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自分を知る 楽器を知る(2) 音とは

9月のブログで、このテーマを取り上げた。言葉での説明が難しく、なかなかブログにしづらいとあれ以来苦戦しているのだが、やはりピアノを弾く上で基本になる大切な内容なので、言葉にしてみたい。
ピアノという楽器は、どうやって音が鳴る?
何をいまさら、という文章だけど、一度考え直してみてほしい。楽器を知らずに演奏はできないからだ。ピアノは誰にでも音が出せるので、どうすれば音が鳴るかなど、考えないまま今まで弾いて来ている人は山のようにいると思う。
―ピアノという楽器は、鍵盤を下せば音が鳴る。
と思いますか?
では、鍵盤を人差し指で、できる限りゆっくりと降ろしてみよう。・・・鳴らないでしょう?
―じゃあ、指先に重さをかけて弾く?
ほんとう?
さっきと同じ人差し指で、今度はすっごく重さをのせながら、できるかぎりそぉっと鍵盤を下してみよう。指先にはぐいぐい押してるけど、これも鳴らない。
何が違うんだろう。鍵盤と指にとらわれてしまわず、ちょっと目線を上げてみよう。グランドピアノという楽器は、目の前に長いのがわかる。ピアノを弾くというと、つい鍵盤と楽譜とのにらめっこになってしまうのだけど、ちょっと譜面台の向こうにあるピアノの中に目を向けてみよう。もう一度指で鍵盤を下しながらピアノの中をのぞいてみるとどうだろう。ハンマーが下から上がってきて、弦をポンと叩いて、また下に戻る。でも、ゆーーーっくり下ろしすぎると、弦を叩き損ねて、たたかないまま下に少し降りるのがわかる。
実は鍵盤って、すごく長い。指で弾いているところから、今見たハンマーのところまで長い棒のようなものだ。長い木の棒の手前を私たちは指でおろして、そのおかげで木の棒の向こう側の先っぽについているハンマーが上がる。
そう、つまり、
てこの原理。
てこって、手前を押すほど向こうが楽にあがる。奥の方を押そうと思うと上がりにくい。
原則1)特別な例外を除いて、できるかぎり鍵盤の奥の方を弾くことを避ける。手前の方がコントロールがしやすい為。

では、さきほど重さをかけても音にならなかったのはなぜ?
それは、エスケープという機能が関係してくる。難しい話になりたくないので、少しだけにしぼって説明すると、鍵盤をゆっくり下ろしすぎると、ハンマーが弦を叩き損ねて少しだけ下りるということは実際やってみるとわかるだろう。それは、弦を叩く直前にエスケープという機能が付いていて、それがあることで、ハンマーが弦にあたったままにならないで、下りてくるようにしてあるから。なぜそうしてあるかというと、ハンマーが弦に当たったままになったところを想像すれば分かると思う。ハンマーは綿みたいに柔らかいものでできていて、それで弦を押さえつけると、音が伸びなくなってしまう。シンバルをたたくときに、たたいた後二つのシンバルを合わせたままにしているようなものだから。
ピアノがこういう仕組みになっていることを考えると、いくら重さ”だけ”をかけても、それに最低限ある程度のスピードを加えない限り、そのエスケープのせいでハンマーが弦をたたく前に降りてきてしまうのはわかるだろう。
原則2)ピアノという楽器で音を出すには、打鍵をする“スピード”が一つのカギとなる。
重さをぐいぐい掛けるのではなくて、スピード。
では、重さは使わないの?
