テンポの話に戻ると、そういうわけで、インテンポだからと言って、メトロノームにあわせて無理にテンポで直進したところで、不自然極まりない。大切なことは
いかに“自然に”響くか
ということ。どんなにうまく作られたロボットでも、やはり本物の人間とは何かが違う。それは不自然だからじゃないのかな。
音楽は言葉と同じで、語っている。生きている。
言葉を話す時のことを考えてみよう。話し方が自然で魅力的なるカギは二つあると思う。
1) イントネーションと
2) 間(ま)
だ。
まずはイントネーション。言葉を話す時、隣り合わせのどんな文字も、決して同じように発音しないだろう。同じように発音した時点で,一気に棒読みになってしまう。逆に強調したいときは、イントネーションを誇張するときがある。
あの人、すぅっっっっごいんだよね!
とかね。笑
そういう激しいイントネーションとなると、周波数のふり幅も大きいわけだし、聴く側も発音する側も、無意識にそれを耳で追う“多少の”時間が必要になる。それが“自然なこと”なのに、無理に時間をかけず同じ調子で行ってしまうと、あわてているように聞こえてしまう。
違う例で説明すると、たとえば、ボールが目の前で心地よく弾んでいるとする。それが突然5メートルぐらいの高さにはずんだら、その動きを追うのに一瞬時間がかかるだろう。人間が目や耳で大きな動きや突然の変化を追うには、それなりの時間がかかるのが当たり前なのだ。
そう考えると、音楽で聴かせたい音やハーモニー、あるいは色などがある時は、大切なことをしゃべる時と同じように、知覚できないほどの<微妙な時間を操る>ことは当然あっていいことだ。メトロノームの問題は、そういった微妙な時間を無視して冷酷に進んでしまうことである。
たとえば、ショパンのソナタ第2番、1楽章。レシッドレシ、と2回続いた後、上に上がるレシ!という部分などまさにそうだろう。メトロノーム的に突っ込んだら、乱暴あるいはヒステリックに聞こえる典型的な例だ。
もう一点は、間(ま)。言葉の話に戻ると、たとえば、すごく長い文章を一気に話したいとき、どうするだろう?そう、話す前に多めの息を吸うだろう。
あるいは、緊張感を帯びた文章をしゃべりたい時はどうすれば良いだろう?たとえば、ひとつひとつの言葉をわざと少し詰めて発音して、その言葉と言葉の“間(ま)”を取る、という方法もある。例を挙げてみよう。
え、そうなの・・?
というセリフがあるとする。
同じ3秒を使ってこの文章を話すとすると、えぇぇぇ、そうなのぉ?というと、なんだか
まったりとするが、<えっ>、と<そうなの>という単語自体をかなり詰めて鋭く発音して、その言葉同士の間の空白を長くとると、同じ3秒の文章でも、まったく違って聞こえるだろう。
えっっっっっっ、 そうなのっっっっっ」! という感じだろうか。
わかるかな?紙面で説明するって難しいですね。(^_^;)
というわけで、イントネーションと間(ま)、そしてタイミングというのは
<音楽が説得力を持つか>
という点で、非常に大切な要素になるわけだ。
(続く)
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