―それだと、綺麗すぎるんです。技巧に走りすぎているんですよ!!
先日テレビをつけたら、そう言っている出演者の声が耳に入った。
俳句の話だった。
俳句にも様々な技法があるらしい。五,七,五という限られた文字の中にいかに凝縮して情景や心情を描くかということを求め、言葉の選び方や並べ方など、試行錯誤して作品を作るのであろう。ところが、美しさを求めて練りに練っていくうちに、技巧が表にたってしまうというのである。確かにそれらの作品を見ると、言葉面は美しいけれども、結果として読む側の心にすっと入って来ない。
この人はこうも言っていた。
―正岡子規は、俳句にできるだけ自然体を求めていたんです。
このことが頭の中に残り、ここ数日考える機会になった。
そういえば、料理の番組を見たときも、こんな話をしていたっけ。
<素材の味そのままをいかに引き出せるかが決め手です>
何でも同じなんじゃないかな・・・そんなことをふと感じた。俳句も、料理も、音楽も、人間も・・・。
<自然である>
このことが何においても一番の魅力であり、そして一番難しいところなんじゃないかな。当たり前のようで忘れやすく、でも何かの時にとても助けになる、そんな大切な言葉に出会えた気がして、今日はちょっと嬉しかった。
PS おしまいに、正岡子規の俳句をひとつ
柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