もちろん使います。それについて説明してみよう。
ピアノでは、もちろん様々な音の色が必要になる。音の色を変える方法は、和音のバランスとか、音を出すタイミングとか、ハーモニーとかペダルとか・・本当にいろいろあるのだけれど、今見たように音を鳴らすには打鍵のスピードが一つのカギになるという根本から考えると、極端にいえば送り込むスピードを変えることでも音の色を変えることができるわけだ。
逆に、同じスピードを送り込んだとしても、軽いものにスピードを足して送るのと、ある程度重さのあるものに、速度を足すのだと、到着する勢いに違いが出るのは、想像できるだろう。
たとえば、ある大きさの、紙でできた箱と、それと同じ大きさのレンガの石があるとする。それを同じ様に勢いをつけて地面に落としたとすると、落ちた時の勢いが違うのはすぐ想像できると思う。
つまり、もともとの重さ×それに足す速度(エネルギー)で到着点の勢いがかわるので、重さと速度を組み合わせによって、様々な勢いを作ることができるというわけ。
なんか物理みたい・・・汗
なので、私たちがピアノを弾く場合、必要に応じて使う重さとスピードをさまざまに組み合わせることによっていろんな音を出すことができるということになるのは、わかってもらえただろう。
自分なりに、分析してみたのだけれど、こんな感じであっているのかな・・
ふう・・・言葉だけの説明って大変・・・頭がショートしそう・・・((+_+))
・・・続きは次回のブログで♪
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~意味のある練習を学ぶ~ “どこまで”を見る

Crescendo を見ると、途端にぶわーっと襲いかかってくる演奏を時々耳にする。これを、“こわい”クレッシェンドと私は呼んでいる。聴いていて本当に怖いからである。笑
Crescendo=大きくする。といういつの間にか覚えた観念から来ているのだろう。もちろん間違いではない。でも、音楽に接するときにいつも初心に戻って考えてほしいことがある。
作曲家は、なぜそう書いたのだろうか。
楽譜を見ているとわかると思うけれど、昔に戻るほど、作曲家によって書かれた速度表示や、強弱表示が少ない。スカルラッティなどには、何も書いていない。少しずつpやmf, ff、crescendo,diminuendoなどの強弱記号やaccelerando, ritなどの速度表示が書かれるようになり、それからdolce, espressivoなどの性格に関する表示が記載されるようになる。
“撫でるように”、“不安げな”、“遠くから”・・・など、踏み込んで具体的な表示がかかれるようになって来たのは本当に近代である。近代の作品には、“言葉”の表示が本当に多い。それに対して、ベートーヴェンやショパンなど、よく見ればまだとても限られた表示のみでしか記されていない。
ということは、私たち演奏する側に必要なことは、“どんな”ピアノ、“どんな”クレッシェンドを必要としているのか、ということを考えること。そうでないと、クレッシェンドのたびに大きくしたり、ピアノだから小さくしていただけでは、行ったり来たりのすごくつまらない演奏になってしまう。
たとえばクレッシェンド。
あるクレッシェンド表示があるとする。まず何が必要だろう。それは
1) どこから(=どういう音量から)
2) どこまで
そして、
3) どのように
ということを見ること。
わかりやすく言うと、クレッシェンドと一言で言っても、どういう大きさから始めて、どこまで上る必要があるのかということ。そして、どういう風に上るか。
場合によっては、ピアノからフォルテまでかもしれない。でも、メゾピアノからメゾフォルテかもしれない。もしくは、ピアノの中でのクレッシェンドかもしれない。
一番良い方法は、まず“どこまで”を先に決めること。前後関係や、曲の全体のバランスを考えて、こういう大きさまで上っていく必要がある、ということを見極める。
次に、“どういう”クレッシェンドが欲しいのかを考える。そのために、まず見る必要があるのは、何小節かけてクレッシェンドすればよいのかということ。それによって、急なものなのか、じりじりと来るのか、それともふわーっと広がるのか・・、など。つまり、“どのように”ということを見ることができる。
どこまで、どのように、と見ることによって必然的に、“どこから”、つまりどういう音量から始めるということが見えてくる。その上で、曲の性格をみながら、いろいろな種類のクレッシェンドを作り出すと面白いだろう。
多くの場合、クレッシェンドを見ると、まず大きくし始めてしまう。そうではなく、目的を定めよう。これから階段を駆け上がらなければならない時に、2階までのぼれば良いのか、10階までなのか、それがわかっていて初めてエネルギーの配分ができる。それと同じことだ。
