好きではじめたはずの音楽。
音大に入りたい、プロになりたい、留学したい。入学試験、コンクール・・・
趣味からプロへの道には、試験、コンクールなどさまざまな乗り越えなければならないものがある。でも、乗り越える過程で、“好きで”はじめたはずの音楽が、苦しみになっていく。うまく弾かなきゃ・・・。これに合格しなきゃ・・・。
必死に練習し、必死にあがいているうち、目的がそれ、楽しみや音楽に接する喜びがどこかにいってしまっていないだろうか。表現 “したい”のではなく、“しなければ”になっていないだろうか・・・。
私がまさにそうだった。好きなのに、本番に行くと戦いになっている。震える自分との戦い。最近になって、目覚めた気がする。コンクールには遅い年齢になり、入試などの試験からも開放され、やっと自分が音楽と向き合えた今。戦いで通り過ぎた20代を複雑な思いで振り返っている。もっと違う見方ができていたら・・・。
両手一緒にひくのがやっとなうちのパパ。ときどき、思い出したようにピアノに座り、誰の曲でもないメロディーを、淡々と奏でることがある。自分の感じるままに、音を並べていく。指が動かなくても、上手に弾けなくても、好きで奏でている。この姿こそが本当の音楽家の源ではないのかな。
30代になり、指導する立場から見るようになって数年。
私が接している今の若い才能ある生徒たち。今の時点で方向を間違えてほしくない。コンクールは反対しない。私はコンクールからもたくさん学んだ。ただ、音楽に接した瞬間、ピアノの前に向かった瞬間から、それがコンクールであれ、演奏会であれ、あるいは練習であれ、本来あったはずの喜びを忘れないでほしい。プロを目指すなら、競争ではなく、戦いでもなく、本物の ”音楽“を目指して模索してほしい。
私が生徒によく言う言葉がある。
-ひとつでも音を出す以上、意味のない、心のない音は出さないで。
私もこれから、一生をかけて勉強し続けていこう。