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色(最終回)

他にもある。例えば、ショパンのスケルツォ二番冒頭。 シーラシレファ、ラシレファッッッ ・・・シッ と来るこの5小節目始めのシのタイミング。これをインテンポの中ではあるが、テンポいっぱいいっぱいぎりぎり遅めのタイミングで入ると、直前の休符に更に緊張が加わる。せかしたような切迫感のある曲なら、インテンポの中で、ほんの少し早めに入るような感じで音を置くと待ちきれなかったような印象が出る。これは
色=表情 その③
タイミングによって表情に変化を加えるケース。
これらはほんの一例で、いくらでも表情を変える方法はある。それを探すのが音楽の醍醐味で、ピアノという楽器の可能性に驚かされ、引き込まれていく。
音に、そして響きに敏感になって、自分の求める物にできるだけ忠実に近づけるよう、探しぬく生徒が一人でも増えてくれることを願っている。
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色(3)

じゃあ、今度は例えば ソドミ という和音があるとする。これに暖かいとかホッとするような表情を出したかったらどんな可能性があるだろう?
生徒:重さをかける?
こういう返事は本当に多い。とにかく『曖昧』なのだ。もちろん音楽には、これ!という一つの答えがあるわけではない。でもそれと曖昧では話が違う。
一つの音のイメージを持ったら、その音に近づくようできるだけ突き詰める。それができたら、今度はほかの色や方法があるかもしれない、と探してみる。そうすることで想像力、そして耳が育っていくことにつながる。でも曖昧にしては絶対にダメだ。耳が曖昧を覚えてしまうから。
ハンマーが弦を打って鳴らす、つまり打楽器要素を持つ楽器であるピアノにいくらうんしょこうんしょこ重さをかけたって音は暖かくなってくれない。
話を戻し、ソドミという和音を取り上げてみよう。和音の各音を▽と〇と□という三つの積み木だと思ってみよう。例えばソドミという和音の積み木を作るのに、ソが▽の積み木だとすれば、その上に積み重なる積み木はグラっとするのがわかるだろう。でも□がソだったら、その上に積み重なる和音を安定感をもって支えられる。つまり、和音の一番低い音を▽のような鋭い音を選ぶか、□のようなどっしりした音を選ぶかで、同じソドミでできているはずの和音の表情が不安そうな表情になったり、安定感のある和音になったりと変わるわけだ。これは
色=表情 その②
バランスによって表情を変えるケース
和音の一番上の音で話をすると、上の音を明確な細い音にすると、上へ飛びあがりそうな和音になるだろうし、丸みを帯びた音にすれば、和音の表情が和らぐ。
どうやって細い音や安定した音を作るかは、また別の話なので、これを始めると延々とこの記事が終わらなくなってしまうから、その話はおいておこう。(*- -)ノヽ△ポイッ
続く
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ベルリンのクリスマス?

とあるクリスマス直前、Dとベルリンの街を歩いていたら、後ろから車道に白バイ数台がピカピカ光らせながら私たちを抜かしていき、前の方に走っている車の前に回りこみ、強引に徐行運転をし始めた。当然白バイの後ろに続く車も徐行を余儀なくされ、年末の車の多い時期でもあったため徐々に渋滞が始まった。そのうちそれらの車を道路脇に寄せ、大通りの真ん中を開けさせている。
なんか物々しい感じがして
偉い人が乗った車でも通るんじゃない?(¨ )
と足を止め後ろを見ると、遠くから何かが近づいてきた。
それはこれ。(↓クリックすると大きくなります)
Noel1.jpg
なんとおびただしい数のバイクの車列!!しかも全員サンタ風の服を着ている!!
アップにするとこれ!
Noel2.jpg
結構ギンギンだ。
そしてサンタバイクは続く続く・・・100台どころではなかったと思う。
微笑ましい車列に思わず笑みが出たものの、このために大通りを通行止めにするベルリンとは・・・。
そして何よりバイクを運転していた数百人はいったい誰なのか・・・
わからないままである。そして奴らは去って行った・・・
Noel3.jpg
したいことをする!自由自在のベルリン♪万歳!(*^_^*) 
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思うこと

