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韓国にいらっしゃいませんか?

来年2月末に、韓国は JIRISANでマスタークラスをさせていただくことになりました。
詳しくはこちら
→ マスタークラス詳細
英語と韓国語しかありませんが、私にお問い合わせいただければ詳しい内容をご説明させていただきます。
私と期間中集中的にレッスンもあれば、私のクラスとほかの先生のクラス2クラス希望なども可能です。
ソウルおよび釜山から送迎バスも出ていて、すばらしいケアをされている講習会だと思います。
日本からは中井恒仁先生と武田美和子先生もご参加になられます。
詳しい内容をご希望の方は、私までメールでご連絡ください!
国立公園となっているJirisanでご一緒できればうれしいです。
村田理夏子

教育とは

ベルリンの学校での仕事、レクチャーの翻訳、日本でのレッスン、フランスの講習会。様々な環境で生徒たちに接する機会を得てずいぶん経つ。老若男女、レベル・・そういうものを超えて多くの人と接していくにつれ、今必要なことは何だろうと考えることが多くなった。
若い子からよく聞かれるのが
将来が不安
という言葉。学校を出ても何か保証されるわけでもなく、不安を感じるのはとてもよくわかる。
ではその不安を少しでも減らすために何をするか・・そこに大きな疑問を感じる。
若者との多くの会話でこんな思考回路が見られる。
将来が不安だ・・・(将来とは就職をさしているらしい)→就職をできるには経歴が必要だ→コンクールをあちこち受けてみよう→コンクールで賞をとれなくても、経験を積めばなんとかなるかも。
でも・・・自分を育てる時間は?音楽を育てる時間は?
コンクールで育てる?本人はそのつもりになっていても、はたから見ているとコンクールからコンクールの準備に追われて、せっかく持っている種を世話する時間がないぐらい忙しく動き回っているだけで、問題解決は後回し。コンクールや本番を経験にするのなら、受けたあとが肝心で、それを吟味し、再構築するべきなのに、コンクールの次はもう次のコンクール探しに目が向いている。
今の時代、いい学校を出たらいい就職ができる、そんな方程式は音楽以外の世界でも通じない。年老いた人をスピードが遅いからとリストラにし、使い捨てにするような非人間的なことが横行している世の中、不幸せな人が増えていると感じる。不幸せな人というより、何か満たされていないと感じている人が多い気がする。こんなに恵まれた先進国で、普通に生活ができ、何も不服がないはずなのに、不満ばかりが募っている。
学校という時間、学生という時間はこれから将来を幸せに生きていくために<備える>貴重な時期だと思う。何を備えるのか?それは経歴でもなんでもなく、”自分を”だ。幅広く勉強し、外の世界に目を向け、たくさんの人と出会い、そうして育てるべきは感受性と思考力。人間としての繊細な感受性を磨くことと、社会に出て出会うさまざまな状況の中で自分がどうあるべきかを判断できる判断力だ。幸せに生きていけるには、自分という人間が誰かに必要とされていると感じられる必要がある。それはビジネスとしての”必要”ではない。ビジネスで必要とされようとすると、有名にならなきゃ・・となり、大きく脱線していく危険がある。
人間として必要とされるということ。必要とされるには、人間としての魅力が必要で、そのためには中身が伴わないといけない。経歴ではない。中身だ。それが幸せに生きていくための第一歩になると私は思う。そしてその必要とされるのは、パートナーからでも良い。家族からでも友達でも良い。ペットからでも良いかもしれない・・ほんとに小さなことからスタートするのではないかと思う。
考える力を付ける・・・これは本当に大切だと思う。コンピュータの中にさまざまな情報が交錯し、クリックすれば情報が降ってきて、ぼけーっとしていても何かしらの情報が降り注いでくる。自分で買いに行ったり、自分で探しに行かなくても、ネットで注文したら勝手に届く。
先進国の世の中全体におそろしいほど消極化が多方面で進んでいる結果、思考力が大きく落ちているのを感じる。何かを ”じゃ、考えてみて?”とふってみると、その目が死んでいることが本当に多い。考える、という作業に慣れていない印象だ。みていて恐ろしい。
私もDも教育機関に勤めている。教育に携わるということは、今書いたような若者たちの”備え”を手助けすることが必要になる。
門下生には卒業までに何とかして”総合的に考える力”を身に付けてもらうよう導こうと試みている。それはとても大変な作業だ。即結果を求める傾向にある今の時代、我慢強く、目には見えない大切な部分の成長を途切れないように導くことは本当に難しい。難しい時代だからこそ、一人でも自分で考え、自分の幸せに向かって進める若者を増やしたい・・の一心だ。
それと同時に音楽家であること、芸術家であることの意味と意識を本当の意味で分かってほしいと願っている。音楽家は音楽があっての芸術家だ。音楽を追及する芸術家だ。音楽を育てずに、音楽を”手段”として
職や経歴を追及して指だけまわすのなら、指芸人と呼べば良い。”音楽”に純粋に興味を持っている人があまりにも少なくなってしまったとDが日々嘆いている。知らず知らずのうちに音楽に目を向けることを忘れて、音楽が何かを成し遂げる手段となっていないか、
一度自分の胸に手を当ててみる必要があるかもしれない。
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11月18日発売開始です!