Diminuendoも同じ。どこまで小さくするのか、をまず見極める。とりあえず音量を減らしてくるのではない。まったく同じことが、だんだん速く(accelerando)やだんだん遅く(ritardando)にも言える。どのテンポに向かってだんだん速く(遅く)するのか。
当たり前に聞こえる今回の話。振り返ってみると意外と、“どこまで”から探して始めていないことに気付く人もいるのではないかな。基本に帰ることをいつも忘れないでいたい。
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すったもんだ (4) 最終回

牽引車のお兄ちゃんは慣れたもので、車にひもを引っ掛け、いとも簡単にレッカー車にわが愛車を乗せた。私も助手席に乗っていざ修理場へ。途中話を聞くと、こういうことだった。
1) おそらく取っていったのは、ロシアマフィアであろう。最近流行っていて、上から指示されたグループが、受け取ったリストにある部品を集めてもちかえり、売りさばくという。リストにはOO製の**型のライトひとつ、などという買い物リストみたいになっているらしい。たとえば、うちの近くに止めてあった車は、ライトがまるまる引き抜かれていた。でも、うちの車のライトは残っている。きまった型のライトが欲しかったんだろう。
2) 私たちの車では、ハンドルの真ん中がなくなっていたけれど、それはエアバッグだった。上手に引き抜かれているらしく、そのまんまほかの車に使うか、売ることができるらしい。
3) そういうことからすると、地下駐車場はいろんな車がそろっているから、盗みの恰好の的になるらしい・・・。
へえぇ(・o・)
って感心してる場合ではない。修理場に着くと、手続きが待っていた。他にも車上荒らしにあってしまった人のために、大事な項目を書いておくと、修理場で必要なことは
1) 手をつける前の車の写真を撮って保険会社にFAXしてもらう。どこが傷ついて、どういう状態かを保険会社に送るため。
2) 保険会社に電話した際に、SchadeNummerという今回の私たちの一件の書類番号を教えてもらえるので、それを修理会社に伝えて書類に記載してもらう。
3) 傷の状況、無くなったものを説明し、書類に記載してもらう
4) それともう一つ、Gutachtenという、後々私たちに送られてくる今回の事件に関する報告書があるらしい。それはいずれにしても、修理会社か保険会社のどちらかが作らなければいけないのだけど、全修理費の10%ほどその書類の費用としてかかり、保険会社が負担するらしい。私たちにとってその書類は受け取らなければいけない大事なものなので、後からもめないためにも、前もって修理会社か保険会社のどちらに作ってもらえるか、確認する。
これらの手続きの結果、修理業者が見積もりを作り、保険会社に連絡。保険会社から全額負担のOKがでて初めて修理を開始する運びになるらしい。
私は、上記の手続きを車の移動も含めて3時間以上かけて済ませ、家に帰り、あと残っているのは保険会社に警察の調書をFAXすることだった。警察の調書にも、先ほどのSchadenummerを書き添えて送る必要がある。
さらに、参考までにだけれど、ちょっとしたことが二つあった。
ひとつは、保険会社から“ナビゲーションのCDは、家財道具扱いなので車両保険ではでません”と電話があった。一円でも少なく負担しようという保険会社の手。というより、車両保険はある会社、家財保険はほかの保険会社というように複数の保険に入っている人もいるので二重で受け取ることを避ける狙いらしい。私たちは、同じ保険会社で家財保険にも入っているので、その説明をしてそれも負担してもらうことになった。
二つ目は、警察からの手紙。電話をかけるように、との指示でどきどきしてかけたら、とられたエアバッグは、もともと付いていたのか、あとから付けたものなのかという質問だけ。もう・・・そんなことで電話させるなんて(怒)。
数日後、保険会社から書類が届き、そこに事件の状況や発見時の様子などを記載し返送。その直後に、保険会社からのOKがでたので、修理を開始しますとの連絡が入った。
ふうぅ・・・保険に入っていたから負担はゼロ。でも、手続きや処理にかかる時間と労力といったらすごい。迷惑な話だ、本当に。
ブログ4回分にも及んだすべての手続きは、こうして終わったのでした。(完)
おまけ:すったもんだ(2)にあるように、警察に行ったのだが、その当初、盗まれたものの説明をするのに、ハンドルの真ん中にあるものが何か分からなかったので、私は
私:何かわかりませんが、ハンドルの真ん中にある・・・
としどろもどろで語っていた。その時、警察が
警察:O*△でしょ?!と言ったのだけど、何か聞きとれず、
