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たからもの。

ふぅぅ・・温かい・・・・ぽかぽかです。
本当に久しぶりに温まりました、芯から。
何がって?
<心>
です。
5週間の日本滞在。演奏会とレッスン、そして移動で、予定の入っていない日が5週間でたった1日しかなかったという大わらわ。ベルリンに帰ってきたら、さぞかし疲れているだろうと思っていた。
地方公演から始まり、最終の東京公演まで6か所、行く先行く先で、本当にたくさんの方にお目にかかった。初めて会う方々、お世話になった先生方、しばらく会っていなかった親戚、数年会っていなかったベルリン時代の仲間、芸大時代の仲間、・・・そして、さらに時代を遡って16年ぶりに会う高校時代の友人などなど。
何が嬉しいって、それは、初めてお目にかかったどの方とも、音楽を通して1つに通じあえたこと。
そして、10年近く、あるいはそれ以上会っていなかった様々な友人と、
一気に時間を飛び越えて以前に戻れたこと。
音楽の力はすごい。
できることなら、一人一人に心から、感謝の気持ちを伝えたい。
まずは、演奏会前の準備をしてくださった方々、友人。そのご苦労は、私も東京公演で実感したが、並みの仕事量ではない。本当に想像を絶するものがある。
自分の演奏会かの如く、心から私たちの演奏会の存在を多くの方に広めてくれた方々。
当日の演奏を聴くのをあきらめて、舞台裏ですべてが滞りなく進むよう、本当にたくさんのお気遣いと、お仕事をして支えてくれた方々。
試行錯誤して時間をかけて用意された曲目解説やプログラム。
二台ピアノという、一台のときより更に非常に微妙な調整を要求される調律。
私たちが演奏しやすいよう緊張しながらも一生懸命してくださるふめくり。
など・・・一瞬の、たった2時間の演奏会のために、あらゆる人の心が一年以上前から注ぎ込まれて出来上がっている演奏会。
そして、そうやって作り上げられた当日の演奏を聴いてくださる方々。サイン会の場などでその興奮を一生懸命伝えようとしてくださるお客さまの表情は私たちに大きな幸福感とエネルギーを注いでくれる。サイン会は、特に演奏直後なため、みなさんが本当の生の声を聞かせてくださる。それがまた嬉しかった。
たとえば、
―演奏会で初めて寝なかったんです!
   ↑本当に生のリアルな声でしょう(^-^)
―鳥肌が立ちました・・と肌をさすっている方。
―メシアンで初めて感動しました
―体を悪くしている母を思い涙しました・・・
―音楽のことわからないんだけど、なんだか楽しかった!
などなど・・。飾らないその声に、私もDもどれだけ心が満たされ、温かくなったことか・・。残念ながら、みなさんに伝える場所がないので、ここにせめても書かせてほしい。できることなら伝わってほしい・・・
こんな生の声をたっぷり吸収して演奏会から戻るたび、ホテルで
音楽って、あんなに人の心を揺さぶることができるんだね。
あんな反応を、そして言葉をいただけて、お客様の感動のまなざしをみるだけでも、幸せになる。音楽をやってきて、本当に良かったと感じるね・・・
などなど、本当に毎回話していた私たち。
そして、家族。心の支えだけでなく、当日もたくさん協力してくれた兄とその彼女。
娘が帰ってきたにも関わらず、疲れ果てて料理をする気のない役立たずな私のために、
毎日毎日文句ひとつ言わず3食作ってくれていた父。
私は本当に幸せ者だ。本当に。
疲れて帰るどころか、心の底満たされてのベルリンへの帰路だった。
寒い冬空で、今も心はぽかぽか温かい。
私のサイト、FromBerlinへは
こちらから http://www.rikakomurata.com

待望の日本公演!

