「音楽」カテゴリーアーカイブ

Pascal DEVOYONのインタビューが雑誌各社に掲載されています

音楽の友、ショパン、MusicaNova、音楽現代、ヤマハピアニストラウンジページ、ピアノの本から
Pascal DEVOYONのインタビューが掲載されています。 
それぞれ異なったインタビュアーによるアプローチがあり、音楽論、教育論、Devoyon自身の人生・・・どれを読んでも興味深い内容です。
お手に取っていただければ幸いです。
詳しくは Pascal DEVOYON公式サイトよりどうぞ。

オーボエとピアノ CDレコーディング 2日目終了!

今回のCD録音の曲目が公開になりました。全部フランス作品ばかり。
プーランク オーボエとピアノのためのソナタ
デュティーユ オーボエとピアノのためのソナタ
サンカン(Sancan) オーボエとピアノのためのソナチネ
ボッツァ(Bozza) 田園幻想曲
デステネイ クラリネットとオーボエ、ピアノ三重奏曲
オーボエ Hélène Devilleneuve
クラリネット Nicolas Baldeyrou
ピアノ 村田理夏子
プーランク、デュティーユはオーボエ奏者にとって主要レパートリー。ピアノレパートリーでも
親しみのある作曲家だ。
今年はデュティーユの生誕100年という記念の年の録音となった。
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初日は朝9時から1日中缶詰めになり、まずは朝からバランスチェック。マイクの位置、高さ・・あーでもないこーでもないと、数時間。
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そして11時過ぎ,ようやく録音を開始。
演奏してはチェック・・を繰り返し、共演者が”これ!”と満足いく演奏ができた瞬間に、私が、あ。今のはピアノが失敗したの・・・ということになると大きくがっかりさせてしまうので、どのカットでもOKを出せるよう、毎回が強烈な集中を強いられるスタンバイ状態。
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それが夜の20時まで。ここまで極度の集中の持続を強いられることは日ごろまずないので、かなりの労力・・。
2日目の今日も朝9時スタート。人間だからいつも100%のモチベーションとは限らない。ピリピリしそうな瞬間は、周りみんなで互いにサポート。肝心なことはこの数日の録音の間に、互いに絶大な相手への尊重と信頼を築き上げることだった。
一生残る録音をするわけだから、笑顔の裏にもみな当然ピリピリしているわけで、そこでいかに相手の状況を悟って、声を掛け合うかという点で、非常にレコーディングはスリリングなものだ。そういった意味でも、今回のメンバーは録音技師も含め恵まれていたと感じる。絶妙なバランスが取れている気がする。
2日目午後には、最終のデステネイの1楽章の録音に入った。
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これは三重奏。つまりここでまた新しくマイクなどのバランスを決め直す。マイクの位置によっては、スピーカーで聴いたときに演奏者が真ん中ではなく左に偏って立っているように聴こえてしまったり、オーボエかクラリネットがマイクにより近い位置にいるように聴こえてしまったりと、非常に微妙なものだ。念入りに念入りに、納得する音響になるまでチェック。
マイクの数も相当なものだ。
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この時点かなり疲労困憊だったが、最後の力を振り絞って無事今日も終了。
明日はのこる2つの楽章だ。
お互いにブラボーとを声をかけながら励ましあっての2日間。学ぶことが非常に多い。
こんな機会をいただいたことに、心から感謝している。少しでも多くの方の手にとっていただけることを願いつつ。
村田理夏子
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オーボエとの初CD録音♪

今パリに来ています。それも、初めてのオーボエとのCD録音。フランス放送フィルハーモニー管弦楽団でソロオーボイストを務める Hélène Devilleneuve(エレン ドゥヴイルヌーヴ)さんからお声掛けをいただきました。彼女はパリ国立高等音楽院(コンセルバトワール)の教授も務める、とてもチャーミングな美女。いつも明るく、まさにフランス女性の典型!
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収録予定曲は、かなり魅力的!オーボエ奏者にとって欠かせないプーランク、デュティーユのほか、あまり演奏されない名曲の数々を収録したオールフランスプログラムです(プログラムは許可が出たら公開します♪)。そして1曲はクラリネットも加わったトリオ。これまた名クラリネッティスト Nicolas Baldeyrou(ニコラ バルディルー)氏との共演!
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こんな名演奏家に囲まれて、楽しみじゃないはずがないわけです。(^^)/
しかもピアノデュオ以外の録音は初めて。3日間、楽しんできます!
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レクチャーコンサート ”準備はいかが?” (3月20日山野楽器)