私:え、わかりませんが、ハンドルの真ん中にあるものです、と繰り返しておいた。
帰り道、同行してくれたH子に、“ねえ、ハンドルの真ん中の物のこと、警察の人なんて言ってたかわかった?”と聞くと、
H子:え・・なんか “あべ”って聞こえました。(・o・)
私:あべ? 阿部? (・_・;)
結局、今振り返ってみれば、AirBagと言っていたらしい。エアバッグはドイツ人が発音すると、エアーベェーーッグとなる。エアーベェーーグ エアベグ・・・アベ・・・
お。阿部だ!( `―´)ノ
H子、なかなか鋭い耳の持ち主だな、おぬし・・・
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すったもんだ(3)

これまでの話で、だんな(以下D)は、スイスに飛んで行ったまま私を放っておいた冷たい人物のように登場しておりますが、ちゃんとDも、保険に関して手続きをしてくれたのでした。(ここで、フォロー (´▽`) ホッ)
警察の現場検証が終わったので、やっと車を動かすことができる。でもその前にすることが、保険会社への連絡。Dが連絡し、事情を話すと家に必要書類が送られてくるということがわかり、残るは車の修理。
もう、正直ドイツ語であれこれ手続きをするストレスに参っていた私は、Dがスイスから帰ってくるまで車を放置しておこうと思ったのだけど、やっぱり壊れた車を地下駐車場に置いていると思うと気になって、眠れなかった。
私は、何かためらっていることがあるとき、突然プツンと行くと、本当に“いきなり”行動に移る。今回も例外ではなく、翌朝目が覚めるなり車の書類をあさり、修理会社へいきなり電話。あまりにも唐突だったため、相手が“もしもし”と出た後、何を話していいか分からず、一瞬
( 。-x-)-x-)-x-) シーン・・・
としてしまった。汗
私:車上荒らしにあって、ハンドルがいじられているので、車を動かすのが心配で・・・とそこまで話すと、
担当:じゃあ、牽引車をそちらによこしましょう。(いともあっさり・・・)
私は、牽引車に来てもらう料金が保険会社からまかなってもらえるのかを知りたかったので、(というのは、自腹になる場合あまり高いようであれば自分で壊れた車を運転してでも、持っていこうと思ったわけです。)その旨たずねると、
担当:それは入っている保険によりますが、お値段を調べてかけなおしましょう!
というので、電話を切った。
そして、寝ぼけたまま朝ごはんをヌボーッと用意していると、電話が鳴った。
担当:先ほどの車の件ですが、牽引車のお値段は270Euroと税金になります。今、牽引車がそちらに向かっておりますのであと20分ぐらいで着くかと思います・・・
私:( ̄△ ̄;)エッ・・? こちらに向かってるっておっしゃいました??
担当:はい♪
って、まだ頼んでないし・・汗
いずれにしても、頼むことにほぼ決めていたので良いのだけれど、問題は
<寝起き>(/・ω・)/
ということであった。前述のように、起きてすぐ突然電話をしたので、
パジャマ、すっぴん、おまけに髪の毛は実験を失敗した科学者
3大寝起きスタイルがすべて揃っている。
えらいこっちゃ!(@_@;)
そこから猛スピードの支度。入れたばかりの温かい紅茶を尻目に、駐車場へと走ったのでした。(駐車場は歩いて5分ぐらいのところなのです)
(続く♪)
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すったもんだ(2)

で、
ポツン (・o・)        
と置いていかれた私(前回ブログ参照)は、その時、ものすごい孤独感を感じたのでした。
しばらくボーっとした後、頭の中フル回転。この状況をどうすれば良いんだろうと。
お近くの警察署、なるものは、その辺を見渡しても見つからず、私が最初に取った行動は近くのお店に入ること。行ったのはお花屋さん。事情を話して警察の場所を知らないか聞くと、
店員さん:ごめんなさいね、私ここで働いているだけで、この辺のことに詳しくないの。お隣の新聞屋さんで聞いてみて。
そうですよねぇ。私なんか、このあたりに住んでいるのに、警察の場所なんか知らないからなぁ。
荒らされた車を発見して以来、
驚き-動揺-孤独-頭のフル回転 
と動いてきた私の感情は、車を見つけてから既に30分以上たっているにもかかわらず、状況が何も進展していないということに対して、ここで
プツン(- -#)
と切れ、突然怒りへと変わったのでした。これ以上たらいまわしにされてたまるか、と家へとずんずん歩き、家に着くなり電話をとり、ちゃんと“お近くの警察署”の場所を教えてもらおう!と再び110番へ。
すると、
<ただ今、この留守電は・・・>
( ̄△ ̄;)エッ・・?
る、す、で、ん??? 
