せんくら 2009

この秋、10月2-4の3日間、仙台にてクラシック音楽祭、せんくらが開催されます。私とDも、なんと、今年初めてお邪魔させていただくことになりました!いいですねぇ、仙台。今から楽しみです。
せんくらの公演は、全部で95公演!すべて45分から1時間という短いもの。演奏会場は近くに集中してり、値段もリーズナブル。お客さんは、お気に入りの演奏会を一日にいくつもはしごできるというなかなか面白い試みのようです。
私たちは、二人一緒に2公演、そしてDのみのソロで2公演の出演予定です。目下、曲を準備しているところですが、今回の二台ピアノは2つテーマ用意してみました。
ひとつは、スペイン!!45分間、華やかさ、強さ、そして色気♪・・・スペイン色豊かにお送りします。聴きやすい曲ばっかりで、とーっても楽しい演奏会になると思いますよぉ。(^。^)
そして、もう一つの公演は、メイン会場での1時間公演。こちらは、オールフランス音楽。ディズニーの映画で有名になった魔法使いの弟子。みなさん御存知ですね!ほうきに魔法をかけて、水くみをさせようとしたら、あら大変・・・水がいっぱいになったのに、止める魔法を忘れてしまい・・・大洪水!二台のピアノを通して、このスリルあふれる名曲をお聴かせします。また興味深い連弾の作品も組み入れました。この連弾がまた、絶対に外せない名曲!!ドビュッシーの<海>。オーケストラ作品をドビュッシー自身が連弾に書き換えたもの。なかなか演奏されない名曲。なぜ、演奏されないのかって?それはそれは・・・私が思うに、とーーっても難しいからである。(@_@;)
いやぁ、真面目な話、本当に難しい。Dと20本の指が88個しかない鍵盤の上を走りまわるのだけど、指同士が糸みたいにもつれんばかりの音の数。水、風、波・・・・音で色彩豊かに世界を繰り広げたいと、私たち二人理想はもっているのですが、
こらぁ、あなたの指が邪魔なのよぉ!ヽ(`△´)/
いや、君がもっとはやくよけてくれないと・・・(@_@;)
と、日々、争いながら練習しております。
そしてもう一つの難しさが、ペダル。
ペダルによって、こんなにピアノの色が変わるのか、と思うぐらいペダルがとっても大切な曲。ピアノでオーケストラの色を出すために、指だけでなく、足の練習も欠かせないわけです。
そして、この苦労の先に、出来てくる音は魔法のよう。ピアノから20本の指と何千もの色を紡ぎだして、信じられないような音の海の世界を10月に向けて作り上げます!
その他、名曲中の名曲、ラヴェルのラヴァルス、ドビュッシーの牧神の午後絵の前奏曲も!
心に残る演奏会になること、間違いありません。なかな聴けない二台向かい合わせての演奏、そして連弾。
是非、フランス、スペインの世界を堪能しにいらしてくださいね!
Dのソロ2公演も、見逃せない名曲ばかり!会場でお目にかかれるのを楽しみにしていますね~。
チケットの特別前売りが6月22日からだそうです。詳しくは、せんくらのサイト
http://www.sencla.com/
をご覧くださいね。
私たちの演奏曲目は、下記のとおりです。
●10月3日 土曜日 10時40分-11時25分
―DEVOYONのソロです。
 DebussyとRavelの名曲集♪
  ドビュッシー:月の光、夢、子供の領分から、前奏曲より
  ラヴェル:鏡より “蛾”“洋上の小舟”“道化師の朝の歌”
●10月3日 土曜日 18時10分―18時55分
―DEVOYON&MURATA 二台ピアノ
 ピアノデュオでスペインへ♪
  ラヴェル:スペイン狂詩曲、亡き王女のためのパヴァーヌ
  インファンテ:アンダルシア舞曲
  シャブリエ:スペイン狂詩曲
●10月4日 日曜日 13時50分―14時50分
―DEVOYON&MURATA 二台ピアノ
 美しいフランスの超名曲♪
  ドビュッシー:海(連弾)
  ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
  デュカス:魔法使いの弟子
  ラヴェル:ラ ヴァルス
●10月4日 日曜日 17時40分―18時25分
―DEVOYONのソロです。
シューマンとチャイコフスキー♪
チャイコフスキー ドゥムカ
チャイコフスキー 四季より<10月>
シューマン  クライスレリアーナ

一緒に“自分”を探そう!

