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巻き戻しボタン

嫌なものを排除し、自分の周りに自分好みだけを集めていく。そんな自分主義を最近身近な人にも目にすることが増え、深刻な状況だと感じることがよくある。
何か気に入らないと、それは周りのせい。周りが悪いから自分がこうなるんだという見方、つまりは意識的か無意識か、「自分は正しい」 という立場での発言になっていく。
そうなると、自分は正しいのに何かが不満だ。そうだ、周りのせいだ。という思考回路になってしまう。
世の中はバランスで成り立っている。様々な意見があるからこそ、バランスが取れている。
野菜が体にいいからと、野菜以外を排除し野菜だけ世の中に生産したら、やはり別の病が生まれるだろう。家の一部分が傷みだしたからと、傷んだところを排除していけば、骨組みしかのこらない。そして、傷んだとおもっていた箇所が、実は骨組みを守ってくれていたことに気づいた頃には、骨組みも傷み始めている。
大切なことは、バランスよく包括的に成長させていくことなのであり、バランスが崩れている場合その原因を突き止め補強、あるいは補修すべきであり、排除が最良とは限らない。
そして自分に都合の悪いものを排除すれば、よくなるに違いないという短絡的な考えで排除していくと、気が付いた時にはひとりぼっち…になる危険が隣り合わせだということも忘れてはいけない。
世界中が今、巻き戻しボタンを押したかのように急速に恐ろしい時代に戻って行きつつある気がする。

Pascal DEVOYON 公演情報!

5月に行われた20年ぶりとなるDevoyonの日本ツアーは、みなさまの温かいサポートのおかげで、全公演大盛況に終了することができました。Devoyon自身、やってよかった。幸せだったとつぶやいてくれ、何よりもうれしく感じます。最後の最後まで席を立たずに拍手を送り続けてくださる姿に、心を打たれました。
サポートくださった皆様に心より御礼申し上げます。
次公演のご案内です。
重要】私を通していただけると、チケットを一割引きにしていただけるそうです。ご興味のあるかたはメールにて、お名前、Emailアドレスを明記のうえ、rikakoberlin@gmail.comまでご一報ください。
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あのぉ、急いでいるのですが…

パリの空港で搭乗ゲートに向かうときのこと。途中の荷物検査がスムーズに進むよう、搭乗口に向かう出国手続き場には優先レーンがある。優先レーンは通れる人が限られているので、長い列に並ばず、手続きが早く終わるのが利点だ。
今回私も持っていたマイレージカードのおかげで優先レーンに回してもらえた。とにかくお腹が空いていたので、一刻も早く荷物検査を終えたかった私は一安心。
その優先レーンでチケットを見せようとしたところ、入り口担当のフランス人お兄ちゃんが、私の前に並んでいる中国人の対応をしている。よく聞くと、なんと中国語で会話しているようだ。
すっごーい!
と驚きながら、目を丸くしているうちに、私の番。
すると今度は、こんにちは♪
と日本語も話すではないか。
ここで、
すごいですね!
と言ってしまったのがいけなかった………
調子に乗った彼は、
オツカレデスカ?
イーデスネー
と片っ端から日本語放出。そして とまらなくなってしまった………
(しまった……)
ヒコーキ?
アナタハ アナタハーー
(だから何?? イラッ……)
トナリノカキワ ヨクキャキキャキ
…………(隣の柿ではない。。しかも噛んでるし。イライライライラ…..)
ナマムギニャマギョ…
ピョコピョコピョピョ…
(カエルぴょこぴょこ を言いたかったらしい。)
……………ってか、ここ早く通して………
こうして持ち札全てを披露した彼は、
イッテラッサー
と私を見送ってくれた。
サービス精神は良いのだが、彼が担当すべきは優先レーンではないような。。。。。
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【桐朋学園音楽学部ピアノ科の学生さんへ】

お友達とグループレッスンに参加しませんか?
数年前からPascal Devoyon先生が来校のたびに、グループレッスンを行っています。特別レッスンとは違って、高校生から大学生まで誰でも好きなように参加できます。

グループレッスンって何?

みんなが作った少人数のグループで、みんなが考えたテーマを元に、Devoyon先生と2時間一緒に音楽について考え勉強します。

どうすれば参加できるの?

グループ参加希望の場合:教務課に次回のDevoyon先生の来校時期と、申し込みしめきりを尋ねて、お友達同士で4人程度から最大で6人までのグループをつくります。そして、みんなで話し合い、テーマを決めたら、教務課に申し込みます。
個人参加を希望の場合:こちらでグループを編成しますので、お一人や二人でのお申し込みも可能です!グループが編成されましたら、みなさんでテーマを決めていただきます。
参考までに:これまであったテーマは「フーガ」「変奏曲」「バラード」「ラヴェルとドビュッシーの違い」などなど。これと同じでも良ければ、ほかにどんなテーマでも構いません。授業には、テーマに基づいて、いくつか曲を用意してくださっても構いません。その場合は、希望があれば演奏してもらう場合もありますが、授業は普通のレッスンではありません。みんなが立ててくれたテーマに沿って、それらの曲をもとに一緒に考え勉強する形式です。内容が充実するために、演奏時間は全員あわせて長くても20-30分程度に収めるようお勧めします。
まだよくわかりませんか?百聞は一見に如かず。まずは申し込んでみませんか?きっと、とても実りある時間になりますよ!
DEVOYON先生の次回の来校予定
2016年10月10-13日 および 10月17-20日
締め切り:学内掲示をご覧になるか教務課にお問い合わせください
お申し込み先:教務課 正田様