なぜか留守電になってしまったのだけど(さすがドイツ)、懲りずにもう一度110を回す。
>ハイ、こちら警察です。こんにちは♪ (^◇^)
こんにちは♪って・・・今度はなぜかとっても爽やか。((+_+))   
最寄の警察を調べて欲しかっただけなのに、ちょっとまってねぇ、と電話口で10分以上待たされた私。大丈夫なのかな、ベルリン警察。
警察の場所がやっとわかったのだけど、そこへ行く前に車の被害状況をもう一度確認する必要ができた。現場へ戻らなければいけないのに、外はすでに暗くなり始めていた。
事件があった地下駐車場に一人で戻るのはどうしても不気味で、近くに住むH子に電話。快く付いて来てくれた。その後、警察にも同行してくれたH子ちゃん、忙しいのにありがとう ^^。
その間家族にも何度も電話。パニックしている私に、冷静に指示を出してくれて、大感謝。車に詳しい兄にもとっても助けられました。家族はありがたいです、こういう時。笑
あたふたしている私に、パパのひとこと:
パパ:まぁ、要するにさぁ、もう事は起こってしまっているわけだから、
あわてなくてもいいんじゃない?
私:あ、そっか。(・o・)
結局、警察に行き事情を話すと、私の住所と駐車場の住所をメモし、今日中に刑事課の刑事がお宅に行きますので、家で待っていてください、とのこと。夜になり、刑事さんと現場へ行き調書を取った。話によると、車上荒らしにあったのは、私たちを含めて7台。すでに警察が一度現場検証に来ていたらしい。私たちは日本に行っていて、発見が遅れたというわけ。警察から事件の証明書をもらい、こうして長い長―い1日が終わったのでした。
残る仕事は、保険と修理…うんざり
こぼれ話:
刑事さんというのは二人組で我が家を訪れた。私服の若い男性と女性。男性刑事が途中私に、
刑事:ところで、君はどこから来てるの?
とたずねた。
私:日本です。 
するとすかさず、
刑事:ホンシュ?ホッカイド?
と。お、この人詳しいなぁと思い、
私:日本のことご存じなんですか?
と聞くと、
刑事:いやぁ、全然!( `―´)ノ  (そんなにきっぱり・・・)
じゃあ千葉といってもわからないだろうと思い、<東京です>というと
刑事:しらないなぁ。僕が知ってるのはホンシュ ホッカイドだけなんだ!
あのぉ、ホンシュ ホッカイドの前に、東京知らないの??と思ったのですが、
さっと流しておきました。
その刑事さんは、とっても良い人なのだけど非常に頼りなく、その日も私が預けた地下駐車場のカギを10分ぐらいでなくしてしまい、洋服に20か所ぐらいあるポケットを全部あさってやっと出てきたのでした。
刑事:ぼくって、家の鍵もいつもなくすんだよねぇ
ほんとに大丈夫か、ベルリン警察・・・・。
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すったもんだ (1)

東京を歩いていて、豚に出会ったり(以前のブログ参照)、飛行機が不時着してみたり、(ブログ参照)、ブログには書いていないけれど、ベルリン芸大のトイレに潜む痴漢にあったり・・・なんでまた,
こうしなくても良い体験が多いのだろうと実感する私の人生だけど、また増えてしまった。汗
先日、6週間の日本滞在を終えてベルリンに戻り、借りている地下駐車場に止めていた我が家の愛車を取りに行った時のこと。車のキーで、少し遠くから操作できるので、車からまだ10メートル以上あるところで押してみると、いつもどおりライトがポンとついて、“久しぶり!”と私たちに言わんばかり。
うちの旦那(以下D)と、久しぶりだねーと近づくと、なーんと、後部座席の小さい三角の窓が割れている。二人で駆け寄ったところ、後部座席にガラスが散乱して、ハンドルの中央部がなくなっている上に、電線みたいなのが飛び出している。その他、高速道路用に常備しているお金がはいっているところも空っぽで、助手席の前にあるものを入れるところも、すっからかん。
・・・・・・・・・これって、車上荒らしだよねぇ (@_@;)
ひえーーー。えらいこっちゃ。
Dは、ちょうどその日、スイスに飛ばなければならず、飛行機の時間が迫っていた。私があたふた、あたふた、あたふたとした挙句、警察に電話しなきゃ!というと、Dがひとこと、
電話番号わからない (・o・)
あのなぁ。(- -〆)
それぐらい覚えておけー。そういえば以前、我が家の家の扉の前に、麻薬でへろへろになった男の人が倒れていた時も、(ほらね!すごい経験ばかりでしょう←自慢?)Dに早く救急車に電話しなきゃ、というと、Dは突然上の階の住人を訪問し始めた。
私:D!なにやってるの?