世間で騒がれているニュースと最近身の回りに起きたこと。たまたま重なったそんなことから、いろいろと考えさせられる日々を送っている。
ありがとう、ごめんなさい。この二つは、もっとも簡単で最も難しい言葉なのかなとあらためて感じる。ありがとうの一言で、お礼を言われる側にとっては、相手はちゃんと自分を見ていてくれたんだ、と感じて心あたたまるだろうし、ごめんなさいの一言が、傷つけられてしまった側にとっては、相手はちゃんと自分の傷を見、思っていてくれたんだと感じさせてもらうことにつながる。
悪気がなかったのだから、などという言葉を耳にすることがある。確かにそうかもしれない。本当は”良い人”が”悪気なく”やってしまう行為もある。むしろそういうことが多いかもしれない。でも悪気がなかったかどうかを論争している時点で、何か忘れ物をしていないだろうか。
理由がどうであれ、事情が何であれ、もしも周りに傷ついてしまった人が生まれたのであれば、それはやはり他人を傷つけたわけだ。どんな時でも相手がいること、相手へのRespectを絶対に忘れてはいけない。
もうすぐ2台ピアノの演奏会をさせていただく。予定されていたBartokの2台ピアノと打楽器のためのソナタが急きょ演奏されないことになった。突然浮上した『打楽器運送費が予算オーバー』という話。そのために曲を変えて欲しいと連絡を受けたのはつい数日前。
まさに寝耳に水のこの事態に、まっさきに私とDevoyonの頭に浮かんだのはBartokを楽しみにしてくださっているお客様のことだった。何とか打開策をと必死になった。決断を急がれるので、打楽器奏者、主催者に夜中まで電話とメールでの打開策探しを試みた。こういう手段はないか、ああいう手段はどうかとDevoyonと何度も何度も、文字通り一日中必死で考えぬいた。こういう時、
主催者、打楽器奏者、私たちという3角形が”一つの方向”を見据えて考えて協力して動かない限り解決の扉は開かない。主催者と打楽器奏者の間に何があったのかわからないが、
今見るべきその1つの方向とは
『自分』ではないはずだ。
残念なことに1枚の扉は電話に一切出ることはなく、メールで一方的にキャンセルの意向ばかりを告げてくるという開かずの扉となってしまった。
そして私たちの心の奥底にチクッと痛みが走った。
開かずの扉はいつかそのドアを開く時、何か感じてくれるのだろうか。

色(2)

前回の色についての続き。
では、音楽でいう色とは何か・・・
それは音が持つ【表情】だ。
生徒の話に戻ると、暗いとか明るい、暖かい音、冷たい音…そんな、レッスンでよく耳にする言葉の意味をじっくりと考察することに欠けていると感じた。暖かくと言われたら、『暖かく』と楽譜に書いてなんとなくそんな音を出して通り過ぎる、そういうケースを本当に多々耳にする。きっとまだ ”探す”ことの面白さが見いだせていないのだろう。
私:あのね、例えばこの音
–といって私が 「ド 」と1音鳴らす–
私:この「ド」は何色だと思う? 
実はね、何の色でもない(!)んだよ。
言い方を変えれば、一音だけこうやって弾いても
明るくも暗くも、幸せにも痛みにもなり得るっていうこと。
生徒:ポカーン~(・・?)  (地蔵、凍る・・・の巻。)
私:例えばね、少し前にすっごくハツラツとした音楽があって、その後にポツンと今の『ド』が来たら、悲しげに聞こえるかもしれない。 あるいは、すっごい緊張した音楽が前にあったら、ホッとして聴こえるかもしれない。つまり、前や後ろとの関連でも音の色は変わる。だから、その音だけ練り回して練習すれば良いとは限らないのはわかるよね? 
ここで冷凍地蔵だった生徒は、解凍地蔵ぐらいには戻ってきた感じである。
今の話は
色=表情 その①
『前後の音楽と比較して表情を生むケース』
である。 
(続く)
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色 (1)

音楽でよく、もっと色を!と言われることがある。私も生徒によく使う言葉だが、「はい」と言って弾き直す生徒の演奏に色の変化が見られないことも多い。一番気になるのは、弾き直した後に変化していないことに気がつかないことだ。
生徒の頭の中で、音楽で言う「色」とは何なのか漠然としている気がしたので、尋ねてみた。
私:ねえ、音楽で言う色って何だろうね?
生徒:え?………(・_・;)  具体的な色ですか?
私:(質問の意味が良くわからず)それでも良いから言ってみて。
生徒:ここはオレンジ。
私:σ(^_^;) あは・・・・
私:でもさあ、オレンジと思っても聴いている人にオレンジって伝わらないよねえ。
生徒:うーん、じゃあ色とは感情のことですか?
私:というと?(お、近づいてきたぞ)
生徒:悲しいとか、嬉しいとか、暗いとか……
私:さっきのオレンジと一緒でイメージを持つことは素晴らしいんだけど、問題はそれを音で伝えることだよね。その感情はどうやって音で伝えるの?
生徒: ……(¨ )
生徒、ここで『地蔵化』である。
*地蔵化とは、村田用語で ”容量を超えて思考回路が止まってしまった状態” をいう。
もちろんイメージを持って目指すものを心に描くのは大事だけど、具体的な手段というものを探すこと、これが練習する時の楽しみでもあり、面白味でもあり、かつ必要なことだ。残念なことに音というものや響きの追求に本当の意味で時間をじっくりとかける生徒が少ないのはとても残念だ。心に訴えるのは音そのものなのに。
イメージを強く持った後、顔をしかめてみたり、身体をねじるように悶えて見たり、天を見上げて見たり……それはダメとは言わないが、そうすることで音になっていない表情をカバーしているつもりになってはいけない。
先日クラウス ヘルビッヒ先生の公開レッスンを拝聴した時、こんなことをおっしゃっていた。
「私たち演奏家はもちろん役者の要素も持っていないといけない。でもそれは音、つまり聴覚的な面での役者(つまり音で魅せる)であって、視覚的な効果はそんなにいらない」と。
続く
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演奏会のお知らせ@Berlin