ただいま翻訳中のDevoyonの次回の講座のタイトルは
“準備はいかが?”
練習練習!と意気込むのは大切だけど、いくら練習してもなんだかうまくいかない・・なんてことがある。
そういえば、
練習ってなんだ?
私たちが操らなければいけないピアノって、どんな仕組みの楽器だっけ?
私たちが操らなきゃいけない、私たちの体って、どんな風にできてるんだ?
そんな、一見当たり前のことをじっくり考えてみたことって、意外と少ないのではないだろうか。
さまざまにもつれた糸は、根本をほどかない限り、うまくほどけない。このレクチャーでは、
「練習に入る前に、一度たちどまって考えませんか?」
そんなDevoyonの声が聞こえる。
練習に入る準備なんでできてるよ!
・・・そうかな・・・
練習に入る前に、きちんと大切なことが整理されているだろうか。
いちど立ち止まり、じっくりとDevoyonの言葉に耳を傾けると、あ・・・と見えてくるものがある。
そんなレクチャーになりそうだ。
あと10名で満席だそうです!ご来場をお考えの方は、お早めに山野楽器さんにご連絡下さい。
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あたりまえ

どうやって私たちは歩いているか、しゃべる時どうしているか? 普段呼吸はどうしてる? あまりに当たり前のこと・・・それって一番、説明をしようとすると難しい。
Devoyonのレッスンを受けたり、聴いたりすること20年以上。いつも驚かされるのは、その明確で的確な説明能力だ。
どうやってご飯のみこむの? そんな何気ないことを説明しようとすると、なんとも
しっくりいかないことは多い。それは、知識が足りないか、よく考えたことがないか、それとも何か漠然と理解しているからに過ぎない。Devoyonは人生経験の中で、いろいろ考え抜いてきたのだろうと思う。あたりまえに”説明がうまい人間として生まれた”のではない。レッスンで、”僕がOOについて考え抜いていた頃ね・・・”という言葉が良くでるのが印象的だ。
“最近XXについてじっくり考えてるんだけど、どうもまだ答えが見つからない”などという発言もよく漏れる。おそらく彼は一生研究し続けるのだろう。
そんな彼が、今度のKAWAIのテクニック講座第3回で臨むテーマは、”指”について。そして音について。音楽家、そしてピアニストにとって一見あたり前な、指で弾く ということ。
その意味を説明するレクチャーを生み出すほうは、想像を絶する大変な作業だと感じる。訳をさせてもらうにあたり、自分ならどうするかなあ、と考えながら訳を進めていっているが、完全に”脱帽”というのが正直な感想だ。 当たり前(と我々が思い込んでいる)ことを、こんなにうまく、説得力を持って説明できるものだろうか。
今回の講座は、プロを目指すもアマチュアも、学生も大人も・・・誰もが決して逃してはない一回になりそうな予感がする。
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Devoyons’ Village 春のコース 学生クラス、大人クラス 聴講生募集中!

健康診断に引き続き、上記2クラスでも聴講を募集します。
音楽はこれからともに人生を歩んでいく一生のもの。客観的に聴き、判断する耳が、何よりも最終的に一生自分を育ててくれる先生となります。そしてもう一つの先生は考える力。そんな耳と考える力を養うには、一歩離れてみるのも大切な時間です。聴講というのは、他人の物を聴く時間ではありません。自分の中に耳を向け、自分を見つめなおし、考え直す。聴講という鏡を通して、自分をみる貴重な時間です。それがわかるまで私もずいぶん時間を要しました。
村では、そんな仲間との時間を大切にしています。一度ふらっと覗きに来てみませんか?
詳しくはVillage公式サイトをどうぞ。

Devoyons’ Village 健康診断 聴講生募集中!