D:救急車の電話番号がわからないんだよ!
私:(ーー;) 
ちなみに、警察110、救急消防112です。知らない人がいるとは思わなかった・・。
というわけで、私が警察の番号をまわし、Dに話をしてもらうと、
警察:その件でしたら、お近くの警察署に行ってください。
D: はい、わかりました (^◇^)
ツーツーツー(通話終了)
こらぁ!使えなーい!お近くの警察署って・・・どこかわからん。
そしてDは、“僕は飛行機があるので、大変だろうけど、がんばって警察に行って、保険の手続きをして、修理に出しておいて”
と言い残し、Taxiでぶーんと空港へ走り去ってしまったのでした。
私は、
 ポツン (・o・)
  と通りに取り残され、しばらく ぼぉーーとしていた。
ど・う・し・よ・う・ (・_・;)
続きは、次のブログで♪
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冬瓜が見た現実

久々の長期日本帰国だったのだが、連日の仕事もあり、すっかりブログが滞ってしまった。
先日自然野菜農家の友達を持つ叔父が、
<とれたての野菜だ。これ何か知らんが、食べてくれ>
と差し入れてくれたのがこれ・・・・・なんじゃこりゃ。(@_@;)
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どうみても恐竜の卵。
隣にある豆粒のようなのが、柿。
調べたところ、これは冬瓜(とうがん)というらしい。叔父によると切っておみそ汁に入れて・・という話であったが、包丁入りませーん。(+o+)
重さどれだけあるんだろ (・・?
そんな中、ふとした疑問が起こり、体重計を持ち出した。しかし・・・それが運命の分かれ道となったのであった。体重計に乗せたところ、
大きすぎて目盛りが見えない!
仕方なく、私が恐竜の卵を抱きかかえて測れば良いだろうということに。そこから私の体重を引けば良いわけ。卵ちゃんを抱えいざ、体重計へ。
えーーー!!!みんな聞いて!すごい重いよこれ!!!目盛りがすごい!
といって、卵を足元に置き、自分の体重を計ってみると・・
・・・・・・  え・・・・  (・・;) 
重いの私じゃん \(◎o◎)/!
こんな体重みたことないー。えらいこっちゃぁー。
大打撃を受け、さんざん騒ぎ、そして沈没したのでした。
ちなみに冬瓜は・・(個人的には、もうそれどころではないが)6キロでした・・
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伝えたいこと(4) 練習に必要なこと

いつのまにかマンネリ化してしまうことがある=練習がつまらない。こういう悪循環になるときは、知らないうちに何かが欠けてしまっていて、それに気がつかず、ただやらなきゃという使命感だけでおし進めてしまい、結局は空回りしてしまっていることが多い。
何が欠けているんだろう。
“本当の意味での”練習に必要なこととして、私はこの3つを上げる。
1) 向上心
2) 忍耐力
そして
3) 好奇心
1) は、<上手になりたい><ここを弾けるようにしたい>など何でも良い。きっと
さまざまな形で、みんな多かれ少なかれ持っているだろう。
2) は、曲の続きがどうなるのかが気になるとか、通して弾きたい、このかっこいいクライマックスまで弾きたいなど、つい通し練習が増えてしまう場合。または、少し弾けないところがあっても、ちょっとそこを弾き直したらすぐ先に行こうとしてしまうケース。そんな先へ進みたい欲望をぐっと抑えて、今練習しているこの場所がしっかり手に入るまで練習する必要性を忘れないでほしい。大体できたら次に行く、だと、結局また戻ってしまう。そして、できたと思ったら、確認の意味も含めて<更に>磨く。あわてず、丁寧に深く練習。これが一番の近道。
  本にたとえてみよう。話の先が気になって、ざっと読み進めてしまうことがある。でも結局、登場人物や状況が把握できなくなって数ページ戻って読み直すことになるという経験はないだろうか。
そして最も大切なのは
3) 好奇心。
ひとつのイメージがあるとする。それが音にできたと思っても満足せず、ほかの可能性はないだろうかと探してみる。たとえば、劇であるセリフを読むとき、うれしそうな表情が欲しいとする。うれしさがあふれるように、早口に読んでも良い。声の質を明るくしてもよい。でもうれしさをあえてこらえ様としているような感じでも面白いかもしれない。あふれているというより、満たされた安心感、満足感の漂う嬉しさかもしれない、あるいはその前になにか緊張することがあって、それが緩むほっとしたうれしさはどうだろう。イメージひとつでも、たくさんの可能性がある。
