今年も無事にMusicAlpの講習会が終了した。私は、人数としては42名のレッスンをさせていただく機会となった。その中には、レッスン回数1回の人から、5回の人まであり。様々な人間と出会うことで、私にとって毎年はかりしれない貴重な機会になっている。
今年強く残った印象は、大半の生徒さんが心の扉をすぐに開いてくれたこと。これはレッスンの核心にすぐに入るために欠かせないプロセスだ。各自から学びたい意思が強く感じられ、心の扉が開いていたことは、とてもありがたかった。
そんな向上心あふれる若者だが、共通して不足していると感じたことが2点あった。ひとつは、テクニック面での模索。もうひとつは、楽譜の中から読み取る能力。
テクニックに関しては、何かおかしいと感じながらも、その原因をじっくり考える時間をとらず、肘を動かしてみたり、体をうねらせてみたり、なんとかカバーするという要素で回避しようとしている生徒が多くみられた。その結果、変な姿勢で無理をしていても、それが本人にとっては”慣れた”ポジションとなってしまい、無理がかかっていることに気が付かなくなる。今後のことを考えると、今、それを治すことが緊急だと感じた生徒には、そのことに絞ってレッスンをするケースも作ってみた。
基本的に私は、自分で考えてもらう力を養ってもらう方向でレッスンを進めるようにしている。私がどうこうアドヴァイスをするより、自分で考えたほうがあとにしっかり記憶として残るからだ。そういったレッスンの過程で”考える”ということ、いや、”考えつくす”ということに慣れていないと、ほぼ全員に対して感じた。少し考えてみることはあっても、つきつめていない。そのうち、考えることに疲れてしまい、私があまり質問すると、集中力が切れていく。
楽譜の中から読み取る力に関しても、同じことがいえた。ああしたい、こうしたい、という欲望があることはすばらしいのだが、なぜそうしたいのか、どうしてそう感じたのかを楽譜の中から見つけることができない。それがないと自分の感性に裏付けがないまま演奏するので、中途半端になってしまう。フランス音楽では、Crescendoはどれぐらいかけていいのでしょうか・・そんな質問をされたこともうなづける。どれぐらい・・など答えることはできないはず。というより、答えは楽譜の中にある。こういう理由で、こんなクレッシェンドを作りたい、そんな確信を楽譜から見つけられれば、おのずとCrescendoは生まれる。
楽譜の中にたくさんの落とし物をしていることに気が付いてくれた生徒は、目が輝いていった。逆に、考えることに慣れず、与えられるのを待つことに慣れてしまっている生徒は、楽譜の中にたくさんの落とし物をしていることに気付くと、やる気が薄れていくように感じることもあった。楽譜や楽器から生まれる音にはたくさんの宝物があり、無限の可能性をああでもない、こうでもないと何年もかけて探っていく。その作業が楽しいと感じるなら、続ければよい。面倒くさいと感じるなら、芸術家には向いていない。という言葉をかけざるを得ない時があった。芸術家たるものを目指すからには、そのことに今こそ気付いてほしいと感じたからだ。
この夏、私にとっては転機となる経験があった。あえて言えば決して良い経験ではない。
まさにどん底につき落とされるようなものだった。でもそこから、もう一度自分が何をしたいのか、何をすべきか、何ができるのか・・そんなことを考える機会になっている。まだはっきりとした答えは出ていない。まだしっかり立ち直れてもいない。でも、私は自分のためにも、生徒のためにも、全力で考え抜くことが好きだということだけは間違いない。そうすごした時間は決して後悔はない。だからこそ、いま目の前にある機会に全力を注ぎつつ、次の一歩は何を踏み出せばいいのか、考えている毎日だ。そういう意味で今年のMusicAlpも私にたくさんのことを考えさせてくれている。