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私にとって初めての紙上レッスン。シューマンのクライスレリアーナについて書かせていただきました。定められた文字数の中に必要なものをわかりやすく・・・というのはとても難しいですね。ありがたき勉強の機会になりました。
苦労して書き上げた第1回が11月18日に発売になります。ショパン編集部の方が、こんなに面白い紙上レッスンは初めてだ、とおっしゃってくださったそうで、第2回以降の励みになります。苦労して書き上げた第1回お手に取っていただけましたらうれしいです!
村田理夏子
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巻き戻しボタン

嫌なものを排除し、自分の周りに自分好みだけを集めていく。そんな自分主義を最近身近な人にも目にすることが増え、深刻な状況だと感じることがよくある。
何か気に入らないと、それは周りのせい。周りが悪いから自分がこうなるんだという見方、つまりは意識的か無意識か、「自分は正しい」 という立場での発言になっていく。
そうなると、自分は正しいのに何かが不満だ。そうだ、周りのせいだ。という思考回路になってしまう。
世の中はバランスで成り立っている。様々な意見があるからこそ、バランスが取れている。
野菜が体にいいからと、野菜以外を排除し野菜だけ世の中に生産したら、やはり別の病が生まれるだろう。家の一部分が傷みだしたからと、傷んだところを排除していけば、骨組みしかのこらない。そして、傷んだとおもっていた箇所が、実は骨組みを守ってくれていたことに気づいた頃には、骨組みも傷み始めている。
大切なことは、バランスよく包括的に成長させていくことなのであり、バランスが崩れている場合その原因を突き止め補強、あるいは補修すべきであり、排除が最良とは限らない。
そして自分に都合の悪いものを排除すれば、よくなるに違いないという短絡的な考えで排除していくと、気が付いた時にはひとりぼっち…になる危険が隣り合わせだということも忘れてはいけない。
世界中が今、巻き戻しボタンを押したかのように急速に恐ろしい時代に戻って行きつつある気がする。

Pascal DEVOYON 公演情報!

