脱力について (2)

(続き)
そして、もうひとつ、ピアニストに不可欠なのに、かなりないがしろにされているものがある。それは背中。背中といっても、肩甲骨の周りにある大きな筋肉だ。腕というのは、鳥の羽と同じく背中の肩甲骨のところから生えている。肩からではない。肩はただの通り道だ。だから肩を上下させると、背中から指までの道筋を邪魔するだけなので、何の役にも立たない。
その背中が働いていない人が本当に多い。猫背や前かがみというのは、背中の筋肉が休んでしまっているので、腕を支えていない状況になる。そうすると、腕は完全に弛緩をしてしまっているから、当然ずしっと重さが指先にかかる。そうなると、速い個所や軽い個所などは当然弾きにくい。なんとなく重くて弾きにくいぞというからだからの本能を受け取った本人は、なんとか腕を軽く感じたくて、肘を横に張り出したり、肩をあげたり、肘から肩の間の腕を無理に持ち上げたり、という癖がついていく。こういう人が本当に多い。
肘から弛緩なんてしない。膝から弛緩して歩くだろうか? 変な歩き方になってしまう。膝は、柔軟にしておくことで、足の動きについて来ているだけだ。膝から足を出しているのでも、膝から緩めているのでもない。肘も同じ。肘から何かをしているのではない。
ピアノを演奏するとき、よほどの音量を要する箇所でない限り、腕全体や体全体の重さなどが求められることは少ない。肘から先の前腕までで十分なことが多い。つまり、それ以上の重さがかからないために、実は背中で腕を始終支えているのだ。私はこのことが分かってから、かなり演奏が変わった。つい最近のことだ。背中で支えることを覚えてから、以前よりかなり自在にコントロールができるようになった。楽になったのだ。
本当の意味の弛緩。つまり必要なものは働き、必要ないものを除く感覚がつかめた生徒はみな、「こんなに楽なんですか?」という。耳や頭、集中力は本当にきついが、体力的には思っているより楽な作業でなければいけない。そうじゃなきゃ、2時間のプログラムどころか、連日本番のあるプロの人など、体がもたないことは明らかだろう。
脱力・・・この言葉が悪いのかもしれないが、これをつかむかどうかは本当に大きな転機となるだろう。私が出会うひとに、我慢強く、伝えていけたらと願っている。
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