-こんな時勢に、音楽なんかやっていていいのだろうか
-こんな時に、音楽で何ができるか
という言葉を震災後よく耳にする。
でも、<音楽で何が出来るか>・・・そういう方向で考えていたら、余計分からなくなるのではないかと私は思う。それを教えてくれたのが、先日のベルリン芸大でのチャリティーコンサートだった。日本人留学生が発起人となり、種をまいてくれたチャリティーコンサートが、学校主催の大規模なものとなった。私とDも、そこで演奏をさせていただくという光栄な機会をいただいた。短い期間で若い日本人や学校関係者が文字通り“必死の”準備をしてくれ、迎えた当日。学校に足を踏み入れて、言葉を失った。
1996年から15年のベルリン生活で、あのホールで1度も見たことのない数の人、人、人・・・。更には、満席だからと門前払いを受けた聴衆が舞台裏に列をなした。開演ぎりぎりに、舞台席も急遽用意された。会場は1200人ほど入るはず。舞台上の聴衆を合わせれば1400人ぐらいになったであろう。
ここはドイツ。コンサートの趣旨は日本。
日本のために、ドイツ人がこんなに・・・・いや、違う。もうそこには国籍もなにもなく、ひとりの<人間>としてなんとかしたい、と思う魂がホールに集まったのだ。
チャリティーコンサートとは、音楽を通してお客さんに何かを伝える・・・そして賛同していただいた方に募金をいただく、そんな考えをしていた自分が恥ずかしくなった。あふれんばかりの人から、そのまなざしから、舞台に立つ私のほうが、はっと気がつかされた。心に感動を与え、エネルギーを注ぎ込み、しっかりと前を見据える力をもらったのは、私のほうだった。どんな言葉をかわさずとも、足を運んでくれ、私こそ私こそと力を貸してくれようとするそのまなざしから、心が激しく突き動かされ、揺さぶられた。
どんな言葉も、必要ない。音楽を演奏する者があり、聴く者がある。主役はいない。いや、むしろ全員が主役だった。その誰もが、音楽を耳にしながら、それぞれの思いでその時間を分かち合い、それぞれの心に思い思いの感動や衝撃、栄養をたっぷり吸収し、帰っていく。そんな場だった。
自分が音楽を共にすることの意味を見失いかけていたとしたら、このことだけ刻み込んでいて欲しい。
音楽は、生活には不可欠ではないかもしれない。でも
音楽は、人間に必要なもの・・・
だと。
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