しばらくこのページをトップに固定させていただきます。
Blogはこの下に更新されていきますので、ぜひご覧ください!!
演奏会チケット、まだ間に合います。是非いらしてください!!!!!
私(rikakomurata@yahoo.co.jp)にご連絡くださっても結構です。よろしくお願いいたします。
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私が数年前から力を入れていることの一つに、二台ピアノの演奏があります。
Pascal DEVOYON(パスカル ドゥヴァイヨン)とPIANO DUOを組み、本格的な二台ピアノの魅力をお伝えしたいと切望して参りました。
これまで、数々のヨーロッパを中心としたFestivalにご招待いただき、大変な反響をいただいており、なんとか一人でも多くの方と、この魅力を分かち合えたらと切望しております。
メシアンの47分にもおよぶ<アーメンの幻影>という稀に見る大作を、全曲通して聴かれたお客様のお一人お一人が、本当に感動の渦に包まれて、目を輝かせ、心を満たされて会場を後にされます。なんとも言葉にし難い、感動的な瞬間です。
そして、いよいよ、この<アーメンの幻影>全曲を
2008年11月30日 東京文化会館小ホール
にて演奏会をさせていただくことになりました!!
当日は日曜日、時間も14時からとなっておりますので、是非是非一人でも多くの方にいらしていただけたら本当に嬉しいです。(お問い合わせ:東京文化会館チケットサービス 03-5815-5452)
プログラムは、メインとなっているのがメシアンのアーメンの幻影全曲演奏。まれに見る大作で、演奏機会の少ない名作です。メシアンをご存知の方も、まったく知らないという方も、とにかくいらしてみてください!!  クラシックに詳しい必要はありません!先日のブログ(8月29日)にも書きましたが、これまでにメシアンを知っていたという方も、まったく知らなかったというクラシックの素人の方でも、どなたにでも感動を与えてくれます!(注:全曲演奏は東京のこの日のみとなっております。)
そのほか、メシアンの弟子であるミシェルメルレの作品、ドビュッシーの”祭り”、そしてラヴェルのラ・ヴァルスを演奏させていただきます。
下のチラシをクリックしていただけると、画面が大きくなります。
皆様にお目にかかれるのを心待ちにいたしております!

みんなで作るということ・・・。

6公演が予定されている今回のピアノデュオリサイタルもすでに4公演を終えた。
すべてが本当に大成功で、各地のサイン会では大勢の方に並んでいただき、本当にありがたく、また嬉しい限りである。よく
演奏会は、お客さまと一緒に作る
などという言葉を耳にする。そうだなぁ、と、もちろん漠然と頭では理解していたつもりだけれど、今回の各地の公演で、ここまで、本当に<心の底から>それを感じられたことは、私にとって最大の宝物だと思う。
お客さと一緒にというより、むしろお客様に支えられて、と言った方がさらに
正確かもしれない。
舞台に出て、一曲一曲演奏するたびにいただく拍手と、それぞれのお客様の嬉しそうな表情のおかげで、一曲ごとに舞台を下がる私たちがどれだけのエネルギーをいただいているか、言葉では表しがたい。
私たちに、一生懸命、本当に一生懸命拍手して下さる方を見ると、私たちの心が温かさで満たされる。
そして演奏会が終わってからも、
感動した、昔のことを思い出して涙した、こんな色を聴いたことがなく、鳥肌が立った・・
など、みなさんそれぞれがご自分の言葉で私たちに直接興奮を伝えてくださる。
Dが演奏会の後、ふと嬉しそうにつぶやいた。
久しぶりに、<音楽をやっていて本当に良かった>と感じたなぁ・・・。
皆さんの一言一言が、この公演だけでなく、これからの私たちの音楽人生にとってどれだけ沢山のエネルギーの源になっていくことだろうか。何にも代え難い本当に有難い経験をさせていただいて、私は本当に幸せ者だ。
そして、その演奏会を一年以上も前から準備してくださっているスタッフ。みえないところで大変なご苦労をしてこの演奏会を準備してくださったと思うと、なんとかして感謝の気持ちを伝えたい。精一杯の演奏をすることでしか表現できないから歯がゆい思いもあるが、私たちからの感謝の気持ちを私たちの演奏を通して少しでも伝えられたらと思っている。
もう一つの宝物は、友人たちとの再会。留学や帰国などお互い離れ離れになりいつの間にか10年という月日がたっていく。そんななか旧友が、忙しい中演奏会に足を運んでくれ、思わぬ再会をする。一瞬にして10年という時を超え昔に戻れた気がした。
毎日、毎公演を通して、心がどんどんどんどん温かくなっていくのを感じる。あと2公演。私たちは、心から音楽を愛している。私たちの音楽への愛情、情熱を、残りの2公演を通して、ひとりでも多くの方に感じていただけたら本当に幸せだ。
私のサイト FromBERLINへは
こちらからhttp://www.rikakomurata.com

