さん、私があまりにも感心していたせいか、いつまでもほら♪、ばきっ、ほら♪、ばきっっと、スパゲッティをばきばき折りまくっていた。お、お母さんそんなに折らなくても・・・汗
話は変わるが、ヨーロッパに来て、まさに“目から鱗がおちた!”という経験がある。
それは、ナイフとフォークの使い方。私は小さいころから、母に
―洋食のとき、ご飯はフォークの背に乗せて食べるのよ
といわれていた。そういいながら母は、フォークを裏返して、山型になっている部分にご飯をのせ、ナイフでぽんぽんっとったたいて、少しつぶして、口に運んでいた。子供の私にはフォークからごはんが滑り落ちそうで、ふらふらしながら口に運んでいた覚えがある。
ところでみなさんは、そう習いませんでした????? (・o・)
ヨーロッパに来て、とある家族に聞いてみた。
―フォークの後ろに乗せて食べるの難しくありません?私ずいぶん練習したけど、やっぱりうまく食べれない・・・。
“・・・・・・・・・・・・・・・・”
外国人の皆さん、しばしの沈黙の後、
わっはははははは!!!!!! (⌒▽⌒)アハハ!
―なに、君の国ではそんなアクロバティック(曲芸的)なテクニックを使ってご飯を食べるの??
―えー、みせてみせて!!!
っと、なんと私はすっごい笑い者になってしまったのである・・・。フォークの背にごはんを乗せて食べるなんて聞いたことがないそうな。
しかも、そこで外国人の方々みんなで、フォークの背にご飯を乗せてみようとトライし始め、まったく怪しいテーブルになってしまった。
小さいころからがんばってきた私の今までの苦労は・・・そうです、水の泡。しかも、しばらくの間、笑い話の種にされてしまうという始末。
日本人の友達に聞いたら、大半が私と同じように習ったという。もう、誰がそんなうわさを流したんだーーー(怒)
人との出会いや会話を通じて、ふと新しいことに気が付かされることがある。まさに目から鱗。日本語でも、友達との会話の中で、自分が間違えた言葉の使い方をしていたり、間違った読み方をしていることに気づいて、内心はずかしいーーーと思うことがある。
そのたびごとに、やっぱり人と接するって大事だなと思ったりする。これからも人との出会いを大切にしていきたいな。
ひと言メモ:
目から鱗が落ちる・・・ということわざは、新約聖書から起こった言葉だそうな。
サウロという、あることから盲目になった人が、キリストの奇跡でまた見えるようになるという話で、聖書に
<直ちに彼の目より鱗のごときもの落ちて見ることを得>という表記があり、そこに由来しているそうです。
自然であること
―それだと、綺麗すぎるんです。技巧に走りすぎているんですよ!!
先日テレビをつけたら、そう言っている出演者の声が耳に入った。
俳句の話だった。
俳句にも様々な技法があるらしい。五,七,五という限られた文字の中にいかに凝縮して情景や心情を描くかということを求め、言葉の選び方や並べ方など、試行錯誤して作品を作るのであろう。ところが、美しさを求めて練りに練っていくうちに、技巧が表にたってしまうというのである。確かにそれらの作品を見ると、言葉面は美しいけれども、結果として読む側の心にすっと入って来ない。
この人はこうも言っていた。
―正岡子規は、俳句にできるだけ自然体を求めていたんです。
このことが頭の中に残り、ここ数日考える機会になった。
そういえば、料理の番組を見たときも、こんな話をしていたっけ。
<素材の味そのままをいかに引き出せるかが決め手です>
何でも同じなんじゃないかな・・・そんなことをふと感じた。俳句も、料理も、音楽も、人間も・・・。
<自然である>
このことが何においても一番の魅力であり、そして一番難しいところなんじゃないかな。当たり前のようで忘れやすく、でも何かの時にとても助けになる、そんな大切な言葉に出会えた気がして、今日はちょっと嬉しかった。
PS おしまいに、正岡子規の俳句をひとつ
柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