最近よく、練習する気が起きない、練習に身が入らない・・などという相談を受けることがある。
~~する気が起きない、というのは、私が思うにエネルギー不足である。じゃあ、もっとご飯やお菓子を食べればよいのかといえば、必要なのはそのエネルギーではない。残念だなぁ・・・(-.-)
視点を変えてみよう。自分が、何かを率先してするとき、たとえば買い物でも良い、映画を見るでも、スポーツでも、家庭菜園でも・・・・。自ら輝いて自発的に動いているとき、どういう心境なんだろう。それは、興味、だと思う。つまり面白みを感じている時。面白みさえ一度覚えれば、周りがいわなくても勝手に動き始めるものである。
練習に身が入らなくなっているということは、私が接した人たちをみていると、練習する面白みがなくなってしまっていることが大半だ。それは、練習が日常化してしまい、目的がなくなってしまっている場合、あるいは目的が、知らず知らずのうちに試験や競争、あるいは認められるための結果を求めるものになってしまっている時に多いと感じる。
子供のころ無邪気に始めたピアノ・・・それが、何らかの理由で、重荷になったり、引け目を感じたり、そして萎縮してしまう。そして、挙句の果てには、レッスンで聴かせてもらっている私に向かって、遠慮するように演奏してしまう姿すらみる。
そんな様子を見て、なんとかしてあげたいと心から感じる。
誰にも遠慮することなんてない。自分の意思で、自分の表現したいことを、自分のできる範囲で良いから、ぶつけてみてほしい。自分より上のことを求め、恥ずかしがる必要も、自分より下の人を探す必要もない。だって本来、上も下もないはずだから。自分が勝手に、上だの下だのラインを決めているだけで、そんなラインなら、取り払ってしまった方が良い。自分のために、自分の成長のために、自分の再発見のために、音楽を勉強してほしい。
少なくとも、私はそう考えるようにしている。うまい人なんて山ほどいる。認められたい・・・そういうものを目指すなら、私なんて存在しなくても良い。素晴らしい演奏家もいれば、すでに亡くなった素晴らしい演奏家の録音だってたくさんある。
私がピアノを続ける理由は、自分が自分らしくいられるから。音楽に、エネルギーをもらって、自分という人間が輝けるから。そして、音楽を通じて自分の内面からの成長をさせてもらえるから。さらには、レッスンに来てくれる人達と一緒にその面白みを分かち合えたとき、また一人の人間を、輝かせることができるから。こんな魅力的なことはない。
私がレッスンをするときに心がけていることは、私は何かを“直す”ためにいるのではないということ。私の役割は、音楽の面白さ、そして自分への自信を再発見してもらうことだと思っている。
自分にもこんなことができるんだ、自分にもこんな音が作れる・・・そんな感動を見つけてもらえるように、ベルリンや日本でのレッスンで出会える方々と一緒に探していきたい。
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預かりもの?

