体というものは、無意識のうちにどれだけ沢山のことを覚えこんでいるものか。驚かされることがある。中学や高校でテストの前に、あれこれ頭に詰め込もうとがんばって覚えられなかったはずなのに、(汗)普段の生活となると、覚えようとしていなくても、いつの間にか習慣となり、体が覚えていたりすることがある。そして一度体に入ったものを抜くことは、思いのほか難しい。
たとえば、家の中である時、模様替えをし、物の置き場所を変えたとする。私の場合、変えたことは重々あたまでは分かっているのに、以前にそれが置いてあった部屋に無意識に探しにいき、それから、あ、また間違えた、とくるっと向きを変えたことが何度あることだろうか。
食器の場所を自分で変えたにも関わらず、何度同じ引出しをあけてみて、あ、ここじゃないんだった・・・と自分自身にあきれたことか。
そういう経験ってみんなあるんじゃないかな・・・というか、あって欲しい。(^▽^;)
もし私だけなら・・・
え、ぼけ? (* ̄□ ̄*;
譜読みをするときというのは、まっさらな自分の中に新しいものを入れる瞬間。このやり方を間違えると、後々とても苦しいことになる。
家具を組み立てて行って、最初をちゃんと作っていなかったために、なんと出来てみたら
斜めになっている!!という経験がある人もいるだろう。
ピサの斜塔のように、それを芸術としておいておくわけではないので、それを直さなければいけない。でも、一度作ってしまうと、少し横から押してみたり、ねじを締めてみたり、なんとか形をごまかせないかとしてみても無駄。最初からすべてやり直しなことは、容易に想像できるだろう。
譜読みをすると時に危険なことは、目的がないまますぐに音を出してしまうこと。たくさんの理由がある。
楽譜に体を乗り出して、非常に不自然な姿勢で音を探る。その結果、あちこちに無理がかかった不自然な手や体の状態を無意識に覚えてしまう。
そして、難しそうなところを、なぜ難しいか、どういう練習をすれば意味があるのかを考えずに、むやみに何回も弾いてしまうことで、まず
あ、ここ難しい (・_・;)
と頭と体両方が覚えてしまう。これは本当に厄介である。本番で緊張する時ってどうなるかというと、まずその難しいと思っていた場所が、“あ・・こわい”という感情に変化する。なぜか本番になると、特に難しいと自分が苦手にしている部分こそが、ぐわぁ・・・と大きく頭のなかを占領し、反対に自信はというと、しゅぅぅっと小さくなり、不安ばかりが増大するからだ。
練習のとき大切なことは、
あ、大丈夫、ここも弾ける、という肯定的な感覚を体に覚えさせていくこと。よし、無理していない、ちゃんと緩んでるぞ、お、以外と弾けるという安心感。
それを入れていくためには、譜読みの段階で苦手意識をできる限り減らすようにしなければいけない。そのためにも、難しそうな場所があったら、まずそこから取りかかる。なんで難しいのかよく考え、それがわかったら、そのためにどんな練習が有効かを考え、そして初めてピアノに向かう。
そして、1度に4小節など弾かず、少しずつ少しずつ、ゆっくりから徹底的な練習。その部分が、よし大丈夫という段階までできたら、少しテンポを上げてみる。当然、さっきよりテンポが上がったことで弾きにくく感じるだろうから、また安心できるテンポに戻す。そしてまたテンポを上げてみる。そういう地道な練習が必要だ。焦って譜読みすることで、すぐに“弾ける”ようになったかもしれないけれど、同時に体か脳のどこかに怖さ、不自然さが記憶されていたら、いずれすべてやり直しになってしまうということを常に念頭に置いてほしい。
このように、丁寧に積み上げることで、曲への苦手意識がかなり減ってくる。基礎部分をちゃんと練習したから。緊張というのは、気持の問題。ちゃんと練習したから、そう自分に言い聞かせられることは、緊張を支配するのに最も必要なことの一つだ。
なぁんて、偉そうなことを書きながら、今日もフォークを求めて、違う引出しをあけ、
あ、間違った (・_・)
とつぶやいていた私です。
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