いつのまにやら7回目。Dと村田が数年前から細々と種をまき続けているVillage。
仲間とともに学ぶことの大切さ、そして仲間から学ぶことの大きさを信じて、
グループレッスンにこだわって企画をしています。
健康診断は一年に一度開催しており、Villageのグループレッスンの前に、まずは個人レッスン形式で
様子を見たい・・という方や、本番前にひとことアドヴァイスがほしい、などという方のために
要点を絞ってのレッスン(村田担当)をするタイプです。受講生はレッスン後メールにて
恐怖の 診断書 を受け取ります。
あなたは・・・症候群!・・・ボケ・・重症・・・
などなど、ズバッと書かせていただきますぞ。ふふふ。
その健康診断でも聴講生を募集しています。というのも、限られた時間の中で
今学ぶべきポイントを絞ってのレッスンをさせていただく、というスタイルから、客観的に
判断する方法に興味がある方、教えるときの村田のやり方に興味のある方、
客観的に聞くことに興味のある方にとっても、とても刺激のある時間だからです。
私自身、たくさん学んでいます。
村は、みなさんがあってこそ耕されていきます。ぜひお越しください!
詳しくは
Devoyons’ Village公式サイト
からどうぞ!

リーズ国際コンクールを通して考えること ⑧ 最終

そんな知識や自分の体をとおして感じた感情、欲望。それをなんとか音にしようとするときに一つ必要になるのが「判断力」。これは、本当に大きく欠けていると感じる。
それにはいくつかの理由がある。1つは前述の知識不足。何が良いのかがあいまいなために、今の演奏が良いのか悪いのかの判断基準がなく、わからない。
でもそれよりも危機感を感じるのは、判断しようとする意志の衰えだ。判断できるには、まず出したい音のイメージ、欲望があり、それを音にしてみて、耳で聴き、思った音が出たか判断するというプロセスを通る。
イメージし、身体で感じ、音にだし、聴いてみて、考えるのだから、かなりのエネルギーを要する。
レッスンで演奏してくれたあと、今のは自分でどう思う?と尋ねると、
んー (゜.゜)
と首をかしげるのは私が良く見るケースだ。でも、さらに怖いのは、んーといってるだけで、実は全然考えようとしていないケースが本当に多く目立つことだ。
目がビー玉みたいになっている。
先生が答えをくれるのを待っている、というシチュエーションに慣れているのか、脳を動かすことを忘れてしまっている。自分で調べ、自分で考える、自分で動くことへの喜びがない。コンピュータの前に座り、あふれ注がれる情報を浴びて、知ったつもりになって満足する。
これは怖いことだ。
判断するには、頭もいるが、耳もいる。そのどちらも自分で知らず知らずのうちに消極的に育ててしまっていると、何が良くて何がわからないかわからず、とりあえずいろいろニュアンスを付けて 偽”音楽的”なものを作り、それで本番に上がろうとする。当然、結果は見えているが、本人はなぜだめなのか、わからない。
脳は年齢で退化するのではなく、訓練次第だという。つまり自分次第だ。
私は生徒にいつも、
自分の一番の先生は、自分の耳。だから卒業までに、なんとか自分で判断できる耳を育てないといけないんだよ
と口を酸っぱくして言っている。でも、在学中はおおむね危機感がない。口では不安だといいながら、動かない。
自分でできることは思っているよりも山ほどあるのに。
普段からいろいろな言葉でボールを投げ、積極性を目覚めさせられないものかと試みているつもりだが、本当に難しい。危機感がないというのは、ある意味幼い部分があるのだろうから、人間的な成長と共にバランスよく育たないといけないのかもしれない。
指導するというのは、本当に難しい。
知識、欲望、判断力のトライアングル。これには生徒の自発性も、指導者側の忍耐強い繰り返しも必要になる。そして、ブログで書くだけでもわかるように、ものすごく時間を要する。ひとつひとつのプロセスが本当に大切なのだ。
そういった意味で、リーズでの記事(ショパン11月号)にコンクールをはしごする危険をひとこと書かせていただいた。バランスの良い成長を大切にしたい。
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リーズ国際コンクールを通して考えること ⑦

脳だ。人間には、”想像する”という素晴らしい才能がある。頭の中で想像し、体で感じることができるのだ。2か月も待った郵便の返事が来た時の嬉しさ。郵便馬車が近づいてきたときのたまらない緊張。時には、経験したことのないものもあるだろう。今ではありえないものもある。だからこそ、本を読んだり、映画を見たり、美術を堪能したり・・さまざまな機会をとおして、自分のイマジネーションを豊富に、そして新鮮にしていく必要がある。
私が中学の頃、とある日本人の先生のレッスンを受ける機会があった。
「あなたね、泣くっていうのはね、涙をながしてしくしくばかりじゃないの。大声で叫ぶように泣くことだってあるの。こぶしを握って大声でね。本を読みなさい」と言われた。
最近よく、”ここは張り裂けるような痛みのように弾きたいんです♪”(*^_^*) と、キラキラした目でいわれることがある。
んー (¨ )
そのきらきらした目に、死を前にした痛みって、どんなものか体で想像できているのだろうか、と疑問に思うことがある。だから、”どうやってその痛みを音に出そうとしているの?”と尋ねてみると、説得力のある返事が来ないことが多い。
 