先日飛行機で、私は自分の席について他の人が搭乗するのを待っていた時のこと。真剣に機内雑誌を目にしていた私に、若い女性が英語で、
‐すみませんが、ちょっとの間、預かってていただける?
と話しかける声がしたので、にこやかに 
ハイ♪
という返事をしようと思ったのだが、返事をするかしないかの間に、すでにポンとその預けものは、私の膝の上に置かれていた。その預かりものとは、なんと・・・
赤ちゃん♪
であった。(・_・;)
そんな見知らぬ人の膝の上に、ぽんって、あなたの
宝物置きますか?・・・みたいな。(@_@;)
荷物持たせても、赤ちゃん持たせないでしょう、他人に・・・。
さすが、外人の母、強し。やることが大胆である。
赤ちゃんを抱いたことなんてほとんどなく、わたくし、ほぼ硬直・・・。
何があっても落としてはいかんと必死でありました。対して、赤ちゃんも赤ちゃんで、母親ではない人の膝の上で、めちゃめちゃ普通にくつろいでいた。おそらく将来大物である。
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AndVisionマスタークラス

去年、AndVisionからのお誘いで、短期集中マスタークラスというものを引き受けさせていただいた。日本からいらっしゃる生徒さんをベルリンで短期間集中的にレッスンさせていただくというもの。期間は1週間からさまざまなコースがあるが、今回は3週間コース。初めての試みを、非常に興味を持って迎えた。
3週間、毎週、月、水、金。つまり合計9回のレッスン。いらしてくださった二人の生徒さんは非常に意欲のあるとても明るい子。お互いが相手のレッスンを聴く。自分が受けるだけではなく、倍あるいはそれ以上の面白みがあるだろう。自分がレッスンを受けている時というのは、必死さもあり、意外と客観的になるのが難しい。人のレッスンを聴くというのは、自分が受ける以上にといって良いぐらい、本当に勉強になると思う。
3週間で9回・・どうなることかと思っていたが、実際やってみると、とても良いシステムだと感じた。曲を9回で直す、仕上げる、そういうことではなく、これから私が彼女たちと二度と会うことがないかもしれないことを考えて、それぞれの生徒さんに、今一番大切だと思われること、そしてこれから先の勉強で、生かしていけるだろうと思う練習の仕方や、曲の見方、曲への接し方を中心に絞って話してみた。すると、彼らの熱心な姿勢と練習のおかげもあり、たった3週間なのに成果が本当に顕著に見られ、曲に対する接し方、演奏の仕方も大きな変化が見られたのだ。
彼らのおかげで、私もまた新しい経験をし、大いに勉強させてもらった。
参考までに:http://www.andvision.net/page,shop.product_details/category_id,41/flypage,shop.flypage/product_id,309/option,com_virtuemart/Itemid,59/vmcchk,1/Itemid,59/

なんでも経験?!

先日、私の父がドイツに遊びに来ていたのですが、その初日わたくし、なんと
父の歓迎と称してか、(なんでだ?)人生初の
感電!! \(゜ロ\)(/ロ゜)/  
をしました。ハイ。
日本製電気製品のコンセントの先に、ドイツの形状に変える為のプラグをはめて充電していたのですが、それが壊れていたらしく、充電後に機械を抜いてもコンセントの金具だけが、壁のコンセント穴に刺さったままになってしまったわけです。それを抜こうと、金具を右手でつかんだとたん、
ビリィィィィイ (/・ω・)/
っと来てしまいましたねぇ。あの感じでは完璧に通電しておりました。
もしも頭に電球をのせていたら、おそらく
ピカッ ☆
と点灯したものと思われます。
慌てふためいて、父の所に行き、
私:ねえ、私、感電したんだけど大丈夫かなぁ (@_@;)
と聞くと、
父:今も生きてるから、大丈夫だろう。(・o・)
と、あの人は、のたもうた。さすが父よ、あっぱれ。
これで、私も賢くなってたりして。(▼∀▼)ニヤリッ
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意味のある練習を  ~譜読み~