私たちDUOにとって、全身全霊を込めて目下準備へと向かっている何としても聴いていただきたい!プログラムが生まれました。
みなさんとホールで音楽を共有できたら幸せです。
よろしくお願いいたします。
日時:2014年2月20日、21日(2公演)
場所:ベルリン芸術大学 Joseph- Joachim-Konzertsaal, Bundesallee 1 – 12 Berlin-Wilmersdorf
プログラム:
Poulenc:Sonata for 2 pianos/プーランク 2台ピアノのためのソナタ
Bartok:Sonata for 2 pianos and percussions/バルトーク 2台ピアノと打楽器のためのソナタ

Brahms:Sonata for 2 pianos /ブラームス 2台ピアノのためのソナタ
Piano :Rikako Murata. Pascal Devoyon
Percussions: Sarah Mahmoud、Adrian Schmidt
予約必須です!
www.hindemithberlin.de/event.html
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幸せ者

先日、何か静かだなと思ってふとパパに目をやると、なぜか自分の両手の甲をじーっと見つめていた。片方の手の甲を少し電気にかざすように上にあげては首をかしげ、もう片方を光にすかすようにしては、また両手の甲を見比べたり。あまりに長いことやってるので、何か気になることでもあるのかなあと思い、
どうかしたの?
と尋ねると
パパ:いやあ、我が手ながら、綺麗な手だなあと思って見とれていたんだよ。
ほら、綺麗な手だと思わないか?(~o~)
と言いおった。本当に見惚れていたらしい。
相変わらず幸せ者である。
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A happy new Year !

去年はいろんな出会いや別れがあった。それらを通して、
『私は本当に幸せ者だ』ということを再確認させてもらった気がする。
一言でいえば、文字通り”惜しみない”愛情を私に注いでくれる人に今までずっと囲まれていたということ、そして今も囲まれているのだということ。
それは家族であり、友達であり、生徒であり・・・。その人たちに恩返しをしたくても残念ながらもうできない人もいるけど、
私の使命は同じように私が出会うひとりひとりに、私のやり方で愛情を注ぐことなんだと気が付かされた。
でも、『私のやり方の愛情』だからね、生徒さん♪ 愛のムチって言葉もありますぞ。(゜―゜)ニヤリ
今年も頑張ろ♪
みなさん、よろしくお願いします!
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Dのあっぱれ漢字特訓

最近Dは漢字の勉強を始めた。外国人には「絵」のように見えてしまう漢字を覚えるのは、やはりそう簡単ではないようで、少しずつ少しずつ覚えて行く。
彼がインターネットで見つけた「漢字を覚えるソフト」は、その点なかなか良さそうだ。例えば私だったら、今日は数字を覚えるなどのテーマで
一、二、三、四、五……と勉強させそうになるが、そのソフトは、たとえば今日のテーマは口(くち)、となっていて、口が入った漢字を覚えさせて行く。 口、田、四、右……などなど。
そうすると覚えやすいらしい。
先日、女という漢字を覚える順番となり、これは難しいだろうなと思い、私が
ほら、女の人が足を組んだような色っぽい感じしない?( `―´)ノ
と言ったら、
おお!(゜-゜)
といって一気に覚えやがった。
「五」という漢字は縦の棒が上に飛び出してしまったり、「早」という字の上部の「日」がやたら大きくなり、足の短~~~い「早」
という字になってしまったりするくせに、「女」だけは、すごく綺麗に書く。
んー。(-o-)
で、「女」 と 「子」 という字を覚えた後、それを足すと 「好」 という字になるとわかると
おおおお!とこれまた漢字を覚える面白さが倍増したようだ。
男とはそんなもんである。
そんなある日、Dが日本の地下鉄に乗っていた時のこと。
理夏子、あそこに「女」という字がある!と嬉しそうに指差すが、その先に
その字が見当たらない。
あそこあそこ!というので、よーーくみると、
「安い」
と書いてあった。 確かにあるねぇ、「女」という字。覚えたてのその字だけが、Dには光って見えてるんだろうなあ。
そして今日もがんばっておられる。