または指使い:楽譜に書いてあるのを試してみる。しっくりいったとしても、もしかしたらほかにもっと良い方法があるかもしれない。でも弾きやすくても、音楽的な表情をだすためには、あえて弾きにくい方の指使いの方がよいかもしれない。10本の指があるのだから、あれこれ試してみたい。
ある作曲家の曲を弾くとする。そういえば、この人ってほかにどんな曲を書いたんだろう。ピアノに限らず、室内楽、シンフォニー、歌曲、管楽器・・・たくさん聴いてみるのは不可欠だ。ベートーヴェンのソナタなら、自分の与えられた曲だけではなく、ほかの曲を弾いてみるのも良いだろう。
可能性を増やすのは、自身の“好奇心”。
私も初心に戻って、がんばろっと。
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それはどうなの??? 笑

先日、東京で大勢の人が行き交う通りを歩いていたときのこと。前から小さなかわいいダックスフンドをつれて歩いてくる女性とすれ違った。信号を横断するところで、前からも後ろからも人の波が押し寄せる。そこでそのおばさんが“わんちゃんへ”放った一言が耳に入った。
―ほら、ちゃんと前を見て歩きなさい!!
私:        ・・・・・・・( ̄  ̄) しらぁ~   
いやぁ、ここでまっすぐ前を向き直って歩く犬がいたらすごいもんだ。
そこで思い出した。10年以上前のこと。東京の浜松町駅前の信号を渡っているときだった。そこでも人の波が押し寄せていた。そして後ろから・・・
<りかちゃん、りかちゃん早く渡りなさい!>
との声。この都会のど真ん中で私を呼ぶのは誰?とふりかえると、
なーーーーんと、

豚にひもをつけて散歩
しているおばさんが!!!!((o( ̄(●●) ̄)o))
私の心の中では3発の叫びが:
―なんで、ぶたがここに!
―豚にひも???
そして、
なんで<りかちゃん>なんて名前をつけてるんだ!こらぁ!
人口が多いせいか、いろんな人がいるもんだ、ホント。
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伝えたいこと (3) 泥んこになる

なんか・・・・最近いろんな生徒たちを見ていて、強く感じることがある。
―とてもじれったい。もどかしい。
レッスンをするということは、想像していた以上にとても難しい。痛感している難しさの1つが、生徒とのバランスを見つけること。
どんな状況でも絶対に手を抜かず、全力投球しているつもりだ。もっと高いものを望んで欲しい、もっとがんばって欲しい、そんな思いを伝えたくて、必死で向かっている。でもふと私だけが必死になっているんじゃないかと感じることがある。相手はそこまで望んでいないのかな。と疑問がよぎる。教えていて、一番さびしい瞬間だ。
もっと美しい音がないのだろうか、もっとこの部分に違う可能性がないのかな。もっといろんな曲を知りたい。もっと成長したい・・・。失敗しても、恥をかいても、間違えた方向でも何でも良い。私が留学を始めた頃、なんかもっともっと突っ走っていた。私だけではなく、周りもみんなそうだった気がする。限られた数年の留学で、ひとつでも多く学びたいと、1つ1つのレッスン、1つ1つの言葉、一つ一つの機会を絶対に漏らさないように、必死だった。
まさに、
がむしゃら。
がむしゃらに突っ走る分、壁にどっかんどっかんぶちあたった。あたれば方向を変えればよい。あたったぶん痛いし苦しいけど、なにか身についているはず。そう信じて突っ走った。
スマートに生きたい。早くうまくなれるように近道を見つけたい。落ち込んでいるところを見られたくない。恥をかきたくない。格好悪いところを見られたくない。ある程度はもう自分でできるところを見せたい。こんなこと先生に聞いたら恥ずかしいかな。
生徒たちにそんな思いが渦巻いているように見える。
中学や高校の頃、体育祭で走るとき、一生懸命走る姿を恥ずかしがって、手を抜いて走る女の子がたくさんいた。どっちが格好悪いのかな。良いのかな、本当にそれで。
泥んこになってほしい。
子供のときのように、無心で突っ走ってみればよいのに。無茶をして突っ走る。それができるのは、学生である今しかないのに。