From 札幌!

一年以上前から計画し、地道に準備を進めてきた、DとのピアノDUOリサイタルツアー。
11月2日の藤沢公演を皮切りに、つい先日2公演目となる札幌公演も大成功のうちに終えることができた。今回のツアーにあたっては、本当に数限りない方々のお力によって成し遂げられていることを心から感じ直し、感謝しても感謝しても足りないぐらいありがたい、そして温かい気持ちにさせていただいている毎日。お一人お一人が私たちのために、本当に親身になって協力をしてくださる。自分もこういう人間でありたいと、つくづく感じている日々である。
私にとって、今回初めてになることがたくさんある。その中のひとつであり、大きな課題は一か月の間に6回の演奏会をするという経験だ。しかも6回目の東京公演はプログラムが一部違って来る。6回も演奏させていただけるということは、次第に落ち着くのではないかと思っていたが、そう簡単ではない気がする。実際のところ、まず集中力の持続という点で、非常に難しい。
各地での演奏会の翌日は、すべて公開レッスンが予定されている。演奏会の興奮と疲労がやまないまま、Dはレッスン私は通訳。確実に疲れがたまっていくのが感じられる。その一方で、ひとつの演奏会をこなすたびに、新しいアイディアが浮かび、次の演奏会ではこういう演奏を心掛けたい・・・という欲望も高くなってくる。そうなると、次の演奏会が本当に楽しみになってくる。
これからの体力配分そして集中力の高め方が、本当に大切な課題だと感じている。
がんばるぞ。
今回の演奏会へは実は特別な思いがある。ほぼ10年前の今頃、私にとって日本で初めての大きなリサイタル、つまりデビューリサイタルを東京でさせていただいた。なんて皮肉なんだろう。その日、まさにその日の演奏会直後、私が世の中で一番愛している人のひとりであるあの人が、空の世界へと旅立ってしまった。あの人は旅立ちが近いことなど、私には一つも告げず、ただ、今日は体調が悪いからと演奏会には来なかった。そして演奏会が終わったその数時間後、私の目の前で突然旅立ってしまった。25歳だった私には、すべてを受け入れることが難しく、世の中がひっくり返ってしまったようで、あまりの驚きにひと粒の涙も出ず、
まるでドラマみたい・・・。うそでしょ・・・。
そう思ったのを今も覚えている。
あれから10年、その時の心の痛みと張り裂けそうな苦しみは、今でも癒えていない。時間が解決するなんて全くの嘘だ。今だって思い出せば胸が張り裂け、破れそうになるほど苦しい。
10年後の今、また東京を含む6か所での演奏会をさせていただいている。今度こそ聴きに来てくれてるかな。
なにも欲張ったことは望まない。ただ、演奏を,いや、ひとつひとつの音を通して、彼女にどうしても伝えたいことがある。それは直接言うことができなかった一言:
音楽という道を歩ませてくれて、ありがとう。今、私は本当に幸せだよ
と。

生きた音楽とは (4)