若いから?
それは違う。いかに想像力を持つかの問題だ。
「本をたくさん読みなさいというのはね、作曲家について、いろいろ調べなさいということだけじゃないんだよ。想像力を養うためなんだ。全然関係ない小説なんかを読むのもいい。そこから想像力を豊かにするんだよ」
そんなことを先日桐朋のグループレッスンでDが高校生のグループに伝えていた。
はぁ~なるほど・・・。この歳にして私も感心してしまった。そして、Dが普段からあさるように映画を見るわけも理解できた。
この、想像力を養うこと、に関しては、教える側としては、単にどんな風に弾きたいの?と尋ねるだけではなく、それがどういう感情なのか自分の心で想像させ、音にする前に心で音楽を生かすことの大切さを伝え続ける必要があるように思う。
こうしたい、ああしたいという心からの欲望をいつも燃やし続けさせる。
そうして初めて、その感情を楽譜のどこから感じるのか、楽譜に目を向け、分析し、どのようにして実際聴衆に音で伝えられるかの模索に入っていける。
続く
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リーズ国際コンクールを通して考えること ⑥

次に「欲望」。私が話しているのは、もちろん”こういう音楽を表現したい”という欲望、感性についての話だ。有名になりたい、将来音楽で職を見つけたい・・そんなレベルの話ではない。
人間は感性というものを持って生まれる。その持って生まれた感性や感情は、それからの人生で様々に変化していく。それを押し殺したり、こらえたり、そんな必要性だって当然社会で生きていく上で生まれてくる。日常ではそれを押し殺したりしていくこともあるからこそ、少なくとも芸術を学ぶその瞬間、芸術の国に入った瞬間からは、それに火をともし続けなければいけない。
嬉しい・・でも、どんな嬉しさなのか。たとえば日常で、嬉しくて嬉しくてたまらなくて、道端ではじけて、わー♪♪って叫びながら走り出したら、子供でないかぎり、ものすごい怪しげな眼で見られるだろう。でも芸術の国では、嬉しくてはじけてあふれ出そうで、子供のように”音”を介してはじけ出したって良いのだ。ひとしれず、子供の頃に戻ったっていい。
涙する・・・めそめそ泣くだけではなく、声にもならない嗚咽もあれば、号泣もある。
普段決してひとまえで涙を見せないひとが、音楽で心の涙を流すことだってあっていい。
自分の感情を、感性を、もちろん作曲家が求める範囲ではあるものの、奔放にぶつけて良い。そんな自由で魅力的な国は芸術以外にないかもしれない。
少し脱線するが、”作曲家が求める範囲で”と書いた理由について書いておく。
芸術の国では創造主はあくまで作曲家であり、演奏者自身の人生を描くのではない。自分の人生や感覚と照らし合わせてみたりするのは、作曲家が刻み込んだ感情なり表現なりを、演奏側は、自分の経験や体験から想像可能な範囲で、できるかぎり強く体感してみる、という意味だ。いちいち自分の人生を重ねていたら、ひとりよがりの安っぽさにつながる危険があると私は思う。
私は日ごろから生徒に、「演奏者は 良き俳優でなければいけない」と言っている。
話を戻すと、
感情とは、もちろん、そんなロマンチックな感情ばかりではない。何かものすごい美を目の前にし、心が洗われていくような崇高な感動もあれば、何とも言えない内なる平穏もあるだろう。
様々な感情、表情を音として表現できるためには、自分というフィルターを通して、そういった感情を日頃から常に鮮明に感じ、感性を目覚めさせ続ける不断の努力をしなければいけない、ということを教える必要があるのではないだろうか。
感性は磨かないと鈍くなっていく
知らず知らずに、最終目的が脱線し、目指す芸術を体で感じないまま、指を動かして音楽をしているつもりになる、ということが起きないように。
頭だけではなく、心で感じる
そこには人間の持つ、もう一つの先天的な能力が必要となる。
続く
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