されど さゆり・・・

以前の“さゆり”事件以来(2009年1月15日の記事参照)、私はさんざんパパをからかっていた。そうこうして数カ月たったある日、再びゆかりをいただく機会があった。すると、パパが
‐あのな、この“ゆかり”というお菓子の名前はな、人と人との結びつき、という意味があると思うんだ。ほら縁もゆかりも・・・とか使うだろう。
と、えらく真面目にのたもうた。ゆかりをくれたHちゃんと二人で顔を見合わせ、私が
私:またぁ、適当なこと言って・・・。前は《さゆり》とか言ってたくせに。
と苦笑して、ふとその缶を見てみると、なぁんとゆかりというひらがなの後ろにうっすらと“縁”という漢字が浮き立っているではありませんか。思わぬ知った父の雑学に、
ほぉ (゜o゜)
とすっかり感心して、
私:おぉ、パパすごいじゃん。面目躍如だね!!ヽ(`▽´)/
と、褒めちぎっていた。そう、それは半年以上前のこと・・・。
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そして時は過ぎ、秋も深まるつい先日、久々に私が注文しておいた“ゆかり”が何箱か届いた。受け取った父がひとこと・・:
パパ:おーい、さゆり 届いたぞぉ (゜o゜)
私:(-.-) ゆかり・・・ね。
彼は何も学んでいなかったらしい・・・。
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意味のある練習をする ~軽さ(2)~

さて、前回の”軽さ“についての続き。
答えは、簡単!
鍵盤は下に下がる。
そう、でもこの事、つまり鍵盤が動くということが実は意外といろいろなことを難しく感じさせているのだ。人間の持つ手や足の感覚というのは、動かないものに接しているとすぐにつかめる。地面を歩いたり、コップなど動かないものをつかんだり。でも、目標の物体が動くと、エスカレーターに乗ろうとしたり、氷の上を歩いたり、たんぽぽの綿毛のように、飛んでいるものを捕まえようとしたり・・・想像すれば分かるように、慣れるまで最初のうちは慎重に捕まえないとうまくいかない。
そう、慣れるまで。
これは、日頃の“正しい“訓練で身に着くことだ。エスカレーターも何回も乗れば、考えずにひょいと乗る。でも思っていたより早いエスカレーターだったら、一瞬よろっとする。
正しい訓練とは何だろう。ピアニストの難しさの一つ、それは本番ごとに与えられた楽器に瞬時に反応し、慣れなければいけないということ。
<家なら弾けたのに、このピアノは・・・>
という言い訳を良く耳にするが、そんなこと聴衆には関係ない。
与えられた楽器に瞬時に反応できるよう、普段から意識して練習する必要がある。何に意識して練習するかというと、それは鍵盤のもつ特徴をつかむこと。よく、軽い鍵盤、重い鍵盤、そんな表現をするが、その感覚は鍵盤が上にあがってくる速度の違いから感じるものだ。鍵盤自体の重さではない。普段から、その鍵盤の戻りにどれだけ意識を持って練習しているかが、大きく影響する。
ここで、一つとても大切なことがある。鍵盤の特徴の意識をつかむのは、目ではない。指だ。それも指先の腹のこの部分。
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つまり指の感覚を成長させなければいけない。指というのは、この部分に一番神経が集まっているらしい。ピアノは指から指へ渡して弾く。つまり歩くことと同じ。つま先で歩いたり走ったりしないのと同じように、軽いからと言って指の先っぽで弾くのではなく、“適度な指先の面積は必要になる”ということがわかる。
次回で“軽さ”については最終の予定です!
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せんくら終了!