そして、もうひとつ大事なのがハーモニー。ハ長調だと思ってたら急に違う音が入って、それをきっかけにホ短調になったとする。これも、まっすぐ進むと思っている音楽が、向きを変えて右の方にいったようなものだから、音楽に変化が与えられることになる。ハーモニーの変化を追って音楽を見ることは、音楽を組み立てる上での大きなヒントであり音楽に命を吹き込むうえで不可欠なことである。
また、長い音がある時や休符など、耳を澄ますようにして聴くと、これもまたなんとも言えない緊張を作り出す。なぜかというと、人間が耳を澄まして聴くときは、ほかの周りの雑音をできるだけ除外するように聴くだろう。犬だって耳を澄ます時、それまでへぇへぇ言っていた舌をすっと引っ込めて、瞬間的に口を閉じて耳を澄ます。(少なくともうちの犬はそうでした。笑)つまり、弾き手がその音や休符に全神経を注ぐことで、聴衆もその瞬間その音へ集中するからだ。
挙げてみたらキリがない。まだまだ沢山の宝物が楽譜に潜んでいるに違いない。それらすべてを見逃さず、音楽の生命、表情の一員にできたら、どんなに素晴らしいだろう。
(続く)
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生きた音楽とは (3)

ペダルも忘れてはいけない。ペダルの深さや長さの加減でも、音楽に表情をつける大きな役割になるだろう。ペダルには、本当にたくさんの踏み方がある。ところでペダルの役割は何だろう?
その一つは、色を作ること。
音を残すためだけではない。音に艶や色、響き・・・など表情をつけるためにペダルは存在するのだ。演奏家の持つ音楽の色、つまり音色が多いか少ないかという印象は、指で作る音だけではなく、自分の足でどれだけ<様々な深さ><様々な種類>のペダルを作れるかにも大きく影響してくるのだ。
自分に音色が少ないと感じている人。ペダルという可能性があることを忘れていないだろうか。そして、ペダルも、真ん中のペダルはまれだとしても、弱音ペダルと普通のペダル、少なくとも2種類ある。この多彩な深さの組み合わせで、実は本当に何色もの色ができることを決して忘れないでほしい。ついでに加えておくと、弱音ペダルは何のため?
これも、色のため。
つやを曇らせたり、柔らかくしたり、大きな音でも、鈍いフォルテが欲しかったりしたら、もちろん使って良い。
ピアニッシモという表示をみたら、つまり、弱くするために使う・・・これだけは絶対に避けてほしい。
(続く)

生きた音楽とは (2)

では、音楽に緊張(変化)を与えるにはどのような方法があるだろうか。
緊張というのは、絶え間ない脈の歩みに、予想外のことが起きると感じられる。
(もちろん、弾いている本人に予想外なことが起きたらだめなので(笑)予想外のことが起きたように聴かせるわけだけど。)
聴き手にとって予想外のことを起こすために、音楽の中にある様々な要素を見逃さず、使っていかなければいけない。
たとえば、Subito Forte、Subito Pianoなどの突然の強弱の変化、あるいはスフォルツァンドやアクセント…これらは思わぬところに強調される音が来ることで、脈に変化が起こる。なにか驚いた時に、脈が一瞬速くなるようなものと言っても良いかもしれない。そう考えると、必要以上の不自然なスフォルツァンドは、驚きすぎて心臓が止まってしまうように、音楽を止めてしまうというのもわかるだろう。
休符はどうだろう。まず、休符は<お休み>ではない。私は生徒に休符も音符の一つだと思ってほしいと、いつも口を酸っぱくして言っている。休符には音楽にふと沈黙を作るだけでなく、
<呼吸>
という、音楽が生きる上で欠かせない役割を果たしているからだ。
文章を息継ぎをせずに読まれたら、聞いている方だって苦しい。音楽も同じ、句読点や、息継ぎが必要なのだ。その息も、落ち着いている時の吸い方と、興奮しているときの吸い方、溜息、驚いた時の息使い・・・それぞれ全然ちがうのがわかるだろう。休符にも、人間の息と同じだけの表情があるはずだ。
この通り、休符でも、それまでの脈や表情にさまざまな変化を与えることができる。
他には何があるだろうか。次回また考えてみたい。
(続く)
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生きた音楽とは  (1)