体というものは、無意識のうちにどれだけ沢山のことを覚えこんでいるものか。驚かされることがある。中学や高校でテストの前に、あれこれ頭に詰め込もうとがんばって覚えられなかったはずなのに、(汗)普段の生活となると、覚えようとしていなくても、いつの間にか習慣となり、体が覚えていたりすることがある。そして一度体に入ったものを抜くことは、思いのほか難しい。
たとえば、家の中である時、模様替えをし、物の置き場所を変えたとする。私の場合、変えたことは重々あたまでは分かっているのに、以前にそれが置いてあった部屋に無意識に探しにいき、それから、あ、また間違えた、とくるっと向きを変えたことが何度あることだろうか。
食器の場所を自分で変えたにも関わらず、何度同じ引出しをあけてみて、あ、ここじゃないんだった・・・と自分自身にあきれたことか。
そういう経験ってみんなあるんじゃないかな・・・というか、あって欲しい。(^▽^;)
もし私だけなら・・・
え、ぼけ? (* ̄□ ̄*;
譜読みをするときというのは、まっさらな自分の中に新しいものを入れる瞬間。このやり方を間違えると、後々とても苦しいことになる。
家具を組み立てて行って、最初をちゃんと作っていなかったために、なんと出来てみたら
斜めになっている!!という経験がある人もいるだろう。
ピサの斜塔のように、それを芸術としておいておくわけではないので、それを直さなければいけない。でも、一度作ってしまうと、少し横から押してみたり、ねじを締めてみたり、なんとか形をごまかせないかとしてみても無駄。最初からすべてやり直しなことは、容易に想像できるだろう。
譜読みをすると時に危険なことは、目的がないまますぐに音を出してしまうこと。たくさんの理由がある。
楽譜に体を乗り出して、非常に不自然な姿勢で音を探る。その結果、あちこちに無理がかかった不自然な手や体の状態を無意識に覚えてしまう。
そして、難しそうなところを、なぜ難しいか、どういう練習をすれば意味があるのかを考えずに、むやみに何回も弾いてしまうことで、まず
あ、ここ難しい (・_・;)
と頭と体両方が覚えてしまう。これは本当に厄介である。本番で緊張する時ってどうなるかというと、まずその難しいと思っていた場所が、“あ・・こわい”という感情に変化する。なぜか本番になると、特に難しいと自分が苦手にしている部分こそが、ぐわぁ・・・と大きく頭のなかを占領し、反対に自信はというと、しゅぅぅっと小さくなり、不安ばかりが増大するからだ。
練習のとき大切なことは、
あ、大丈夫、ここも弾ける、という肯定的な感覚を体に覚えさせていくこと。よし、無理していない、ちゃんと緩んでるぞ、お、以外と弾けるという安心感。
それを入れていくためには、譜読みの段階で苦手意識をできる限り減らすようにしなければいけない。そのためにも、難しそうな場所があったら、まずそこから取りかかる。なんで難しいのかよく考え、それがわかったら、そのためにどんな練習が有効かを考え、そして初めてピアノに向かう。
そして、1度に4小節など弾かず、少しずつ少しずつ、ゆっくりから徹底的な練習。その部分が、よし大丈夫という段階までできたら、少しテンポを上げてみる。当然、さっきよりテンポが上がったことで弾きにくく感じるだろうから、また安心できるテンポに戻す。そしてまたテンポを上げてみる。そういう地道な練習が必要だ。焦って譜読みすることで、すぐに“弾ける”ようになったかもしれないけれど、同時に体か脳のどこかに怖さ、不自然さが記憶されていたら、いずれすべてやり直しになってしまうということを常に念頭に置いてほしい。
このように、丁寧に積み上げることで、曲への苦手意識がかなり減ってくる。基礎部分をちゃんと練習したから。緊張というのは、気持の問題。ちゃんと練習したから、そう自分に言い聞かせられることは、緊張を支配するのに最も必要なことの一つだ。
なぁんて、偉そうなことを書きながら、今日もフォークを求めて、違う引出しをあけ、
あ、間違った (・_・)
とつぶやいていた私です。
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何よりも大切なこと

