雨やら猛暑やらで、歩きたくないくるみは、最近よく庭で微妙に隠れる術を覚えたようで….
さぁ、くるみはどこでしょう?
第2弾 さて、くるみは?
そして上級編 くるみはどこかな…?😃
見つけて欲しいのか、こんな感じで隠れる日々。。。笑
雨やら猛暑やらで、歩きたくないくるみは、最近よく庭で微妙に隠れる術を覚えたようで….
さぁ、くるみはどこでしょう?
第2弾 さて、くるみは?
そして上級編 くるみはどこかな…?😃
見つけて欲しいのか、こんな感じで隠れる日々。。。笑
今の時代に残る古きクラシック音楽は、深めれば深めるほどその品格の高さに驚かされる曲も多い。
昨今は、舞台に立つ、有名になる、そんなことが若者の目標になり、とにかく「自分」を見てもらうことが成功になっている風潮がある。
作品や作曲家に圧倒され、なんとか作曲家や作品に近づきたいと模索する、そんな純粋な情熱で音楽に向かう「芸術家」が極端にみられなくなった気がする。その必要性を語ると「サムライ」のようですね、と皮肉を言われたことがある。時代遅れを指すのか、ひたすら真っ直ぐに向かおうをすることを皮肉るのか。その言葉が音楽を目指す子の親世代から出たのがなんとも虚しい。
それならサムライで良いのではないだろうか、と私は思っている。
せめて1人で考えられるようになった子供達には一度、立ち止まって欲しい。クラシック演奏家にとっての主役は、作品、そしてそれを生み出した作曲家ではないだろうか。
次回のカワイ講座のテーマはショパン ソナタ2番。それこそ、いい曲だ!などと言いながら好き放題、勝手放題に演奏されている曲の代表格といえるだろう。
Devoyonは、講座の原稿を準備する過程で、必要な客観性を保ちつつ、決して自分の見方を押し付けず、ショパンへの賞賛と尊敬という視点から、この作品が本当に輝くためにどのようにアプローチすれば良いのか、ということの糸口をこの講座で引き出そうと試行錯誤しているようだ。
Devoyon自身が「自分が何かをわかっている」「教える」などというおごりは全くない人間で、彼が日頃よく口にする「僕は何も知らないんだ」という言葉から垣間見られるように、謙虚に、そして音楽と作曲家への純粋な賞賛の炎を絶やさずに進んでいるように見える。
そんな慎重、かつ強いメッセージを持って準備するこの講座は、この曲に限らず、いろんなことを教えてくれると強く感じる。