私たち演奏家の役割は、紙の上にある音符に命を吹き込むことだ。
命のあるもの、つまり、
<音楽が生きる>
ということは、どういうことだろう。
生きているものは、呼吸をする。動物でも、植物でも皆そうだろう。
音楽が呼吸をしない限り、音を並べても音楽は死んでしまう。
音楽が呼吸をするために必要な要素の一つは、緊張の伸縮だ。そのことについて数回にわたって書いてみたい。
音楽には、まず何よりも、動物や植物のように、決して途切れることのない
<脈の歩み>
がなければいけない。その脈の中に、緊張と弛緩がおりまざることで、音楽が呼吸をしていく。
緊張がずっと同じ状態の音楽は、なにも特別な出来事が起きず続いていくドラマや映画を見ていることを想像すれば、退屈してしまうことは、容易にわかるだろう。つまり、緊張とは、
何かの<変化>が起こること
で生まれるのだ。
(続く)
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ちゃんと呼んでくれぇー

確かにねぇ、ドイツ人にとって日本人の名前はなじみではないとは思う。でも、それにしても、私の友人たちも含めて、本当に良く間違えられる。
これまでも、例えばこんなことがあった。
演奏会のプログラムで 私の名前がRikako MORATA と印刷されていたので、
(それにしても <もらた> なんて、なんとも美しくない間違え方である。)
― Morataのところ、OではなくてUです。
と伝えた結果、次の演奏会では
RIKAKU  MORATAとなっていた。 RIKAKUって・・・そっちのO
をUにかえてどうする、(;`O´)oコラー!
この主催者の演奏会は、毎年弾いているのだが、訂正する場所をいつも間違った挙句、ずっとリカクだったり、モラタだったり、モラトだったりと変遷をたどったのである。正しく表記してもらえるまで3年以上かかった。
その他にも、書けばきりがないほど、たくさんある。
そして今日、ベルリンに書留郵便が届いたときのこと。
配達の女性が、
ハイ、マルタさん、あなたに郵便よ。
と、のたまう。
まるた?? 丸太??? それはいやだぁ。((+_+))
ま、うちのDも、相当いろんな呼び方をされている。
<でぼじょん> などと言われる場合もあり、もう誰なのかさっぱりわからない始末である。
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へえぇ (・o・)

フランスでは、演奏会の直前の人にエールを送る言葉として、
メルドゥ
と言う習慣がある。がんばってね、とか幸運を祈るね、の意味合いで使うのだけど、おまじないに近い言葉。で、言われたほうは、”ありがとう“と言ってはいけないという話も聞いたことがある。ありがとうと言ってしまうと、効果が薄れるとか。
この<メルドゥ>という言葉は、実は非常に美しくない言葉で、本来の意味は
なんと、
糞(クソ) 
である。書くのも恥ずかしい・・・(* v v)。 ハズカシ
なんでこんな言葉がエールになったんだろうとずっと疑問だった。もちろんDに聞いたところ
知らない (◎-◎)
と言われただけだった。そんなある日、Dの友人から面白い話を聞いた。
その昔、パリの街でまだ車もなく、馬や馬車で移動していた時代。馬さまは、周りに遠慮もなく、道にぽたぽたと、フンを落として歩いていた。馬の数が多かっただろうから、当時のパリは相当汚かったに違いない。
演奏会や、オペラ、演劇など催しがある時は、たくさんの人出があると、当然会場の前に馬が集まるから、フンがたっくさん会場前に落ちていることになる。
つまり、フンがたくさんあるということは、お客さんが大勢来たということでおめでたいわけだ。
そういうところから、たくさんのお客さんが集まる→成功という意味で、
成功を祈るね、という代わりに、
メルドゥ
という様になったらしい。
ほぉ(・o・)
とすっごく納得した。でも、先日の演奏会の前にやはり
とっても大きなメルドゥを送るわ♪
といわれた時、やはりどうしても清潔感を感じられないのは私だけだろうか・・。
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