脱力について (2)

(続き)
そして、もうひとつ、ピアニストに不可欠なのに、かなりないがしろにされているものがある。それは背中。背中といっても、肩甲骨の周りにある大きな筋肉だ。腕というのは、鳥の羽と同じく背中の肩甲骨のところから生えている。肩からではない。肩はただの通り道だ。だから肩を上下させると、背中から指までの道筋を邪魔するだけなので、何の役にも立たない。
その背中が働いていない人が本当に多い。猫背や前かがみというのは、背中の筋肉が休んでしまっているので、腕を支えていない状況になる。そうすると、腕は完全に弛緩をしてしまっているから、当然ずしっと重さが指先にかかる。そうなると、速い個所や軽い個所などは当然弾きにくい。なんとなく重くて弾きにくいぞというからだからの本能を受け取った本人は、なんとか腕を軽く感じたくて、肘を横に張り出したり、肩をあげたり、肘から肩の間の腕を無理に持ち上げたり、という癖がついていく。こういう人が本当に多い。
肘から弛緩なんてしない。膝から弛緩して歩くだろうか? 変な歩き方になってしまう。膝は、柔軟にしておくことで、足の動きについて来ているだけだ。膝から足を出しているのでも、膝から緩めているのでもない。肘も同じ。肘から何かをしているのではない。
ピアノを演奏するとき、よほどの音量を要する箇所でない限り、腕全体や体全体の重さなどが求められることは少ない。肘から先の前腕までで十分なことが多い。つまり、それ以上の重さがかからないために、実は背中で腕を始終支えているのだ。私はこのことが分かってから、かなり演奏が変わった。つい最近のことだ。背中で支えることを覚えてから、以前よりかなり自在にコントロールができるようになった。楽になったのだ。
本当の意味の弛緩。つまり必要なものは働き、必要ないものを除く感覚がつかめた生徒はみな、「こんなに楽なんですか?」という。耳や頭、集中力は本当にきついが、体力的には思っているより楽な作業でなければいけない。そうじゃなきゃ、2時間のプログラムどころか、連日本番のあるプロの人など、体がもたないことは明らかだろう。
脱力・・・この言葉が悪いのかもしれないが、これをつかむかどうかは本当に大きな転機となるだろう。私が出会うひとに、我慢強く、伝えていけたらと願っている。
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脱力について (1)

ピアノを演奏する際の”脱力”は永遠の課題ではないかと感じるほど、伝えるのも、理解してもらうのも難しい。ひとことで要約すると、脱力とは、”必要のない”緊張をほどくことだ。つまり必要のある緊張は残しておかないといけない。でも、必要な緊張って何?
ここが難しい・・・(´・ω・`)
歩くことでたとえてみよう。例えば足。足首が本当に脱力していると足はどうなるか。そう、ぬいぐるみの足のように、だらっとぶら下がる。これでは歩けない。つまり
足首が足を支えていないと歩けない。
ピアノも同じで、手首は手を支えていなければならない。そうでないとぶらっと落ちるので、指は完全にティッシュペーパーのようになってしまい、使い物にならない。結構このティッシュペーパーフィンガーで何とか弾いてやれ、と育ってきてしまった人が多く、そうなると
音を鳴らすために、腕や肘を押し込んだり、前かがみになったり、と労力は大きいが音が鳴らない、という非常に疲れるピアノの演奏法を覚えてしまう。そしていくらがんばっても、周りから大きいホールで印象が薄い、とか音が届かない、と言われてしまうのだ。
ピアノは打って鳴らす楽器だ。ティッシュペーパーフィンガーでは鍵盤に速度を送り込めない。速度が送り込めないと、ハンマーが音を飛ばしてくれない。腕で押し込んでも、速度はあがらないのだ。だから、腕をいくら押し込んでも音が実は遠くに飛んでいかず、自分の前で音が鳴っているようなのに、遠くに通らない。
ピアノを弾く際の手首の大きな役割の一つは、手を支えることなのだ。脱力しなければと、手首をふらふらさせようとするのは、正反対の結果を生んでしまう。手首は実は、たえず仕事をしている。
そして、もうひとつ、ピアニストに不可欠なのに、かなりないがしろにされているものがある。(続く)