5月に行われた20年ぶりとなるDevoyonの日本ツアーは、みなさまの温かいサポートのおかげで、全公演大盛況に終了することができました。Devoyon自身、やってよかった。幸せだったとつぶやいてくれ、何よりもうれしく感じます。最後の最後まで席を立たずに拍手を送り続けてくださる姿に、心を打たれました。
サポートくださった皆様に心より御礼申し上げます。
次公演のご案内です。
重要】私を通していただけると、チケットを一割引きにしていただけるそうです。ご興味のあるかたはメールにて、お名前、Emailアドレスを明記のうえ、rikakoberlin@gmail.comまでご一報ください。
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あのぉ、急いでいるのですが…

パリの空港で搭乗ゲートに向かうときのこと。途中の荷物検査がスムーズに進むよう、搭乗口に向かう出国手続き場には優先レーンがある。優先レーンは通れる人が限られているので、長い列に並ばず、手続きが早く終わるのが利点だ。
今回私も持っていたマイレージカードのおかげで優先レーンに回してもらえた。とにかくお腹が空いていたので、一刻も早く荷物検査を終えたかった私は一安心。
その優先レーンでチケットを見せようとしたところ、入り口担当のフランス人お兄ちゃんが、私の前に並んでいる中国人の対応をしている。よく聞くと、なんと中国語で会話しているようだ。
すっごーい!
と驚きながら、目を丸くしているうちに、私の番。
すると今度は、こんにちは♪
と日本語も話すではないか。
ここで、
すごいですね!
と言ってしまったのがいけなかった………
調子に乗った彼は、
オツカレデスカ?
イーデスネー
と片っ端から日本語放出。そして とまらなくなってしまった………
(しまった……)
ヒコーキ?
アナタハ アナタハーー
(だから何?? イラッ……)
トナリノカキワ ヨクキャキキャキ
…………(隣の柿ではない。。しかも噛んでるし。イライライライラ…..)
ナマムギニャマギョ…
ピョコピョコピョピョ…
(カエルぴょこぴょこ を言いたかったらしい。)
……………ってか、ここ早く通して………
こうして持ち札全てを披露した彼は、
イッテラッサー
と私を見送ってくれた。
サービス精神は良いのだが、彼が担当すべきは優先レーンではないような。。。。。
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【桐朋学園音楽学部ピアノ科の学生さんへ】

お友達とグループレッスンに参加しませんか?
数年前からPascal Devoyon先生が来校のたびに、グループレッスンを行っています。特別レッスンとは違って、高校生から大学生まで誰でも好きなように参加できます。

グループレッスンって何?

みんなが作った少人数のグループで、みんなが考えたテーマを元に、Devoyon先生と2時間一緒に音楽について考え勉強します。

どうすれば参加できるの?

グループ参加希望の場合:教務課に次回のDevoyon先生の来校時期と、申し込みしめきりを尋ねて、お友達同士で4人程度から最大で6人までのグループをつくります。そして、みんなで話し合い、テーマを決めたら、教務課に申し込みます。
個人参加を希望の場合:こちらでグループを編成しますので、お一人や二人でのお申し込みも可能です!グループが編成されましたら、みなさんでテーマを決めていただきます。
参考までに:これまであったテーマは「フーガ」「変奏曲」「バラード」「ラヴェルとドビュッシーの違い」などなど。これと同じでも良ければ、ほかにどんなテーマでも構いません。授業には、テーマに基づいて、いくつか曲を用意してくださっても構いません。その場合は、希望があれば演奏してもらう場合もありますが、授業は普通のレッスンではありません。みんなが立ててくれたテーマに沿って、それらの曲をもとに一緒に考え勉強する形式です。内容が充実するために、演奏時間は全員あわせて長くても20-30分程度に収めるようお勧めします。
まだよくわかりませんか?百聞は一見に如かず。まずは申し込んでみませんか?きっと、とても実りある時間になりますよ!
DEVOYON先生の次回の来校予定
2016年10月10-13日 および 10月17-20日
締め切り:学内掲示をご覧になるか教務課にお問い合わせください
お申し込み先:教務課 正田様

脱力について (2)

