育てるべきこと (1)耳 

私はベルリンに留学してすぐ、壁にぶつかった。
レッスンで良い例と悪い例を弾いて聴かせてもらっても、違いが聞こえない。
–君が思っている「聴く」は、ただ「聴こえてる」のであって「聴いている」のではない。
その言葉の意味は頭でわかっても、感覚がわからない・・・。焦りが募る。
「下書きの絵を持ってきて、色をつけてくれと言われてもレッスンできない。
自分で考えてくれ」
そう言われ、部屋を追い出された。
聴くってなに?考えるって何?
混乱の日々が始まった。
ただ、1つだけ私が確信していたことがある。それは「追い出された」とは言っても、絶対に私に何らかのヒントを与えたうえで追い出しているだろうということだった。
とりあえず思いついたのはレッスンで弾いてくれた音だ。微妙な違いはわからなくても、あまりにもきたない音ぐらいはわかった。まずはそれをとりあえず真似することから始めた。
まずは汚い音を意識的に出してみる。当時の耳でわかるほど汚い音だから、
相当なものだっただろう。(となりの練習室だった方、すみません。その1)
そして、考えることに入った。何でこう弾くと汚い音が出るんだろう。
たった1つの音を、何度も何度も繰り返し弾いて、ピアノの中を覗き込み、横に鏡をおいては覗き込み…。それでもわからなくてイライラし、そばにあった椅子を思いっきり蹴っ飛ばし… 
(となりの練習室だった方、すみません。その2)
そんな毎日を文字通り「何年も」過ごした。
練習というよりは、ああでもない、こうでもないといじくりまわすと言った方が適当かもしれない。
でも、そうして育てる耳が、最終的には一生の頼りになる。
耳は最大の先生だ。
最近、ほかの方のレッスンを拝見していて、先生方が弾いて見せているそばから弾き始める生徒の多さに驚く。
先生の言葉は聞くのに、言葉が終わったらとにかく弾き出してしまう。
でも実はその言葉、そしてちらっと弾いてくれるその音に、たくさんのヒントが詰まっているのに…。
先生でなくてもいい。誰かが出した音が、うまい下手はおいておき、自分が今まで出したことのない音であれば、それを耳に記憶して家に持ち帰る。できる限り似た音が出るまで真似して、出たと思ったら、どんなテクニックで今の音を再現たのか分析する。
これも、私は数えきれない位の時間を割いて行ったことだ。おこなった、というか今でもそうだ。レッスンで生徒が出した音が良い音であれ、悪い音であれ、どういう打鍵のせいでその音になっているか、家で真似してみて、あーだ、こーだ考えることもたびたびある。 (続く)
私のサイトFromBerlinへは
こちらからhttp://www.rikakomurata.com