前回、ニックネームでイメージが膨らむ反面、思い込みの危険もあるという話を書いた。
そういえば以前, 知り合いの作曲家の友達と話をした時、こんなことがあった。
久しぶりに会ったランチで、なんと自作のCDをプレゼントしてくれた。各曲に素敵なタイトルがついていたので私が
私: こういうタイトルって、どうやって考えるの?
ときくと、なんと
友達: あーこれねぇ、曲ができてから複数のスタッフに聴いてもらって、印象を題名にしてもらったの。
と。
へえええ!と驚いた。
もちろんイメージを持って書いているのだろうけど、それをあえてタイトルにしないのか。
でも確かにドビュッシーの前奏曲は、曲頭に題名が書かれておらず、各曲の最後にドビュッシーなりの題名を書いている。まるで、「僕はこんなイメージで書きました」って最後にポツッと語っているような。
作曲家としても、聴き手の自由なイメージを持ってもらう喜びもあるのかなあ。
もちろん自分勝手なイメージではいけないので、作曲家について調べたり、他の作品を見たりしながら作曲家の方向性を知りつつ、イメージを膨らませる。
教養と詩心のバランスが絶妙な魅力を生むのかな。
考えさせられるランチだった・・