ピアノを弾くこと=鍵盤をおろすこと
ではない。
ペダルをつかう=ペダルを踏み込む
ことでもない。
どうしても、弾く、踏む、という“Give”的な方向にばかり意識がいってしまうことが多い。でも、“踏む” なり “弾く”なりしたものの“後始末”をすることがいかに大切かと言うことを忘れてしまう。
考えてみれば、
部屋の片付けでもそう:出したらしまう。
会話でも:話し手にも聞き手にもなる
そして
恋愛では、7押して3引くんだそうな。(昔、同級生だった 軽~~~いノリの男の子が言っていた。笑)
↑全然参考にならない? (^^♪
いや・・・私が言いたかったのは、鍵盤をおろすことだけに注意を払うのではなく、下がった鍵盤をどう戻すか、ということに意識を持っていることの大切さ。ペダルも同じ。どうあげるか。
鍵盤をおろす。でも、それ以上いくら押しても意味がない。
ある公開レッスンで、
―音を歌わせるために、鍵盤の底に着いたら、そのまま指をヴィブラートさせて・・
といって鍵盤の底で指をぷるぷるさせていた人もいたっけ。
だから、何も変わらないってば!
エェー、コホンッ!(;-o-)o” 失礼・・・
そうではなく、鍵盤をおろしたらそれをどう戻すか、ということにも強い意識を持ってほしい。
1本の指で鍵盤をおろす。そしてゆっくりと指を緩めると、鍵盤は自然とあがってくる。(決して指で“あげる”のではない。緩めるとあがって来る。これはすごく大切なこと!!)あがってくるスピードを指先で感じることで、そのピアノのアクションの具合が分かる。重いピアノ、軽いピアノ、と一般的に表現されるあの感覚である。たとえば、ゆっくりあがってくるということは、そのピアノは重く感じる。これをいかに瞬時に指先で感じ取ることができるかで、本番など前もって触ることのできない楽器で弾く場合にも、ある程度恐れずに弾くことができる。
大きい音を出したい、だから思いっきり弾く・・のでは、思った音が作り出せない。硬すぎて騒音になるか、がんばった割にはもの足りないなどとなってしまう。
鍵盤の戻りがどれぐらいの速さだから、それに対してこれぐらい・・という“必要な速さ”がある。それを入れる。それが “弾く“ことの基本。闇雲(やみくも)に早く打鍵したり、ピアニッシモにしたいからそっと打鍵しても、ぼこぼこの演奏になってしまうだけ。
また、戻りをコントロールするということは、<音の切れるところ>を自分で作る、ということにもなる。鍵盤を下げて、ゆっくりと戻しながら、ダンパー(弦の上にある白い綿たち)を見てみると良い。鍵盤をゆっくり戻すにつれて、ダンパーが弦の上に降りる。降りた瞬間に音が切れる。これも自分で”作り出し”ていなければいけない。ピアノは音が“出る”のでも”切れる”のでもなく、演奏者自身の手で、音を”作り”、”切る”のである。
<鍵盤の戻りを感じ、必要とされている速さと量を必要なタイミングで入れる。>
そのために、指先(指の腹の部分)の鋭敏な感覚を育てることと、鍵盤との絶え間ない接触が必要となる。
鍵盤との絶え間ない接触・・・難しい響きだけど、要するに
近くから弾く
この言葉ならよく耳にしていると思う。近くから弾くように、といわれるわけは、これで少し分かってもらえただろうか。
ペダルもまったく同じ原理。Give and Take!
これについては次回のブログで書いてみよう。