(続き)
そして、もうひとつ、ピアニストに不可欠なのに、かなりないがしろにされているものがある。それは背中。背中といっても、肩甲骨の周りにある大きな筋肉だ。腕というのは、鳥の羽と同じく背中の肩甲骨のところから生えている。肩からではない。肩はただの通り道だ。だから肩を上下させると、背中から指までの道筋を邪魔するだけなので、何の役にも立たない。
その背中が働いていない人が本当に多い。猫背や前かがみというのは、背中の筋肉が休んでしまっているので、腕を支えていない状況になる。そうすると、腕は完全に弛緩をしてしまっているから、当然ずしっと重さが指先にかかる。そうなると、速い個所や軽い個所などは当然弾きにくい。なんとなく重くて弾きにくいぞというからだからの本能を受け取った本人は、なんとか腕を軽く感じたくて、肘を横に張り出したり、肩をあげたり、肘から肩の間の腕を無理に持ち上げたり、という癖がついていく。こういう人が本当に多い。
肘から弛緩なんてしない。膝から弛緩して歩くだろうか? 変な歩き方になってしまう。膝は、柔軟にしておくことで、足の動きについて来ているだけだ。膝から足を出しているのでも、膝から緩めているのでもない。肘も同じ。肘から何かをしているのではない。
ピアノを演奏するとき、よほどの音量を要する箇所でない限り、腕全体や体全体の重さなどが求められることは少ない。肘から先の前腕までで十分なことが多い。つまり、それ以上の重さがかからないために、実は背中で腕を始終支えているのだ。私はこのことが分かってから、かなり演奏が変わった。つい最近のことだ。背中で支えることを覚えてから、以前よりかなり自在にコントロールができるようになった。楽になったのだ。
本当の意味の弛緩。つまり必要なものは働き、必要ないものを除く感覚がつかめた生徒はみな、「こんなに楽なんですか?」という。耳や頭、集中力は本当にきついが、体力的には思っているより楽な作業でなければいけない。そうじゃなきゃ、2時間のプログラムどころか、連日本番のあるプロの人など、体がもたないことは明らかだろう。
脱力・・・この言葉が悪いのかもしれないが、これをつかむかどうかは本当に大きな転機となるだろう。私が出会うひとに、我慢強く、伝えていけたらと願っている。
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脱力について (1)

ピアノを演奏する際の”脱力”は永遠の課題ではないかと感じるほど、伝えるのも、理解してもらうのも難しい。ひとことで要約すると、脱力とは、”必要のない”緊張をほどくことだ。つまり必要のある緊張は残しておかないといけない。でも、必要な緊張って何?
ここが難しい・・・(´・ω・`)
歩くことでたとえてみよう。例えば足。足首が本当に脱力していると足はどうなるか。そう、ぬいぐるみの足のように、だらっとぶら下がる。これでは歩けない。つまり
足首が足を支えていないと歩けない。
ピアノも同じで、手首は手を支えていなければならない。そうでないとぶらっと落ちるので、指は完全にティッシュペーパーのようになってしまい、使い物にならない。結構このティッシュペーパーフィンガーで何とか弾いてやれ、と育ってきてしまった人が多く、そうなると
音を鳴らすために、腕や肘を押し込んだり、前かがみになったり、と労力は大きいが音が鳴らない、という非常に疲れるピアノの演奏法を覚えてしまう。そしていくらがんばっても、周りから大きいホールで印象が薄い、とか音が届かない、と言われてしまうのだ。
ピアノは打って鳴らす楽器だ。ティッシュペーパーフィンガーでは鍵盤に速度を送り込めない。速度が送り込めないと、ハンマーが音を飛ばしてくれない。腕で押し込んでも、速度はあがらないのだ。だから、腕をいくら押し込んでも音が実は遠くに飛んでいかず、自分の前で音が鳴っているようなのに、遠くに通らない。
ピアノを弾く際の手首の大きな役割の一つは、手を支えることなのだ。脱力しなければと、手首をふらふらさせようとするのは、正反対の結果を生んでしまう。手首は実は、たえず仕事をしている。
そして、もうひとつ、ピアニストに不可欠なのに、かなりないがしろにされているものがある。(続く)