いやぁ、楽しかった。朝ホテルを出たら夜まで戻らないという二日間びっちりと詰まった予定。3日で101個の演奏会という、大きな音楽祭。でも、オーガニゼーションの素晴らしいこと。見えないところで本当に多くの方が戦場のように忙しく働いているのだろうが、どの人もいつも笑顔を絶やさず、適切に接してくれる。おかげさまでこちらも、自分のリズムを良い具合に保つ事ができ、できることなら全員にお礼を伝えたかった。
50人以上の演奏家がいるにもかかわらず、意外にも舞台裏では全くすれ違わない。ほぼ誰にも会えず・・。唯一話せたのが、ヴァイオリンの西江辰郎さん。王子と呼ばれているとかで、女の子に大人気。へへ、へへと笑う、とてもさわやかで素晴らしい方だった。
楽屋裏には、飲み物を用意してくれているスペースがある。そこでコーヒーをついでいたら、ピアノの若林顕さんがいらした。あ、本物も写真とそっくりだ、などミーハーなことを考えつつ“お疲れ様です”と声をかけ、彼もさわやかに、どうもと言って通り過ぎた。
しかーし、これで終わらないのが私の人生。
そこへ若林さんが戻って来て、
若:あのぉ、すみませんが楽屋4番はどこですか?
私:いやぁ、ちょっと私にはわかりません・・・・ (-.-)
そう、まぎれもなくスタッフと間違えて声をかけられ、アーティストと書かれたバッジを下げているにもかかわらず、スタッフと思いこまれたままこのフェスティヴァル終了したのでした。汗
そんな感じで、いろいろな演奏家が集まっているにもかかわらず、どなたとも話す機会がなかったのが少し心残り。でも、全員の演奏家が私たち同様、びっちりと詰まったスケジュールで動いているだろうから仕方ない。
演奏会では、お客さんの集中力に驚かされた4公演だった。マイクで“こんにちは”と声をかければ、大きな声で全員が“こんにちはー!”と返事をしてくれる温かさあり、でも私たちの4つすべての公演で、演奏が始まると息をのむような静けさを作り出してくれた。本当にすばらしいお客さんだった。おかげさまでこちらも良い緊張を保つ事が出来、心から楽しんで演奏させてもらった。演奏後のサイン会でも、温かい声をかけてくださる方の多いこと。なんだか私たちの方が、お客さんからエネルギーをもらった感じがした。
みなさん、どうも有り難うございました・・・。(^-^)
明日から録音。がんばるぞー。

意味のある練習をする ~軽さ~(1)

ただでさえ、本番となるとぷるぷる震えてしまうのに、軽くて速いモーツァルトなんかのデリケートなパッセージは、この世のものとは思えないぐらい怖い・・・。という人たちへ。ようこそ♪ 私も同じです。(^-^)
って微笑んでる場合ではなく、なんとかしなければいけない。そう思ってここ何年かいろいろ試してきた結果、少しだけど改善された気がするのでその点を書いてみたい。模索の途中なので、数年後意見が変わっているかもしれないけど、お許しあれ。
いつもの私のやり方で、今回もなぜ“軽い“と怖いのか、から考えてみた。大きすぎないように、重すぎないように・・・そんな思いから、ピアノの鍵盤にしっかり指が座ることができず、体も指も宙ぶらりんに浮いている状態になってしまう。でも実際は音が軽く響けば良いわけで、私自身を軽くしようとしても、体のバランスを失うだけ。で、音はというと、抜けたりぼこっとでたり・・。大体良く考えてみれば、私の体重は最初から決まっているわけだから、体を軽くできるはずはない。
できたらダイエット簡単なのに・・・( ̄o ̄;)ボソッ
音が軽い響きになるためには、ハンマーが弦の近くから短く打鍵する必要がある。大太鼓で小さい音を出したいとき、近くから素早く叩くことを想像すれば、わかるだろう。(近くからでもゆっくり叩いたのでは音が出ない。)
ピアノでは、ハンマーが弦を叩いて音を鳴らすので、近くから短く速い打鍵が必要となる。そのために、私たち演奏側の仕事はというと、鍵盤をできるだけ近くから底にぽんとあてるような打鍵をすれば良い。ここで大切なことは、鍵盤の“底”にあてるということ。上っ面を弾くのではない。
ちょっと違う感覚で試してみよう。ピアノの鍵盤のふたを閉めて、ふたの上で軽く速くしかも弱くソファミレドと弾いてみよう。つまり、近くから短い打鍵で素早く。難しくないでしょう?ではふたを開けてピアノの上で同じことをしてみると?すこっと抜けたり、大きすぎたり、揃わなかったり・・・なんだか弾きにくい。ふたの上の時ほど居心地が良くないんじゃないかな。
ふたの上で弾くのと鍵盤で弾く違いは何?
続きは次回に!
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