ドイツに住んでからの12年、さまざまな体験や思いをしてきた。苦いこと、嬉しいこと、発見、驚き・・・すべてを栄養にしてきたつもりだし、これからもしていくつもりだ。
確実なことなんて何もない。むしろ、わかったと思ってしまったときが最後だと思っている。一生ずっと模索を続けるために人生があると思っているから。
日本で生粋の日本人として23年育ち、今ドイツで13年目を迎えている。その日々と体験を通して、今強く感じ、また自分というものを見失わないためにも確信を持って受け入れていることがひとつある。それは私は日本人だということ。最初のうち、外国人ぽくならなきゃ、とか、なんとかして外国人ぽく溶け込もうとしていた。でもそれは、から周りの地団太を踏むことになった。私は私。外国になじむために、私がその時必要だったことは外国人になろうとすることではなく、意外にも、自分が日本人であることを受け入れることだった。
日本にいたころやベルリンに移ってすぐ、外国人に引け目を感じていたことがある。外国人はすべてやることなすことスマートにみえ、立派に見え、何でも知っていて・・・それに引き換え自分がだめに見えたり・・。でもそれは、新しい人種、新しい文化、これまでに経験したことのないことにぶちあたるということであり、カルチャーショックといわれるものなのだろう。
問題はそこからで、そのカルチャーショックをどう受け入れていくか。そこはとても大切な過程だと思う。引け目を感じたり、それで自分がだめになることを恐れるがために、自分の殻に閉じこもったら、その時点で、傷はつかないかもしれない、でも広がる世界も限られてしまう。あるとき、自分が日本人であることを、そして自分はまだ知らないことだらけだということも認めることができ、それを自然に受け入れることができた時から、それは不思議と1つの誇りにもなり、
それから私は自然体となった。
それが私が大きく一歩変わった瞬間だった。そして、知らないということ、わからないということを恥とせず、学ぶ扉を大きくあけることとなっていた。
*********
外国人と接するとき、日本人であるからこその良さ、日本人であるからこそ難しさはたくさんある。でもそんな時、ふと考えてほしいことがある。
みんな人間なんだということ。
生活の過程で、それぞれの風習、それぞれの考え方があって当然で、だからこそ人生は面白い。お互いの風習の違いから、思わぬ事で傷つけたり、傷ついたりすることもある。でもそんな時、肌の色は違っても、習慣は違っても、そこで恐れて扉を閉ざさず、根本に
誰もが人間の“心”をもっている
ということに戻ることができたら、自分は違うんだと背中を向けず、相手を理解しようと心の扉が開くことになるはずだ。
外国ははっきりものを言うから、私も言おう。それを外国に住むということと履き違えてしまうと、ものをはっきりという、ただのわがままでしかない。自己主張とわがままは別のものだ。どんな国でも、どんな考え方でも、大切なことは、みんな人間だということ。表現の仕方は違っても、根本は 相手に対する思いやりを忘れず、その心をむやみに傷つける資格はないということ。
でも、傷つかないように、つけないように生きていくことで、すべてが丸くおさまっているように見えるのは表面だけ。それが美なのか・・・
バランスというものは本当に大切なものだと思う。そして同時にすごく難しいこと。欲望、思いやり、嫉妬心、プライド・・・すべて生きていく上で必要なものだと思うけれど、バランスを失った時点ですべてが崩れてしまうことがある。
はっきりとものをいう場合、言われる場合、それがどう作用するかは信頼関係にかかっている。本当の意図をつかんでくれることを祈って投げるボールは、本当に重たいものだ。思ったような信頼関係が築かれていなければ、その重いボールは、牙(きば)となって届く。そして相手も自分も傷つく。
投げてみたボールに託した思いは、どこまで届くんだろう。それが牙となって届いてしまったとき、信頼関係が成り立っていなかったことに気づき、さびしく思う。
こんなことを考えている私の春の日々です・・。
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はがゆい

ピアノという職業を通して、私にできること、私がすべきこと。どこまでが私の役割なのか。ことあるごとに考えさせられる。愛情を持ち真剣に向かう分、傷もつく。でも、傷を恐れての妥協はしたくない。いつか一人一人の心に届くことを願いつつ、今は私の信じる方向で、まっすぐ走ってみたい。傷だらけになっても、後悔だけはしたくないから。