MusicAlp2016

今年も無事にMusicAlpの講習会が終了した。私は、人数としては42名のレッスンをさせていただく機会となった。その中には、レッスン回数1回の人から、5回の人まであり。様々な人間と出会うことで、私にとって毎年はかりしれない貴重な機会になっている。
今年強く残った印象は、大半の生徒さんが心の扉をすぐに開いてくれたこと。これはレッスンの核心にすぐに入るために欠かせないプロセスだ。各自から学びたい意思が強く感じられ、心の扉が開いていたことは、とてもありがたかった。
そんな向上心あふれる若者だが、共通して不足していると感じたことが2点あった。ひとつは、テクニック面での模索。もうひとつは、楽譜の中から読み取る能力。
テクニックに関しては、何かおかしいと感じながらも、その原因をじっくり考える時間をとらず、肘を動かしてみたり、体をうねらせてみたり、なんとかカバーするという要素で回避しようとしている生徒が多くみられた。その結果、変な姿勢で無理をしていても、それが本人にとっては”慣れた”ポジションとなってしまい、無理がかかっていることに気が付かなくなる。今後のことを考えると、今、それを治すことが緊急だと感じた生徒には、そのことに絞ってレッスンをするケースも作ってみた。
基本的に私は、自分で考えてもらう力を養ってもらう方向でレッスンを進めるようにしている。私がどうこうアドヴァイスをするより、自分で考えたほうがあとにしっかり記憶として残るからだ。そういったレッスンの過程で”考える”ということ、いや、”考えつくす”ということに慣れていないと、ほぼ全員に対して感じた。少し考えてみることはあっても、つきつめていない。そのうち、考えることに疲れてしまい、私があまり質問すると、集中力が切れていく。
楽譜の中から読み取る力に関しても、同じことがいえた。ああしたい、こうしたい、という欲望があることはすばらしいのだが、なぜそうしたいのか、どうしてそう感じたのかを楽譜の中から見つけることができない。それがないと自分の感性に裏付けがないまま演奏するので、中途半端になってしまう。フランス音楽では、Crescendoはどれぐらいかけていいのでしょうか・・そんな質問をされたこともうなづける。どれぐらい・・など答えることはできないはず。というより、答えは楽譜の中にある。こういう理由で、こんなクレッシェンドを作りたい、そんな確信を楽譜から見つけられれば、おのずとCrescendoは生まれる。
楽譜の中にたくさんの落とし物をしていることに気が付いてくれた生徒は、目が輝いていった。逆に、考えることに慣れず、与えられるのを待つことに慣れてしまっている生徒は、楽譜の中にたくさんの落とし物をしていることに気付くと、やる気が薄れていくように感じることもあった。楽譜や楽器から生まれる音にはたくさんの宝物があり、無限の可能性をああでもない、こうでもないと何年もかけて探っていく。その作業が楽しいと感じるなら、続ければよい。面倒くさいと感じるなら、芸術家には向いていない。という言葉をかけざるを得ない時があった。芸術家たるものを目指すからには、そのことに今こそ気付いてほしいと感じたからだ。
この夏、私にとっては転機となる経験があった。あえて言えば決して良い経験ではない。
まさにどん底につき落とされるようなものだった。でもそこから、もう一度自分が何をしたいのか、何をすべきか、何ができるのか・・そんなことを考える機会になっている。まだはっきりとした答えは出ていない。まだしっかり立ち直れてもいない。でも、私は自分のためにも、生徒のためにも、全力で考え抜くことが好きだということだけは間違いない。そうすごした時間は決して後悔はない。だからこそ、いま目の前にある機会に全力を注ぎつつ、次の一歩は何を踏み出せばいいのか、考えている毎日だ。そういう意味で今年のMusicAlpも私にたくさんのことを考えさせてくれている。

待望の?!新刊は5月16日発売開始と決まりました♪

ようやく!!!!最終校正が終わりました。Pascal DEVOYONによる4冊目の書籍が
まもなく日本で発売となります。これです↓
CoverJpeg.JPG
今回は読み物風。わかるようでわからない、と感じる人も多いドビュッシー。でも私もDevoyonもドビュッシーをこよなく愛しています。大切なことはわかるかどうか・・ではなく、いかに自分のイマジネーションにまかせてドビュッシー世界を旅することができるか・・だと思います。
この書籍を通してドビュッシー世界を覗いていただくことで、多くの方が彼の作品を愛してくださればいいな、というのが私たちの願いです。
前奏曲を中心に、ドビュッシーの島々を旅するうちに、
いつの間にか引き込まれ、読み終わったらとても幸せになっているこの書籍。これまでの3冊とは一味違った、これまた素敵な書籍です。
1つの書籍が出来上がるには、多大な年月と、多数の方の協力があって初めてだと、今4冊目でも再確認しました。関係者一丸となって作り上げた書籍。一人でも多くの方の手に取っていただけたらこれほど嬉しいことはありません。
書籍が店頭販売開始になるのは5月16日。5月27日のPascal DEVOYONピアノリサイタル時に、現地販売と著者によるサイン会も行われます!
どうかこの機会にお手に取っていただけますように。
末永くよろしくお願いいたします。
村田理夏子