私の声っていったい・・・

私の持つ携帯にSiriという機能がある。マイクに向かってしゃべると、その言葉を認識して文字に変えてくれるってやつだ。指で打たなくても、しゃべったことが文字になるなんて、なーんて素敵な時代♪
と、思いきや。
私の声は、認識されづらいらしい。マイクに向かって何かをしゃべっても、
認識マシーンは、くるくると“検索”中であるマークが回り続け、
いっこうに変換されない。待ちきれず、もう一回ゆっくり話しかけてみる。
シーン
無理らしい。(-o-)
そして気が付けば、東京駅八重洲口!!!(←単に例文です・・)
などと、どうでもよい検索語を超大声で叫んでいる自分がいる。
あほである。
自分で打った方がよほど早い。
先日は、
「パスカルにメールする」
という文章を言ってみた。というのもDが“ジャックにメールする”、とSIRIに話しかけると、その機械がなーんと
“どのジャックさんにメールしますか?”
と返事をしてきて、ジャックさんという名前のメールアドレスをいくつか表示したのだ。“すご技”である。
・・・・・東京駅八重洲口と叫んでいる私は何なのか。・・・・・(-o-)
というわけでくやしいから、機械に向けて
私:「パスカルにメールする♪」
と言ってみたところ
機械:「バカ というひとは見つかりませんでした」
と返事しやがった。パスカル→バカ と聞き取ったらしい。
これは今回始まったことではない。実家の車のナビゲーション。もうおそらく5-6年は前だと思うが、そのナビゲーションに話しかけたことがある。事前に登録しておいた場所をマイクに向かって言えば、そこを目的地に設定してくれるのである。そのナビは、話しかけた言葉をいったん復唱し、それから探すというシステム。
その日、私は自宅に帰りたかったため、マイクに向かって
自宅
といった。するとナビは
オ・サ・ル♪
と答えおった。どうにかしてくれ。

夏の講習会で、今年もたくさんの若い演奏家たちと勉強をさせてもらった。
講習会というのは、普段のベルリンでのレッスンとは少し違う。というのも、講習会や公開レッスンなどは、1回、あるいは数回一緒に時間を過ごすだけで、その後一生会うことのない人もほとんどだと言える。普段にも増して、短い期間で私の思うことを的確に伝え、それを正しい意味で理解をして講習会を後にしてもらうことが私の責任だ。
生徒さんの表情をみながら、与えられた時間の中で同じことをいろんな手段で伝えてみる。言葉を変え、例えを変え、弾いてみたり、質問してみたり・・何かの形でその人の心に響かなければ、表面上直っても、また元に戻ってしまう危険があるから。
最近感じることは、
何かうまくいかない、何かがまずい・・・
とまでは感じている人は多いのだけど、その理由やどうやってこれからそれを解決していくかの手段を、
探している“つもり”
になってしまっている人が多いこと。こういうキャラクターで弾きたいんです。こういう音がほしいな、と思ってるんです。いろいろCDも聴いてみたし・・・。あるいは、ここは何度の和音で、ここは何調になっていて・・・と分析したことを楽譜に書き込む。
それらは、もちろん本当に必要なこと。でも怖いのは、それだけで満足してしまうこと。
理想が知らず知らずと下がってしまうことの恐ろしさだ。
今の時代、ありがたいことに演奏会やコンクールの機会を与えてもらえることが多い。そこから学ぶことは多いと思う。でも同時に、今自分に求められていることにじっくりと向き合って探すという時間をとらず、後回しにしてしまっている人がとても多いのは見ていて苦しい。
それは<時間がない>のではなく、<時間をとろうとしていない>だけのことだということは真摯に受け止めてほしい。
努力に終わりなどないはず。
じっくり、丁寧に・・・。
周りに流されず、自分にとって今必要なことに時間をかける勇気を忘れないでほしいと思う。
積み木を組み立てるのと同じ。最初をしっかりと作ることの大切さがどういうことなのか。一段目が斜めになっていることは気になりながらも、そこから目をそらして長年かけ積み上げた続けた積み木。その行く末を想像すれば、その恐ろしさは簡単にわかるだろう。
そんな思いから日本でもプライベートレッスンシリーズを始めて7年になる。この秋もまた11名からたくさんのことを学ばせてもらうことになっている。
私の人生で出会うことのできる生徒さんの数は限られているけれど、一人でも多くの音楽家の心に、今必要とされていることから目をそらさないことの大切さを伝えたい。
それは音楽に限らず、生きていく上で必要なことだと思うから。
私のサイト FromBerlinへは
こちらからhttp://www.rikakomurata.com