ドイツは早起き

ドイツは朝が早い。パン屋さんが朝の6時から開いていたり、ごみ清掃車が朝8時ごろどっかんどっかん回収に来たり・・・はたまた郵便屋さんが8時ごろすまして速達を持ってくる。
寝るのが趣味(←ものぐさ?)な私には、とーってもキツイわけです。
我が家は昨日から工事中。長年気に入らなかったカーペット敷きの玄関と廊下(これがむやみに長い。動く歩道をつけたいほどである)を板張りにすることにしたのだ。フローリングというやつである。
その初日である昨日。朝早く来る可能性もあるから、8時にはスタンバイできているようにと、Dとともに7時過ぎに起きることを決意。すると・・・
ビィィィィィイ!
と玄関のベルが鳴った。(我が家の玄関ベルは、恐ろしいほど轟音が鳴る)その時の私たち二人はというと・・・
爆睡中 (@_@;)
時間は7時ジャスト。この時の私とDのリアクションは、それぞれの性格を表すものであった。
Dは飛び起き、とりあえず寝グセになった頭を手でなでつつ、混乱してベットのそばをくるくる回っていた。で、私はというと、ベットからぴくりとも動かず
あのさぁ、早すぎだよ早すぎ・・
とぶぅたれていた。(-.-)
で、私たちはどうしたかというと・・
あのぅ、すみませんがあと30分後にもう一度いらしてください。早すぎです
と、追い返した。<(`^´)>エッヘン   ←いいのか・・・?
まぁ、Dの寝グセをみた彼らは、我々がしっかり寝ていたことが100%わかったらしく、おとなしく30分後にまた来てくれた。いい人だ♪
昨日も帰り際、
明日7時に来るから♪
というので、
いえ、7時半でお願いします。と切り返しておいた。
その結果、今朝は7時45分ごろ
君たちのために、すこし遅めに来てあげたよぉ♪
と、ゆっくりめに現れた。うん、本当に良い人たちだ。 
それでも今朝からは6時45分起き。これが2週間続く。うぅ、つらい・・。
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個性?

飛行機などで<予約番号>というものを受け取ることがある。アルファベットと数字で組み合わされた LPE5J2 のようなもの。電話でこの番号を教えてもらうとき、聞き間違いを避けるために それぞれのアルファベットに言葉をつけて言われることがある。
私がこれまで経験した中では、
パリのP ロンドンのL
などのように、地名をつけるもの、あるいは ステファンのS、ボブのBなど人の名前をつけるもの、この2つのいずれかだ。ピアノ協奏曲の楽譜にも、A,B,Cなどのアルファベットが書いてあることが多い。オーケストラとのあわせの時、ここから弾きましょう、などと大人数に指示する場合に便利なのだが、これもドイツでは、ハインリッヒのHから始めましょう、などと呼んでいる。そういう経験から、多少の違いはあっても、大体の場合は共通で、Lはロンドン、Pはパリなどとわかりやすく統一されているんだろうと思っていた。
先日ある日本の航空会社(ヨーロッパ支店)との電話のやり取りで予約番号をいただく際も、そんなわけで心の準備は整っていた。電話口は日本人女性。
女性:お客様の予約番号は、ロンドンのL・・・
私:(お・・・ロンドンね)
女性:シュガーのS
私:( ̄△ ̄;)エッ・・? シュガーー? 砂糖っすか・・汗
女性:数字の5、
女性:パパのP
私:(゜∇゜ ;)エッ!? パ・・・パパ??
いやぁ・・・おかげさまで驚いてしまい、番号を聞き取るどころではなく、
シュガー?パパ??
と頭の中に巡ってしまい、2-3度聞き返す羽目になってしまった。
もちろん、もう一度繰り返してくださる際も、
シュガーのS、 パパのP・・・であった。なんだか和むなぁ・・・・
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日常、遭遇したこと、思ったこと・・・を飾らず気ままに書いて行きたいと思います。