~意味のある練習に向けて~  ―カギは一つ前の音―

この12月から、MessageFromBerlinと題して、日本でプライベートレッスンを開始させていただいた。レッスンでは私の方がたくさんのことを生徒さんから学ばせてもらえて、非常に楽しみにしている。
これにあわせて、ブログ上でも私の日ごろの模索から気がついたことを、書いてみようかなと思いついた。勉強の過程での“思いつき”だから、また10年後には違うことを書いているかもしれない。でも、ま、それもいいかなと・・・。
というわけで、今回のテーマは、“鍵は一つ前の音”。
私の生徒を見ていて、特に多く見られることの一つは、”できないところを何度もただ繰り返して練習する“こと。これは、とても危険なことだと思う。”このへん“が弾けない、という場所を繰り返して弾くうちに、なんとなく正しく弾ける確率が増えてくるので、”弾けるようになってきた“と解釈して次へ進む。そりゃ、誰でも何回も繰り返したらその瞬間は、正しい音に命中する確率は増えますって。
ところが、翌日にはまた大体しか弾けず、
“先生、いつまでたってもここが弾けるようになりません”
ということになる。
たまに、
“先生、ここ、どうしても汚くなるんでどうにかしてください”
という人もいる。美容院か、私は・・・
練習をする上で、不可欠なことは、“原因を突き止める”こと。“このあたり”が弾けないのではなく、はっきりと“どの音”が原因なのか。大半の場合、ひとつ ”こいつのせいだ!“という犯人が潜んでいる。私も、自分の練習で弾けないパッセージを見つけると、まず犯人捜しに取り掛かる。この犯人、なかなか手ごわい。となりの音に濡れ衣を着せている場合が多い。ふっふっふっ、みつけたぞ。お前だなあー犯人は。
みたいな、とても怪しい練習をしている私・・・。
たとえば、右手の親指で真ん中の”ド“を弾き、すぐに小指で2オクターブうえの”ド“を
弾かなければいけないとする。
よくレッスン中に見る光景が、この2音を弾いて、飛んだ先の小指をはずしてしまい、生徒はそのまま、はずしてしまった、上の“ド”を、
にっくきヤツ、あんなに練習したのに、こいつこいつーとばかりに、“ドドドドドド”と連打。そして、そのまま先に進んでしまうのである。
あら・・・
上の“ド”は、大半の場合、無実です。かわいそうに・・・。
で、誰のせいかといえば、いろいろ可能性はあると思いますが、
(1)飛ぶ前の最初の“ド”。飛ぶことに頭が行ってしまい、この“ド”をちゃんと弾かないまま飛ぼうとすると、それは地面をちゃんと蹴らないがうえにできない鉄棒の<逆上がり>みたいなもので。
(2)二つの“ド”の間の“移動係”。えらい怠け者のせいで、移動が遅い。
ただ、(2)は、(1)が原因になって移動が<遅くなってしまう>ことが多いので、やっぱり犯人は(1)かな。
などと、考える作業が、練習の一番の基本。やみくもに弾く前に、考える。それから、それに見合った練習方法を考える。
大半の場合、”弾けない”箇所、つまりよくはずしてしまう箇所は、その”一つ前“の音が原因のことが多い。ということは、念頭においてほしい。考えずに、同じ場所を繰り返し弾くことは、
間違えたテクニックを体に記憶させてしまうことにもなり、弾けるようにならないだけでなくて、逆効果にすらなってしまう。事態を悪化させる可能性が高いので、とても気をつけてほしいと思っている。
私がよく言うことの一つ、
”がまんする”ということを覚えてほしい。
弾いてしまわず、ちょっとまって考えること。
“一つ前がカギ”
これは、”音色を変える”
場合にもいえる。
よく、
―そこ、もっと変えて―
と言われることが私もあった。ただ、変えてと言われても、え、どうやって・・・みたいな。私も随分頭を悩ませた。色を変えるためには、思ってるよりもたくさんの手段がある。これは、また次回以降のブログにまわすとして、その“たくさんの手段”のなかの一つが“一つ前の音”になるということだけ書いておきたいと思う。
色を変えるということは、どういうこと?
<変える>
つまり、これは<何かに比べて>変わっている必要がある。つまり少なくとも、二つの音がなければ ”変わった”ことにはならない。変えたいと思う音だけを一生懸命、あぁでもないこぅでもないと、弾いていても、仕方ないわけで、もっとも単純に言ってしまえば、その<前の音>と変わっていれば、色が変わったことになるということ。つまり、前の音がカギになる。前の音を責任を持って作る、聴く。このことがポイントになる。どうしても、変えようと思う音のほうに意識が言ってしまうせいで、その前がないがしろになることが多い気がする。
もう一つ、”休符“。
―休符に緊張感をもって-
これもまた、私も苦労をしたシロモノ。
あるとき、<休符に緊張感ってどうやったらできると思う?>と生徒の1人に聞いてみた。
―えっと、体も動かさないとか?-
といってその彼女は両手に、にぎりこぶしを作り、表情もみじんも動かない様子を見せてくれた。
・・・・・それって、あなた自身が緊張してるだけでしょぉ・・・(-_-#)
と、からかってみたものの、休符に命を吹き込むことは難しいことの一つ。
たとえば、お芝居で
“ねえ、きいて”
という台本をもらったとする。その後に来る文章が、どうでもいい話の場合には、
ねーきいてよぉー、彼氏がサーぁ・・・
みたいに、語尾がだらっとなるのではないかな。男の子なら、”俺サー“みたいな。
でも、なにかとても緊張した話のとき、“ね、きいてっ!!!”って私なら言うかな。
同じセリフでも、どう言葉の終わりを処理するかで、その後にくる緊張感が変わる。
まったく同じことがピアノでも言えると思う。
休符の一つ前の音。これをどう切るか。ペダルに任せず、自分で責任を持って切る。これだけでも、そのあとにある休符に命が吹き込まれる。
休符は、音の一つだと思ってほしいと、いつも生徒に言っている。休みではない。
私のレッスンのモットーは、
“どうやって”
も説明すること。深い音出して、暗い音出して、という指示だけでは、最初のうちは難しいと思う。そのためにどうすれば良いか、これを生徒と知り合って最初のうちは説明することが必要だと思っている。ただ、それはかなり難しいこと。これからの課題でもある。がんばろう・・・
MessageFromBerlinプライベートレッスン、もうすぐ12月コース終了。次回は3月。
がんばって勉強しなきゃ。